軍艦行進曲 と 君が代行進曲 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。


いまさら、説明申し上げるまでもないことですが、私の唯一まともにできる球技?球戯??、パチンコと密接に関係のある曲であります。


GW中久々に、ちょいと行こうと思っておりましたら、札幌地方は、雨天でない日はなく、残念ながら、生来のモノグサ体質が災いして、オデカケはムキ順延とあいなりました。


この曲は、元々、明治30(1897)年鳥山啓氏作詞の「軍艦」に、同じころ(これがあまりはっきりしていないようですが)、准士官相当官(伍長・軍曹・曹長のいずれかの位)の軍楽師だった瀬戸口藤吉氏が、新たに曲をつけて、明治33(1900年)に「軍艦行進曲」として誕生しました。

 

(この当時、軍楽科の最高階級は軍楽師で、やっと昭和18(1943)年になって最高位が少佐まで与えられるようになりました・・・案外けちくさい!!)。


オヒロメは、同年4月、戦艦富士乗組の軍楽隊によって行われました。

富士は、明治30(1897)年の英国製で、東郷平八郎提督乗船する「旗艦・三笠」と第一艦隊隷下で第一戦隊を成し、日露戦役[明治37(1904)年]を通して大活躍した軍用艦でありました。


そして、「軍艦行進曲」は海軍省の「制定行進曲」として戦前盛んに演奏され、昭和16(1941年)12月8日の米開戦を知らせる「わが帝国海軍は、本日太平洋上にて米英と戦闘状態にはいれり・・・この文章少しイー加減です」という記憶に残したくない、ラジオ放送のBGMにもこの曲が繰り返し流れていました。


一方「君が代行進曲」は「日本古歌・君が代☆」の重厚な部分はなくなりましたが、行進向きの楽曲として「再生」されたような軽快な曲となりました。明治13(1880)年、吉本光蔵氏の編曲であります。


曲名をだけではピンと来ないかもしれませんが、皆さん多分一度はお聞きになっておられると思います。"you tube"にたーーーくさんはいっておりますので、お時間のあるときにでも御試聴されてみてはいかがでしょーか?


こんな楽曲が毎日、パチンコ店以外のところで盛んに演奏されないことを、祈るばかりです。


☆「日本古歌・君が代」:いろいろご意見、異論もあろうかと存じます。

 私は「君が代」は「古今和歌集」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」を「和漢朗詠集」で「わが君→君が代」と謳いかえ、その代の后が天皇を思う歌で、いわば「**家の個人的愛唱歌」であること、日本国憲法には「君が代=日本国国歌」と明文化されていないことから、「日本古歌」という位置づけと考えておりますことをご理解ください。