我が子第二子旦那揃って元気にしていますが、今回のブログは今の私の、気持ちの吐き出し場所にします
正直、読んでいて楽しいものではなく(笑)、ただただバーーーーッと書きなぐっているだけなので、ワクワクネタをご期待の方はUターンでお願いします
愚痴ではないよ!
人の死に関わる表現が出てまいります。
(おっと…今の精神状態の自分にはキツイっすわ〜)な方は、本当にここまでで
4月末に、我が子スタートのコロナ一家全滅コースを辿り…
ようやく落ち着いたと思ったら、GW後半は第二子が謎の高熱3日連続叩き出し…
やれやれ…やっと、通常運転の我が家だわ〜…なんて思っていたら
大好きな私の祖父が、亡くなりました。
コロナに我が家がやられている間、元々定期的に経過観察していた事案からの緊急搬送になり…
「検査入院」って名目だったのに、(まぁ、いろいろと理由があって)退院日が延び…
そして、主治医から話を聞いた母に
正直厳しい状態です。
「意識のあるうちに、会わせたい人に会わせてください」とも言われたよ。
と連絡を受け、子どもたちを寝かしつけた後帰宅した旦那に報告しながら、すでに大号泣。
「『会わせたい人に会わせて』って言っておきながら、病院が未だにコロナ対策に縛られているせいで、未就学児の我が子と第二子は、連れていけない
おじいちゃん、退院するつもりで行ったはずなのに!!
家に帰りたいと思う!
検査のため…って、絶食で ずっと点滴だよ?
末期だって言うなら、家に帰してほしい!
我が子と第二子に、会わせたい!
好きなものを好きなだけ食べてもらいたい!
帰宅したら医療行為ができないのは分かってるよ
好きに生きて欲しい。
でも、長生きして欲しい。
もう、どうしたらいいのか分からない!!」
そんな思いのたけを、ギャンギャン泣きながら話す私の様子を、ただただ静かに耳を傾けた旦那。
一通り思いを聞いてもらって、少し冷静さを取り戻したところで、
「『意識があるうちに』って話だけれど、それは必ずしも すぐにどうこうなるって事ではないよ。
とにかく、子供たちは僕が見るから気にせず、たくさん会いにいったらいいじゃない
大丈夫だよ、きっと。
アイスでも食べよっか??」
「うん……」
そう言って、夫婦の話が一段落して、一瞬冷静になれて、ふとスマホに目を落としたら4分ほど前に母からLINEが入っていて
◯◯時◯◯分(LINEもらった時間から、大体2時間くらい前)
おじいちゃん亡くなりました。
いろいろありがとうね☺
もう、取り乱して大号泣。
「ギャアーーーー!!!!
嫌だぁぁぁっ!!!嫌だ嫌だ嫌だ!!!
なんで?!
なんで!?!
まだ会いに行ってない!!!
『ありがとう』言ってない!!
『大好き』言ってない!!
『さようなら』言ってない!!!!!
なんで?
なんで!!?
なんで、誰も教えてくれないの?!
なんで、死んじゃってから連絡来るの?!
なんで、こんなに時間経ってからなの?!
おじいちゃん…
おじいちゃーーーーんっ!!」
絶対、ご近所さんに響き渡っていた私の絶叫(苦笑)
旦那も、あまりの展開の早さと、眼の前で取り乱す私の様子に、ただただ呆然と立ち尽くしていました。
翌朝、我が子に話をすることに。
実は亡くなった当日、たまたま祖父の現状(具合が悪くて病院にいること・でも もう十分頑張ったからこれ以上は頑張らないこと)はザックリと噛み砕いて伝えていました。
「我が子ちゃん、あのね……
ひいじいじ、お空に行くになったんだ。」
「ひいじいじ、お空なの……?」
「うん……」
この時、我が子にどう説明したかは、もう記憶が曖昧です。
ただ、泣かずに伝えようと思ったのに無理だったことだけは覚えています。
今は痛くも苦しくもないからね、という事は伝えたなぁ。
そして、これだけは言うまいと心掛けたのが、『病院に行ったけれど治らなかった』という表現。
今できる事を、全てやっていただいて亡くなっただけであって、医療行為や治療などが違ったわけではない。
我が子には、『病院はひいじいじを助けてくれなかった』と思って欲しくない。『病院は、困っている人を助けてくれない』と、思って欲しくない。
そんな私なりの親心が、泣きながら伝える中で唯一 理性を保たせてくれたことだけは覚えています。
この時点では葬儀の日程が分からなかったので、我が子にはとりあえず半日だけ登園してもらって、不在の間に参列にあたって必要な物をバタバタと買い揃えに走っていたのですが、途中で少し時間にゆとりができる連絡が入ったので、園に早帰りキャンセルをお願いしました。
担任の先生には事情を伝えておいたので、おむかえの時に普段以上に園での様子を丁寧に知らせてくださり、
・珍しくおトイレ🚽失敗だったので着替え
・お友達とはたくさん遊べていた
との報告だったのですが、我が子曰く
「◯◯君と、おもちゃ取りっこしてて、壊しちゃったの。
そしたら、△△先生(クラス付きの補助の先生)に、『これは良くないね。バツよ〜』って、言われたの。」
とのこと。
トイレ失敗したり、友達と物壊すまでバトル💥するなんて、やっぱり我が子にも影響でてるな〜…なんて思った出来事でした。
そして同日、家に戻っている祖父に会いに行きました。
どうやら昼までの間に納棺が済んでいたようで、直接触れることはできなかったけれど、入院の間にやつれてしまったんではないかという私の心配をよそに、大好きな祖父のままの姿でした。
それが、嬉しくて、切なくて。
我が子にも、
「ひいじいじに会いにいくよ」
と言って出かけたのですが、普段なら居間のソファにいるひいじいじがいないから、
「??ひいじいじは〜?」
というのが、最初のリアクションでした。
私だって、いつもなら「こんにちは〜」って玄関あけたら、居間から「はいね〜〜」って返事があるのに、それがないだけで寂しい。
「ひいじいじね、ここで寝てるんだよ」
母がそう言って、棺の窓を開けて顔を見れるようにしてくれて、我が子が覗き込んで…
ああ、何を思うんだろう
何て言うんだろう
とか思っていたら
「ひいじいじ、あのね〜
今日は◯◯ちゃんと遊んだんだけれど、☓☓ちゃんはお休みで〜…」
本当に祖父が生きていた頃のように、当たり前のように『いつも通り』の話をし始めた我が子。
「『今日の給食は美味しかったかね?』ってひいじいじ訊いてるよ?🥲」
「うん!おいしかった!
今日パンで、前みたいに切れてるパンじゃないから、おかず挟んだりはできなかったんだよ〜!
でも、おいしいから、食べちゃったの!
あれっ!
ひいじいじのお洋服、おリボン可愛いわ!」
「え?リボン??
……ああ
(白装束の、紐をリボン結びしている部分のことでした)
『コレ?いいでしょ。我が子ちゃんは良く見てるな〜。他には誰も褒めちゃくれないのに』って言ってる」
そのやりとりを聞いていた母と親族、
「(ひいじいじ)言いそう〜〜!!」
と、思わず笑顔に。
悲しくて、切なくて場面だけれど、我が子がいてくれたお陰でとても明るい雰囲気になれました
普段はこうした気持ちは、グッと押し込めるか、話せる相手ち話したりするのですが、書くことで頭の整理と、リアルな気持ちを残しておきたくて綴っています。
週明けの葬儀が済んでからも、気持ちの吐き出し場としてブログの存在によっかからせてもらいながら、少しずつ日常を受け入れていこうと思います。
まずは、しっかり見送ってあげなくちゃ💮