先日、5月4日。
半田市は亀崎にて毎年行われます
生徒さんとお出かけしてきまた。
今回の企画は、亀崎に住む友人の企画で、
海への曳き下ろしを見た後に、
料亭「望洲楼」さんにてランチ。
望洲楼の9代目当主と彫刻は立川流の立川芳郎尚冨先生による潮干祭りの成り立ちと山車についてお話頂きました。
神事とあってか、山車の通り道は縄がかかり結界が作られていました。
亀崎の山車は「だし」とは呼ばず、「やまぐるま」と呼ぶそうです。
全部で5台の山車は、全て国宝。
お祭りの前に、祭人たちが自ら組み立てるのだそうです。
👇「ゴマ」と呼ばれる車輪は、乾燥を防ぐ為にお祭りが終わると海中に埋められているとの事。
例え居たとしても、かなり膨大な費用が掛かるようです。
奥行きのある透かしは、見れば見るほどに圧巻です。
この「中切組」の「力神車」の彫刻を手掛けたのは、
「諏訪の和四郎」と名を残す諏訪の名工 立川和四郎。
5台の山車の中でも最も古く、知多型の山車の元祖と呼ばれているとか。
半田亀崎の望洲楼といえば安政2年より続く老舗料亭。
この、望洲楼の3代目当主成田新左衛門が文政のころ、和四郎の作品に惚れ込み長野の諏訪まで「力神」の製作をお願いに行ったそうです。そして、彫り上がったのが今の力神車の「力神」
余りの素晴らしさに、他からも注文が。半年程、山車蔵に滞在して貰い他の山車の彫刻も手掛けたそうです。また、弟子入りして腕を磨いた彫師もいたとか。
最初に声掛けした成田新左衛門が居なければ今の知多型の山車は無く国宝にもなっていなかったかもしれません。
亀崎という土地が、何故にこれほど潤沢な資金を調達出来たのか。豊川稲荷はじめ、周辺の神社などに何故に立川流の彫刻が有るのかなどなど。。
9代目のお話も立川先生のお話も、大変面白くずーっと聞いていたい!
今回、一緒に行った生徒さんの御主人様が一番釘付けでした笑
こちらは、午前中に見た曳き下ろし。
普通の道ならともかく砂浜で、まして海の中ともなると、山車の重さは想像を絶するとか。
「10代20代じゃないと、身体がバラバラになります笑」と。
そう、ひいてる彼らは若手が中心なんです。
段々と満ちてくる潮を読んでの進行は、さすが海の男達。
つづく











