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ご存知の方々がおいでになると思いますが、

エドワード 6世の死後 その後継ぎとして即位した

女王 ジェーン・グレイ (Jane Grey) 、在位期間は

1553年7月10日から同月 19日までの9日間

という短さで、世に ”9日間女王” と呼ばれ、

僅か16歳で斬首刑に処せられました。

 

歴史上は長らく "Queen" としては認められず

"Lady Jane Grey" と呼び慣わしていたよう

ですが、現在の英王室は "Queen Jane Grey"

としているそうです。

 

顛末を見てみることにいたしましょう。

 

レディ・ジェーン・グレイ』 by anonymous | with a kiss, passing the key ::

Lady Jane Grey

  (1537-1554)

 

 

「悲劇の淑女 ジェーン・グレイ は 英国史上 統治期間

が最短 ー たったの9日間 ー の支配者として記憶

されている。

淑女 ジェーン・グレイ の 英国女王としての統治期間が

そんなにも短かったのは どういう訳なのか。」

 

(Tragic Lady Jane Grey is remembered in British history as

the monarch with the shortest reign… just nine days.

Why was Lady Jane Grey’s reign as Queen of England so

short  ?  )

 

「淑女 ジェーン・グレイ は サフォーク公爵 ヘンリー・グレイ

の長女で、ヘンンリー7世の曽孫であった。

彼女は ヘンリー8世の息子で プロテスタントの エドワード

6世 (彼女の従兄) の死後、女王として即位宣言

させられた。

実は、彼女は 王位後継権第5位の位置であった

だが、エドワード6世が プロテスタントであった彼女を

個人的に王位後継者として指名したのであった。

 

エドワードの腹違いの妹 メアリ は ヘンリー8世とアラゴンの

キャサリンとの間に生れた娘で 王位継承権第1位で

あったが、熱烈なカトリックで エドワードのお気に入りでは

なかったのだ。

 

エドワードは イギリスを 確固たるプロテンスタント国にする事

を望んでおり、もし メアリを後継者にすれば イギリスを

カトリック国に戻してしまであろう事を知っていた。

 

ノサンバーランド公爵 ジョン・ダドレイは エドワード6世の摂政

であった。 彼は死の床にあったエドワード6世を説得し、

王位をジェーン・グレイ に継承させるという遺言を残させた

のである。 ジェーン・グレイ は 偶々、公爵の息子の妻で

あった。」

 

(Lady Jane Grey was the eldest daughter of Henry Grey,

Duke of Suffolk and she was the great-grand-daughter of

Henry VII.  She was proclaimed Queen after the death of

her cousin, the protestant King Edward VI, son of Henry VIII.

She was actually fifth in line to the throne, but was his

personal choice as she was a Protestant.  Edward’s half-

sister Mary, Henry VIII’s daughter with Catherine of Aragon,

was actually next in line for the throne but as a devout

Catholic, was out of favour.  Edward wanted to keep England

firmly Protestant and he knew that Mary would take England

back into the Catholic faith.  John Dudley, Duke of Northumbe-

rland, was Protector to King Edward VI. He persuaded the

dying young king to will his crown to Lady Jane Grey, who by

coincidence just happened to be the Duke’s daughter-in-law.  )

 

「エドワード6世は 1553年7月6日に亡くなり、ジェーン・

グレイが 夫 ギルフォード・ダドレイ を傍らに従えて 王位に

就いた。 ジェーン・グレイ は 娘盛りの16歳であった。

 

彼女は綺麗で知性に溢れていた。ラテン語、ギリシャ語、

ヘブライ語を習得し、フランス語とイタリア語に堪能であった。

 

だが、国民の中で 王位継承の正統性を求める声が

大きくなり、ジェーン・グレイが即位して9日後に 枢密院

が メアリ の女王即位を宣言した。

 

ジェーン・グレイ にとって不幸であったのは、彼女の顧問

たちの能力が極めて低かったのと、彼女の父親が国家

反逆の企てに加わっていたせいで これが彼女の処刑

に繋がった事である。

この反逆の企ては  首謀者 トーマス・ワイアットの名を付けて

ワイアットの反乱といわれている。ワイアットはイギリス兵で所謂

”反逆児” であった。

1554年、ワイアットは メアリ と スペインのフリップ との結婚に

反対する謀議に加わった。彼はケント人から成る軍を率い

て蜂起し、ロンドンの街中を行進した。が、捕らえられて

斬首刑に処せられた。

 

ワイアットの乱が鎮圧された後、ロンドン塔 に 幽閉されていた

ジェーン・グレイ と 夫が引き出され、1554年2月12日に斬首刑

に処せられた。」

 

(Edward died on 6th July 1553 and Lady Jane ascended to the

throne with her husband Lord Guildford Dudley at her side –

she was just sweet sixteen.    Lady Jane was beautiful and

intelligent. She studied Latin, Greek and Hebrew and was fluent

in French and Italian.  However the country rose in favour of

the direct and true royal line, and the Council proclaimed Mary

queen some nine days later.  Unfortunately for Lady Jane, her

advisors were grossly incompetent, and her father was partly

responsible for her untimely execution as he was involved in an

attempted rebellion.  This was the Wyatt rebellion, named after

Sir Thomas Wyatt, who was an English soldier and a so-called

‘rebel’.   In 1554 Wyatt was involved in a conspiracy against the

marriage of Mary to Phillip of Spain. He raised an army of Kentish

men and marched on London, but was captured and later beheaded.

After the Wyatt rebellion was quashed, Lady Jane and her husband,

who were lodged in the Tower of London, were taken out and be-

headed on 12th February 1554.   )

 

「夫の ギルフォード が タワーヒル で先に処刑され、遺体が

荷馬車に積まれて ジェーン・グレイ が幽閉されている場所

の前を通り 運び去られた。

 

そして、ジェーン・グレイ が ロンドン塔内のタワーグリーンに移され、

そこでは斬首台が彼女を待ち受けていた。

 

彼女は 死をものともせず 立派に死んでいった、と伝え

られている。 刑場で 彼女は 斬首執行人に ”手早く

片付けて頂戴” と頼んだ。 彼女は目をスカーフで覆い、

斬首台を手探りし ”斬首台はどこ ? ” と訊ねた。

介添人のひとりが 斬首台の場所に導くと 彼女は頭を

斬首台に置き両腕を伸ばして ”主よ、我が魂を主に

委ねます” と言った。

 

こうして ジェーン・グレイ は 亡くなっていったのである。

彼女は 1553年7月10日から19日まで たったの9日間

だけイギリスの女王であった。

これは、それ以前及びそれ以後の イギリス王室史上、

最も短い統治期間である。」

 

(Guildford was executed first on Tower Hill, his body taken away

by horse and cart past Lady Jane’s lodgings. She was then taken

to Tower Green within the Tower, where the block was waiting for

her.   She died, it is said, very bravely… on the scaffold she asked

the executioner, ‘Please dispatch me quickly’. She tied her kerchief

round her eyes and felt for the block saying, ‘Where is it?’ One of

the onlookers guided her to the block where she laid her head down,

and stretched out her arms saying, ‘Lord, into thy hands I commit

my soul.’   And so she died… she had been Queen of England for

just nine days …10th to 19th July 1553.

The shortest reign of any English monarch, before or since.  )

 

お付き合いいただき ありがとうございました。