M市の頃ーその1、自分が幼稚園児 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

運動神経が全く「ゼロ」のオヤジが普通四輪免許を取ると言い出したらしいのです。

こちらは幼稚園児で全くキオクにございません。何せ、昭和36(1961)年頃の話ですから。


そのチョット前に、突然、昼間オヤジが帰ってきて、「めし!」とかいい始めました。

まー、そんなこともあるだろーと思いながら、結構なキョリを、健康のためとか言って、徒歩通勤していた

オヤジでしたから、職場に戻るのも大変だなーと思って玄関先を見てみると、変わった形の自転車がありました。


「あー、あの自転車で帰ってきたの?」ときくと、

ぶっきらぼーに、

「<ゲンドーキツキニリンシャ>っていってくれよ」

といわれました。


母に聞くと、原付はそこそこ運動神経がないと運転できないとか?

私は少しオヤジを見直しました。

それにしても、当時の原付は、自転車の横に、ただモーターがついただけの乗り物で、今で言うと、

アシストつき自転車を不細工にしたような格好をしていました。


でも、どーして、普通免許を取る気なったのか?

免許をとっても、オヤジの月給では、タイヤ1本買うのがやっとだったでしょう。


そのオヤジが、坂道発進練習用の盛り土から、車ごとまっさかさまに落ちた、と連絡を受けたのはしばらくたってからのことだったように思います。


何でも途中で右わき腹に激痛が走ったとかで・・・その時運転を誤ったらしいのです。

地元の病院で見ていただいたら、破裂寸前の盲腸炎で、

「よくここまで我慢したね」といわれたとか・・・


全く親子そろって、ろくでもないやせ我慢をして・・・

ーーー私の場合は4/9の「え、骨折ですか?」をご覧ください。


教習車も、指導員も無傷に近いくらいで、不幸中の幸いだったようです。