キャプテン溝尻の前にスペシャルゲストのブログをお届けします。
鈴木瑠唯(すずきるい)
帝京サッカー部 2年間所属後、
退部、大学中退を経て現在
ウルグアイ3部リーグでプレー中
まずは、途中で退部した私を素敵なチームブログに参加させていたたぎありがとうございます。また招待してくれた、キャプテン溝尻君、ありがとう。
そして4年生の皆さん指導者の皆さん4年間お疲れ様でした。
それではスタート。
私は自己主張することが苦手だ。
特に目上の人や、自分の意見に対して自信がない時。
自己主張、つまり、自分を表現する力。サッカーで言うならば、個の力だと私は思う。そんな能力が確実に劣っている。足りない。
日本から1番遠い国。ウルグアイで1年間住み、
生き、ようやく見つけた自分に足らないもの。
どの様に発見したのか、ウルグアイ人と私の違いから紹介したい。
(前列右下 キャプテンマーク)
ウルグアイ人(仲間)たちはとにかくわがままだ(エゴイスタ)。いい意味でも、悪い意味でも。
日常生活においては、自分のしたい様に行動する。
まさに自由である。
例えば、食事の時間。私はチームの仲間たちと1つの家(寮)で生活している。毎食事、配膳は各自で行われていて、日本人であれば、後の人のことを考えて均等にご飯を盛り付けていくはずである、むしろそうであった。
しかし、この国の彼らは違う。
彼らは自分が食べたい量だけよそい、自分が欲しい具材(肉)だけをよそう。他のチームメイトのことをなんら気にせずに。そして後で具材が足りていないチームメイトには優しく分け合う。(チームメイトにはめっちゃ優しい)
最初から、考えて盛り付ければいいのに…。
私は常にそんなことを思いながらこの生活に慣れていった。
サッカー面で例をあげると、いつも中盤・真ん中でプレーする1人の選手が開幕1週間前の練習で右SBへコンバートされた。日本であれば、監督の指示を素直に聞き、そのまま右SBでプレーしただろう。監督に向けることのない愚痴や文句を言いながら…。
しかし、彼は違った。
『ふざけんじゃねぇクソが!右SBならおれは試合に出ない。右SBの選手はうちのチーム足りているし、いい選手がいる。おれは真ん中以外ではプレーしない!』
と暴言を混じえて監督に言い放った。結果、それにより開幕戦はベンチ外。
しかし、2戦目から今現在まで、15試合連続出場を果たしている。(実力主義)
そんな中、私はなかなか試合に出れていない状況下、毎日悩み、考えた。彼らと自分の違いはなんだ?
技術的にもフィジカル的にも特に私と差がない選手。ましてや私よりも劣っている選手もいるのになぜだ。
そしてそんなごく普通な日々を送るなかで、私は彼らとの大きな違い、足らなかったものを2つ見つけた。
『自己主張(エゴイスタ)』
『今を100で闘う力』
である。
1つ目は自分はこうしたい、ああしたいと自分を表現すること。後先考えずにまずは自分が言いたいことは発言する(相手が誰であろうと)。したいことはする。
それがあっていればもちろんOK。間違っていれば修正。そして学ぶ。
ありのままの自分をさらけ出す、表現することの大切さを感じた。
2つ目は今この瞬間を必死に100で闘うということ。私(日本人)は何をするにも常に先のことを想定する。つまり事がどのように起きていくのかをイメージ・想像し決断する。
でも彼らは違う。
常に今、その瞬間を100で闘う。そんな彼らと私が局面で競ったらどうなるか…負けるに決まってる。
なぜなら、ステージ・ピッチは『今』だからである、そして先を考えている間に彼らは既に決断をし、前に進んでいるからである。
つまりは、こういうことだ。
日本人は、この自己主張を苦手とするところが目立つ存在である。というのも日本社会というのは自己主張をするような人間を良しとする風潮ではなく、自己主張をするような人間に対しては、自分勝手な人間や、協調性が無い人間などといった評価をされると思われがちである。
そんなのは気にしない、
その瞬間、今をわがままにエゴイスタにプレーする自己を主張する(決断・発言)ということ、それらの能力が私に足らなかった。そしてそれが探していた私の弱さであり、これから強みに変化していく最も重要な糧である。
日常生活でもピッチでも今、その瞬間の闘い(決断)にもっとこだわって、また自分の意見や考え、欲求などを他人(立場一切関係なく)にストレートに伝えていきたい。
日常=ピッチ
(前列右下)
そして私はまた一歩。
夢へと近づいている…
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
以上、スペシャルゲスト、日本の裏側遥か遠くウルグアイの地で夢を追いかける鈴木くんのブログでした。1.2年生は知らないかも知れませんが、熱い想いを持った先輩がいました。
次は、いよいよ溝尻キャプテンです!