「とても」「◎◎するべき」そして「驚いた人」 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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  せん。

最近でしょーか、自分が爺になったせいと思いますが、人様の言葉遣いが気になり始めました。

これには、自分の学生時代の主要五教科中、最低評点が国語(特に「現代国語」)であったことが、トラウマになっているということと無関係ではないと思いますが・・・


まず、「とても」は「どーしても」が詰まった形だそうですので、条件文・否定文にしか使えないはずです。

たとえば、「とてもおいしい**」といういい方はできません。


次に、「べき」は文語体ですので、上にくる動詞も文語体でなくてはならず「せ・し・す・すれ・せよ」といった「サ行変格活用」中の終止形+べきなので、話し言葉でも「すべき」が正しいのです。

「・・・するべき」とは使えません。


また、「お会いしたら、**さんていろんなことができるので驚いた人だった」。

これは会いに行った、今話をしている人が「驚いている」わけで、「驚いた」が次の「人=**さんの形容詞になってしまって」います。

一見正しそうですが、文法的には「**さんが常に驚いて」いなければならないのも変ですし、いつの間にか批評の対象が「**さん」なのに、「驚いた人はだれか?という主体が」文法的には今話をしている人といれかわってしまっています。


いろいろな言い方が考えられますが、「驚くべき人でした」とでもしておきましょうか。

この表現は、江戸時代中期ころ(1700年代中盤)から急に変わってきたことが知られています。


堅苦しい「文法」でカタをつけると、上のような詰まんない話になります。


そこで、登場するのが<語法>という、いかにも日本人好みの、ファジーで、時代とともに少しずつ、「ここまではOKってことで・・・」など、文法から落ちこぼれた部分を取り繕ったりフォローしてくれる、「時代とともに変わる約束事」があります。


実は、日本語は、かなりの部分、<語法>で救われているといっても過言ではありません。


皆さんも、意外と変だと思ったときは、辞典をお調べになったほうがいいかもしれませんよ?

案外、広く使われていることが間違い、勘違いだった、ということがすくなくありませんので。


<オマケ>

北海道・羊ヶ丘公園「クラーク博士像」にきざまれた有名なことば、

Boys be ambitious. Boysの次にはコンマがありません。

ーーーBoys, be ambitious.・・・「少年よ、大志を抱け(命令文)」ではないのです。


助動詞[may]は祈願文に限っては省略可能と英和辞典にあります。

ですから、

例の文章は

Boys [may] be ambitious. mayがかくされていると考えるのが「穏当」のようです。

                  また、当然助動詞の次位の動詞は原型がきます。

で、「少年よ、大志を抱かんことを(祈っています・望みます)」でしょう。

でもクラーク先生の本心は、「大志を抱け!!!!」だったと思いますけど。

それに和訳としても、こちらの方がシンプルでなじみやすいですね。