ニセココウ/ニセココウバン | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

蝦夷富士・羊蹄山のふもとで作っている線香や、そこにある交番のお話ではありません。


ニセコ鋼(板)は八九式中戦車に使用されたことで有名になりました。

*八九式=日本皇紀2489年=昭和4年=1929年制式採用


ニセコ鋼の特徴は、組織が非常に微細化したニッケル・クローム鋼であります。


防弾鋼板としての鋼を作る場合、鋼はまず当然、硬く強く(強度が高くて)なくてはなりませんが、あまり硬すぎても、打撃に対して、脆くひびわれなど起こしやすいといわれておりました。


この、硬くて、脆さにも強い<粘り気のある>といった、二律背反を満たさなければならない強靱さが要求されました。


従来の、炭素量を増やしただけで強度を上げてしまう普通鋼のやり方ですと、粘り強さに欠けてしまいます。引っ張り試験では高強度の炭素鋼はろくろく伸びないうちにブツンと切れてしまいました。


戦車の防弾鋼板に上記のような高炭素を用いて強くしても、脆すぎて砲弾に貫通され易くなったり、破片が飛び散り易くなるので、鋼材としては優秀とは言えませんでした。


それで各国の防弾鋼板はニッケル・クローム鋼として、強度とねばり強さのバランスを取っていました。


日本ではこれらの鋼は、今までも、砲身や魚雷の気室に使われてきていました。

たまたま魚雷の気室の局部軟化事故の調査中に、室蘭・日本製鋼所はこれらの合金鋼に2段焼き戻し法を適用すると、画期的な材質の改善が計れることを発見し、ニセコ鋼(ホン・ウショ・鋼)と名付けられました。


日本の他、イタリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、フランスで特許が認められ、後に防弾鋼板としても用いられることになります。

と、まーニセコ鋼の項目を事典などでのぞくと大抵こんなことが、エラソーに書いてあるわけですよ。

そこで、皆さんも、いちおー納得される?ホントですか??なんか、変だと思いませんか???


そーそー!!あなたは、するどいっ!!この鋼板、当時は、室蘭でしか作る技術がありませんでした。

そこで、八九式戦車を作るには、<鉄鋼+ニッケル+クロム>を船積みして東京から室蘭に向かい、「ニセコ鋼」を作る。室蘭には、八九式中戦車の最大装甲厚部17mmの箇所を細工する金属用工作機械がなかったので、「ニセコ鋼板」を東京まで積んで、戦車をつっくておりました。


この八九式、昭和6年ころまで、あるいは、定数不足の部隊では、二次大戦の開始時点ころまで使われていまして、その頃には、さすがに材料や板をもって、あっちこっちへとホーローの旅に出てはいませんでしたが、最初の頃は、ひどいもんです。


明治維新から富国強兵を謳い続け、アジアで唯一、戦車、ヒコーキ、軍用艦の三つを自前で作れるまでに成長しましたが、そこに至るまでの努力は死に物狂いだったのだろうと思います。

本当によく追いついたと思いますが、一皮むけば実相はこんなもんで、中身は張りぼてでした。


ですから、二次大戦も、始めこそかっこよかったけれど、大日本帝国という張りぼての外側が焼け落ちてしまうと、中には機械類は何もはいっておらず、身ぐるみすべて「お上」にさしあげた国民がふるえていたとかゆーお話です。

センソーなんかやっちゃだめだったんです・・・