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真珠湾奇襲攻撃(1941年12月8日) により日米開戦
となりましたが、この戦争の真っ最中に 米国で 戦争
のニュースを押さえて 米国民を釘付けにした"女" が
いたそうです。
興味深いので ちょっと覗いてみることにいたしましょう。
「1942年8月号の "Real Detective"誌は 太平洋戦線
で日本と激戦の真っ最中であった米国の新聞売り場で
売りに売れた。
[Madeline Webb と Eli、Eli 処刑を
前に 結婚目指す] ー当時の新聞の見出し
それは Madeline Webb という女が起こした事件に関す
る記事で、ある殺人事件で 重要な役割を果たしたこの
女が あまりにも 煽情的な女であったので、束の間で
あったにせよ 米国民の関心を なんとか戦争から逸ら
した、という次第である。
Webb は ブロードウエイのスターになるという田舎娘の夢を
抱いて オクラホマ州スチルウオーターからニューヨク へと やって
来たのであった。
スターどころか、彼女は Eli Shonbrun という名のチンピラ
に出会い 惚れ込んでしまったのだ。
Webb は 親からの仕送りで やっとこさ糊口を凌いで
いたのだが、この Eli という男は そんな処ではなく
稼ぎが無いこともしばしばで、女性の宝石を盗んでは
その金で食っていたのだ。
そんな金も底をつき、Eli は 次の仕事をする必要に
迫られ、John Cullen と Murray Hirschl という
ふたりの男を仲間に引き入れ、Webbの知り合いで
である金持ちの夫人 Susan F. Reich を 襲う計画
を立てた。」
(The Real Detective from August 1942 hit newsstands during the
height of America’s conflict in the Pacific against the Japanese
and it tells the story of Madeline Webb, who was the central
figure in a murder case so sensational that it managed to distract
the country, however briefly, from war. Webb had moved from
Stillwater, Oklahoma to New York City with small town dreams
of being a Broadway star. Instead she met a petty crook named
Eli Shonbrun and fell in love. Webb was living on an allowance
from home, but Shonbrun’s income was more sporadic—he
survived by stealing women’s jewelry. Eventually he needed
another score and, along with two accomplices named John
Cullen and Murray Hirschl, he hatched a scheme to rob a wealthy
acquaintance of Webb’s, a woman named Susan Flora Reich.)
「ところが、盗みが終わった時、Reich 夫人は死んで
いた。
グルグルに 口に巻かれた粘着テープのせいで窒息死
したのであった。
Eli Shonbrun と 共犯者たちは 逃亡したのだが、警察
は すぐに 跡を辿って逮捕した。
Hirschl は すぐに 犯人仲間 の ことを 喋るから 罪を
軽くしてくれ、と言って 警察と交渉に入った。
Hirschl は 事件の計画に加わったことは認めたが、
殺人事件が起きた現場のホテルに 自分は いなかった
と証言した。
一方、Webb も 自分は現場には いなかった、と証言し、
Shonbrun が この証言は本当だ、と言った。
Webb は ウソをついている、何を隠そう Reich 夫人を
現場のホテルに連れて来たのは Webb だった、と
Hirschl は 反論した。
12人の陪審員が5時間に亘り審査し 被告の3人全員が
有罪である、との判決を出した。
Shonbrun と Cullen は 死刑、Webb は 終身刑 という
判決であった。」
(But when the robbery was over Reich was dead, suffocated
by the adhesive tape that had been placed over her mouth.
Eli Shonbrun and company went into hiding, but the police
soon tracked them down, whereupon Hirschl immediately
made a deal to testify against the others. He admitted helping
to plan the crime, but swore he was not present in the hotel
room where it occurred. Madeline Webb also denied being
present, and Shonbrun backed up her claim, but Hirschl said
she was lying and had actually lured Reich to the hotel.
A jury of twelve men deliberated for five hours and returned
a verdict of guilty for all three defendants. Shonbrun and Cullen
were sentenced to death and Webb was given life in prison. )
「判決が下された時、Webb は ”絶対に、絶対に
わたしは やっていない ! " と言って すすり泣いた。
Shonbrun は ”おまえ達は 罪も無い彼女を 責め
苦しめたんだ ! " と叫んだ。
米国民を 唖然とさせたのは この期に及んでまで
Webb と Shonbrun とが 愛の炎を燃やし続けて
いることであった。
このふたりは 裁判中 も お互い に擁護し合って
大声 で 騒ぎ 裁判 を 中断させることも しばしばで
あった。
Webb の元気が なくなってくる度に Shonbrun は
元気を出せ、と書いたメモを 彼女に回した。
そんなに機会は多くはなかったが、ふたりは お互い
に抱き合ってキスをし、 ”愛している" という言葉を
交わし合ったりもした。
1943年4月、Shonbrun の死刑執行の日、Webb から
最後の恋文が届いた。
シンシン刑務所の死刑執行室で彼はこの恋文を読み、
読んだ後、破り捨ててくれ、と言って 看守に手渡した。
それから5分後、Eli Shonbrun は 電気椅子に縛り付け
られ 刑が執行された。」
(When her punishment was announced in court she sobbed,
“Please, please, I didn't ! ” Shonbrun cried, “You have crucifed
her ! ” What seemed to mesmerize the American public was
the spectacle of Webb and Shonbrun clinging to their love in
the face of adversity. They had frequently disrupted the trial
with outbursts of support for each other.
Whenever Webb seemed to wither Shonbrun managed to pass
her notes of encouragement. On the few occasions they came
into physical contact they kissed and exchanged “I love you.”
And when Shonbrun’s date with the executioner came in April
1943, he received a final love letter from Webb. He read it in
the death chamber at Sing-Sing Prison, then surrendered it to
the warden to be destroyed. Five minutes after being strapped
into the electric chair Eli Shonbrun was dead.)
「Webb は ニューヨークのベッドフォードヒルズにあるウエスト
フィールド州立収容所で 25年間 服役した。
彼女は どこから見ても 影日向の無い 模範的な囚人
であった。
女囚たち のために 教育授業 を 始め、読み書きが
できない者たちに教えたり 所内図書館を 運営したり
した。
彼女は 保釈無しの終身刑に処せられたのだが、1967年
に 減刑処分が行われ、保釈された彼女は スチルウオーターに
帰り、年老いた母親の面倒を看乍ら いろんな地元の活動
に参加した。
母親は Webb の弁護費用を賄うために ずっと 年金を取り
崩していたのである。
Webb は 1980年に ガンのため 67歳の生涯を閉じた。
死に際まで 無実を訴え続けていた、という。」
(Madeline Webb served twenty-five years at Westfield State Farm
in Bedford Hills, New York, and was by all accounts a model inmate.
She promoted educational programs for imprisoned women, taught
many illiterate inmates to read, and ran the prison library.
Her life sentence carried no possibility of parole, but her sentence
was commuted in 1967. After her release she returned to Stillwater
where she worked with various community organizations and cared
for her elderly mother, who had spent her life savings on her
daughter’s legal fees. Webb died of cancer in 1980 at age sixty-
seven, and she did so still protesting her innocence. )
お付き合い いただき ありがとう ございました。