この期に及んで、日本の戦車は「歩兵直協型」で、欧米の戦車は「対戦車戦闘を意識した型」である・・・といったような事を書く気はモートーありません。
まず、二つのエピソードをお読みください。
☆終戦後間もなく、進駐軍貸与の国鉄8500型ディーゼル機関車(のちDD12の制式称号がついて日本がもらいうけることになります。出力190PSx2台エンジン)が、横浜埠頭で、荷揚げしていた貨物を運搬中、肝心のディーゼルエンジンが故障してしまいました。
皆が困っていると、進駐軍のMP(ミリタリ・ポリス)がどこぞに連絡をしたようで、2台の比較的大型のジープがやってきました。
でも代替エンジン?のようなものは一切のっていません。一同が固唾をのんで見守る中、ディーゼル機関車、ジープ1台のエンジンが外され、前者はジープの荷台へ、後者は・・・・ディーゼル機関車の機関室に!!!おさまりました???
エンジンがなくなってしまったジープは、もう一台のジープがけん引して元来た道を帰って行きました。
そして、ディーゼル機関車のセルがまわって・・・あ・・・動いて・・・貨車まで曳いてら・・・
この機関車は元々アメリカの産業用機関車だったものを、終戦後、交通網の立て直しに少しでも役立てば、と日本に8台持ち込まれた内の1台でした。
アメリカでは、早くから日本の「JIS規格に相当する約束事」が導入されていて、目的が近い道具には、かなり広い範囲で互換性を持たせてありました。
埠頭の日本人たちはただただびっくり仰天して、しばしこの光景に見入っていたということです。
☆奈良の大仏は、747年、7年の工期を経て完成した鋳造品であります。
お読みいただけましたか?
ではつぎはこれを・・・
*九七式中戦車: 昭和12(1937)年採用。1938-1944年に2123台製造。主砲57mm(18.4口径=砲身長105cm。最大前面装甲厚25mm。空冷ディーゼル150PS。車重14.3t。最高速度38km/hr。行動距離210km
*九七式中戦車改: 昭和17(1942)年採用。?台製造。主砲47mm(48口径=砲身長226cm。最大前面装甲厚25mm。空冷ディーゼル170PS。車重14.8t。最高速度38km/hr。行動距離210km
**九七式、改とも:砲塔・車体:リベット、車体:底板、側板:溶接
*ソミュアS35騎兵戦車(仏):1935年採用。500台製造。主砲47mm(32口径=砲身長150cm。最大装甲厚47mm。ガソリン190PS。車重19.5t。最高速度40.7km/h。行動距離230km。砲塔鋳造+車体は4部品をボルト締め。同世代のBT-7(ソ連)、Ⅲ号戦車(独)の主砲弾を跳ね返し、両戦車を撃破しうる。
「太平洋戦争開始前夜」といったころの世界の主戦戦車状況です。
戦車発祥の国英国は大きく立ち遅れ、米国は「M-2中戦車」を持っていましたが、第二次世界大戦参加準備中?といった段階で、その戦車の性能は、日本の九七式と同等かやや劣るものでした。
当時、主戦戦車のトップを走っていたのが、走・攻・守そろったフランスのS35でした。当時としては、十分な装甲厚もあり、それでいて、重量は過大ではありません。ただ、鋳造砲塔は高価で、軍部トップの無理解から、いろいろな部隊に分散配置され、性能ではかなり格下ながら、戦車を集中配備した、ドイツ機甲師団に第二次大戦劈頭、散々にケチらされました。
恐らく次に強いと思われるのが、BT-7(BT=快速戦車)でしょうか。ノモンハンで九七式と戦火を交え勝利しております。九七式は、開発段階では決して世界情勢と比べ見劣りはしていないのですが、制式化まで時間がかかりすぎて、その間に、戦車の進歩についていけず、旧式化したままのシステムで戦わなければなりませんでした。
九七式改の次に、一式、三式戦車とつづきますが、前者は九七式改に240PSエンジンを積んで、前面装甲を50mmにしたもの。速度は44km/hrになりましたが、主砲は47mm砲のままで、本質何も変わっていません(昭和19<1944>年部隊配備)。一方このころのアメリカはM4中戦車(シャーマン)が戦力の中心で、こちらは1941年制式化、主砲37.5口径75mm(砲身長299cm)のち52口径76mm(砲身長395cm)、装甲前面64-76mm,400PSのガソリンエンジンを搭載、最高速度39km/hr行動距離は190kmでした。一式中戦車までは同じ中戦車同士といっても、一式はシャーマンの背中に乗るくらいの大きさでした。
特筆すべきは、大戦中他国に4000台以上貸与し、なお自国用には2台に1台が予備運用となるほど大量生産されたという話が伝わっております。
日本の戦車に戻りましょう、
三式戦車は九七式の足回りに、九0式野砲を搭載、初めて戦車戦を意識した機種といわれていますが、前面装甲は50mmと一式とあまり変わりありません。
次の四式戦車はボフォース社の7.5cm高射砲を日本でコピーして使っていましたが(八八式高射砲)、旧式化してきたので、戦車砲化して載せてみました。もちろん、野砲と比べて重いですが、それだけ破壊力も抜群です。三式のエンジンは240PSで38km/hrですが、四式は412PSで45km/hrです。
実は戦車にも固有の開発秘匿名のようなものがあって、九七式ですと「チハ車:チュウ戦車の3番目に開発した車、イ・ロ・ハ」、三式はチヌ車、四式はチト車??四式が若番ですか?四式の主砲にはじめ57mm砲を搭載予定で決まりかけていたものが、欧州の戦車戦の情報から75mmクラスに換装したい・・・ではその間に合わせに三式中戦車を・・・というわけで、三式はあとから設計・制式化された車なのです。。
四式は最大装甲厚も75mmと今までの日本の戦車のスケールから明らかに脱却したものを感じさせます。
終戦後、残存武器を調べに来た、GHQが、「これが太平洋戦域に投入されていれば、戦局は変わっていたのかもしれない」といったそうですが、明らかに嫌味でヨタ的なリップサービスで、運ぶ船すらないのに、どーやって、太平洋の島嶼に運ぶのでしょう?
また、M4シャーマンには「ファイアフライ(蛍)」という76mm砲装備の強化版がありましたし、すでに、欧州戦線での戦車戦は、主砲90mm級になっていましたので、アメリカにもM36対戦車自走砲、ジャクソン(1944年就役)やM26パーシング戦車(1945年就役、両車とも50口径90mm砲、砲身長450mm)が戦争終盤には75mm級の上のクラスの装甲車両として存在しておりました。ですから、仮に四式戦車が、海を渡ってフィリピン当たりを攻めても戦局は微動だにしなかったに違いないのです。
問題は、このGHQ発言を本気に受けて、戦後の戦車(当時は警察予備隊なので特車といっておりましたが)開発はぜひ日本でと、発言した議員がいたことです。全く、誰とは申しませんが、一線の戦場に立たなければそんなこともわからないのかと、指導者的立場の人がこれぢゃ・・・センソーやってもね、と思いますヨ。
このほかの装甲車両として、自走砲がありますが、旧式化した大砲の自走化など考え方はどこの国も同じかなと思います。発想の奥はドイツから多くを学んでいるようでしたが。
ただ絶対数が少ないのと、南方への輸送路が危なくなってからの完成品が多いので、残念ながら、海没してしまった例が少なからずあったというところでしょうか。
以上、日本の装甲車輌群についてまとめますと、
①諸兄ご指摘のごとく、装甲車輌のお仕事は歩兵直協から始まっています。
②「鋳造」というすぐれた技術がありながら、なぜ車輌には取り入れなかったか?(確かに高価ですが、溶接技術が安定するまで砲塔などに取り入れてしかるべき技術かと思われました)。
③開発から制式化まで時間がかかりすぎ。
主砲の決定の拙速に過ぎる紆余曲折も、はじめから、欧州戦線を基準に考えるのであれば、現在目標
としている主砲の口径の8.46-25.4mm(1/3-1inch)増し程度を想定し」ディスカッションすべきでありましょ
う。
ex:75mm→
+1/3inchi(8.46)=83.5mm・・・ソ連の第二次世界大戦主力T-34→朝鮮動乱T-34/85(主砲85mm),
+2/3inchi(16.92)=92.0mm・・・各国に90mm級主砲の装甲車輌多数あり
+1inchi(25.4)=100.4mm・・・90mm級主砲の次世代はNATO軍は105mm、ワルシャワ条約軍は100mm戦車砲でした。
④ドイツは日本をあまり好きではなかったようですが、もっと装甲車輌のノウハウを教えてもらえばよかったのに。特に自走砲について。特に特に中でも旧式方の生かし方、鹵獲砲の砲弾の調達の仕方など。
⑤さて、もっとも大事と思われることは、横浜埠頭でのエピソードでもお伝えしましたように、内燃機関他互換性のコンセプトがあまりにも欠如していたことでしょう。
例えば、三式戦車がこけた場合九七式戦車のエンジンを少しいじくりまわして連結させるだけで、三式を動かすことができたでしょうか?(もちろん、その逆は、戦車本体の容積の関係で無理でしょうけれど)。
やはり、九七はすてることになりますが、三式を拾えたら攻撃面でも後々いいと思いませんか?
装甲部隊を充実させるに当たって、④だけでもだいぶ時間短縮と資材節約になったと思いますが。
人に物を聞くなんてーのは、武士のプライドでも許さなかったのでショーか?
そして⑤のシステム(現在のJiS規格)がもう少し充実していたらなー、と思うのは私ばかりではないと思います。