実働、昭和43-54(1968-79)年、近鉄8+日本ハム4シーズン活躍した選手で、
佐賀県出身、水島新司の漫画「あぶさん」の主人公・景浦安武のモデルになった方です。
私の中学から大学前半まで活躍した方で、ノンプロ・東芝から近鉄に入団。
初年度は、12試合だけですが、投手もやりました。出身高校の野球部ではエースだったそうです。
当時の近鉄の監督さんは「三原マジック」の三原脩氏で、永淵さんを、投手兼打者として使いたかったらしいのですが、「投手としては力不足」と評価され、投げたのは、初年度の4,5月だけでした。
成績は、投球回数は初年度の2ヵ月間で、12試合19回0勝1敗、奪三振9、防御率2.84でした。
私は永淵さんの打撃シーンはよく覚えていますが、投手の永淵さんは全く記憶がありません。
上の成績ですと、もう少し、投げさせて様子見てもよかったんぢゃないの、とおもいましたが、あの何を考えているかわからない三原構想が打者専任のほうが目が出ると思ったのでしょう。
(投球回数19回に対して被本塁打3本は・・・ちょっとマズイでしょーか?)。
さすが!全くその通りで、翌年、入団2年目にしてパ・リーグの首位打者になりました。
しかも、あの「張本 勲 選手」と同率でタイトルを分け合うという珍しい記録まで付けて。
昭和54年(37才)、「体力の限界」とやらで現役引退されました。
酒にまつわる話、アブサンの話を知ったのは、私が高校の後半になってからでした。
永淵さんの晩年は、出場回数も減っていましたが、生涯打率は.278と立派なものでした。
そして本塁打は109本、1969-72年の4シーズン連続2ケタで、長打率は.423と、長打力のあるアベレージヒッターといったところでしょうか?
また、当時は正式記録として公認されていませんでしたが、首位打者のシーズンにパ・リーグ最多安打も記録しています(162安打/127試合)。
もう少し見たかった選手、私の好きだった選手ということで、皆様に知っていただきたく書いてみました。
投げる打つのは大谷さんばかりじゃないよ!!
巨人→日本ハムの角 盈男さんだって、ノンプロ時代、投手以外で試合に出るときがあって、そのときは「五番・一塁手」だったようですよ。