帝国軍隊が教えていた「奇襲戦法は必勝のパターン」だったか??? | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

日本は資源的にはもちろん、財力も、最後は人的にも枯渇して、世界大戦に敗れました。


まだ、少なくとも人的には頭数がそろっていて、武器はヘナチョコながら、お得意の「人命軽視の肉弾戦」を繰り広げて、上からの叱咤激励のもと、夜討ち、朝駆け、奇襲、なんでもありで、まだ士気衰えずの頃の帝国軍隊・下士官養成学校(上等兵以上少尉以下促成)での話だそうですが・・・


教官「話が終わらずとも、途中で不審な点あらば、ドンドン質問なり意見なり申し述べよ。その方が諸君の勉強になると思う。本日はあの剣客・清水一学らで徹底的に守りを固めた浅野内匠頭宅に、たった47人で切り込み、主人の首級を上げた赤穂浪士の奇襲の話だ。

少数でとりでを落とした例としてはこれに勝る戦法はないと思われるのでよく聞く様に」


学生一同「はい」


教官「時は旧暦12月14日、音もせずに集まった47人。そこに響き渡る山鹿流の陣太鼓・・・」


学生1「質問よろしいでしょうか?」


教官「もはやかね?まあいい。言うてみたまえ」


学生1「先生は奇襲戦法と仰せでしたが、ではなぜ自分達の接近がばれるような、陣太鼓を打ったのでショーか?」


教官「・・・・」


学生2「先生、もうひとつ、よろしいでしょうか?」


教官「はじまったばかりなのに、どーして・・・まあ、述べてみなさい」


学生2「奇襲戦法でしたら、どうして、月齢がほぼ満月の日にしたのでしょー?月明かりが強いと人影がはっきりしますので、奇襲には不利かと・・・自分なら、新月のあたりを選びますが?」


教官「・・・・」


答えられなかった教官は、尉官剥奪の上、予備役編入、二度と現役には戻れなかったようです。

帝国軍隊の将校さんのレベルが全員こんなわけはないとは思いますが、こういう人がかなり混ざっていたと思いますね。


でなきゃ、あんな無理な戦争、やろうなんていうわけないぢゃない。

上層部が浮かれて宣戦布告しても下が動かなきゃいいのですもん。一次大戦終結のきっかけとなったドイツ海軍のように。


しかも、学生の方が、卒後、将来的に運が良けりゃ、士官学校(少尉以上への昇進)への道がないわけでもない・・・そりゃー真剣になりますよ・・・そんな有為な若者を「お国のため」だの「特攻」だのと称して消耗させて・・・プンプン!!