何だかんだ言っても、バタやんが大好きだった。
生涯現役!いつも元気な歌声と明るいトークで楽しませてくれた。
もちろん大全集CDなども持っている。
78回転盤か昭和30年代までの録音音質のほうが彼の温かくやさしい声が生きている。
海辺で育った父が若いころ聴いていたレコードの「玄海エレジー」が特に好きだった。
大ヒットの「玄海ブルース」に隠れてあまり知られてない曲だ。
♪「海の男さ 言わずと知れた
おいらマドロス 玄海暮らし
胸にすがって泣かれても
あゝわざとつれなく
上げにゃならない錨綱」
◆事実上の引退をする前の頃、NHKの「歌謡コンサート」だったと思うが、
椅子に座り若い女性歌手に介護されやさしく肩をたたかれながらという絵図で「涙そうそう」を歌っていた。
バタやんは超フェミニストなので若い女の子をあてがわれれば絶対に冷たくはできない。
すごく体調が悪かったとかあったのかも知れないが、私にはNHKによる「肩たたき」のシーンに見えた。
あってはならない光景だった。
♪「せめて一言 心の妻と
それも呼べずに出船の小唄
青いグラスにひとしずく
あゝ落ちた涙に男心は訊いてくれ」
◆そして、そのNHK出演の数週間以内くらいだったと思うが、
テレ朝の報道ステーションのコーナーだったか、埠頭の岸壁でバタやんがギターを抱えて立っているシーンが突然に映し出された。
予告もない生放送、キャスターとの短いやり取りの後、強い海風が吹く中、仁王立ちで「かえり船」を力強く熱唱した。
バタやんの意地を見た。
それが最後のテレビ出演だったかもしれない。
♪「恋の未練の不知火越えて
行くは玄海 荒波千里
生きてまた逢うあてもなく
あゝ夢も寂しく 博多夜船の銅鑼が鳴る」
※「玄海エレジー」(詞 大高ひさを、曲 長津義司 )
バタやんは錨を上げて旅立った、、最期まで男らしくカッコ良かった。
戦前のポリドール時代はあの上原敏さんに可愛がられていたとか。
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↓NHKさん、今さらになって、こんなページを作ってくれている、、、
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(余談)
テレ東の「にっぽんの歌」などで何度か後ろの楽団で伴奏させて頂きましたが、演奏の仕事をしていて本当に良かったなあと思いました。
別日のリハはスタジオのリハーサル室でやるのですが、その時もギターを抱えてバンドやスタッフに「オース!」、そしてバンドの周りを歩きながら「かえり船」を歌ってくれました。
藤山一郎さんも同じように歩きながら「影を慕いて」を歌ってくれました。若いギタリストがイントロをゆっくり弾いたら「もっとテンポの早い曲なんだよ」と教えてあげてました。
淡谷のり子さんはいつもバンドに深々と一礼してくれました。
今はもう新人歌手ですらそういう作法を省略したりしてよい時代になりました。
昔はバンドが偉かった時代が長かったそうですが、カラオケが出現して生演奏の価値が激変し、テレビでも大物演歌歌手ならバンドがいてもカラオケを使うことが民放ではOKになりました。