「雷電」のナゾ?・・・というとオーゲサ?? | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

三菱製作所・局地戦闘機(海軍式で天候に関係あるものは局地戦闘機というお約束です)雷電は戦闘機の任務の一つである「追撃」に絞って開発されました。


艦上戦闘機である零戦と違って、重量制限などの制約は無いなど利点も多かったはずでしたのに、あまりに零戦の使い勝手がよすぎて(私はあえて「優秀すぎて」とは申しません)、本機の性格的な位置づけがあいまいなったのが「雷電」が周囲から冷たくされ続けた理由と思われます。

 

 太平洋戦争開戦当時、零戦は陸戦としても使え、しかも重武装の爆撃機とも十分渡り合えましたので、「雷電」の生き残る方法は、零戦より大馬力重防御大武装の戦闘機になるほかありませんでしたが、零戦という万能戦闘機の能力に比べると、視界や着陸性能、格闘性能などでは「不十分」とされてしまいました。

しかも、速度性能を上げるための無理をした設計部分が、設計ミスであることが後になってから判明したり、ラジエターの冷却能力が不足だったりと・・・


それだけ未知の分野への挑戦をしたことになりますが、同じコンセプトの陸軍の「鍾馗」が実用化なった後も延々と改修を続け、完成した?あとも性能が安定せず、チョコチョコ小改造してみたり、生産数はごく限られたものに終わってしまいました。・・・現場の責任が大きいような気がいたしますが・・・


それでも一部の部隊では雷電を使いこなし(きっと、人間コクホー級の整備士さんと歴戦の航空兵さんの配属部隊なのでしょー)、相応の戦果をあげていたのも事実であります。


20㎜機銃x4という武装も、本機の「ウリ」であったはずなのですが、海軍では後から開発して雷電以上に量産された「紫電」、陸軍にも「雷電」より早くから実戦投入された「飛燕」も同じ武装でありました。、


肝心の上昇力と速度もB29相手では、中高度を目標として製作された雷電では荷が重過ぎました。

戦後、このデザインと日本人離れした余裕ある操縦席から、テストした欧米人から特に優れた評価を得たことがよく伝わっておりますが・・・


雷電二一型:最大速度612km/h、武装20㎜機銃4、航続距離1715㎞


アメリカの一部の軍事ジャーナリストからは、二次大戦中の日本の航空機は「二式飛行艇」以外見るべきものはないといった話も伝わっており、どちらが正しいのやら?


また両方の話が本当だとすれば、どーしてそんな突拍子もない食い違いがでてきたか知りたいところです。


どなたか、この辺の、違いをご存知の方、ご教示願えませんでしょうか!!!!


*蛇足

 江戸相撲の「雷電為右ヱ門(1761-1825)」という力士、ご存知の方チラホラおいでかと存じます。

 番付は「関脇付出」でスタート、引退時は大関、勝率.0.962(負け数:10)

 史上最強の力士といわれております。

 「雷電」はやっぱり強い!!・・・・関係ないだろーなー・・・