今回は資料中心に、貞観地震と、それが現代にどのように役に立っているかをお伝えしたいと思います。
◎明治時代の考証
・「日本三代実録」の城は多賀城であり、広範な浸水は津波のためであると結論、震源は太平洋側と推
定しまし。
・「末の松山浪こさじとは(百人一首)」とは八幡砂丘の山を津波が越えないことを意味していると結論。
・<今村明恒>貞観地震、慶長三陸地震の津波は明治三陸地震の津波をはるかにしのいだ、と結論 つけたが実証は難しかった。
*別な角度からの研究
・過去に仙台平野に何度か津波が来ては歴史記録が途絶えて、疫病が流行した。これは地震の
到来の年号と一致しているそうです。
◎津波堆積物調査と最近の進歩、そして震源域の推定
・堆積物から、津波は福島ー宮城ー三陸に到来、宮城は:3km内陸に津波が到達していることが判明
しました。
・2000年代になるとボーリング研究の長足の進歩があり、
☆貞観以外にも800-1100年には何度か津波が来ている
☆津波は9m級で7-8分間隔で来ている。
☆☆過去3500年の間には、少なくとも7回以上の大津波がおそい、震源は千島海溝から日本海溝に
かけての4箇所のいずれか、または連動してM9程度の地震ができてしまう。
貞観地震の大型化のメカニズムもこれでいいと思われます。
◎それでは、貞観地震のエネルギーはどれほどだったのか?
最終結論は?
・河角 廣氏は1951年、M8.6
・宇佐美龍夫、1970年、チリ地震(M8.5)に及ばぬと考えM8.3±0.25
・最近の堆積物の研究からM8.4を大きく上回る?潮位データを加味するとM9.0にはなりそうです。
◆いろいろごちゃごちゃ行ってきましたけれど、貞観地震もM9.0程度の巨大地震だった可能性が大きくなって来ました。
◆次回は防波堤は、今のままでいいのか?であります。