夏、は四季の中で一番好きだ。
何故なら小学生から大学生に至るまで、夏はいつでも輝きの象徴だった。
狭い音楽室にぎゅうぎゅうに詰め込まれた“コンクールメンバー”達が、洗練された音でマーチを奏でる。一切の不純物が混じっていない洗練されたハーモニーは、クーラーで冷え切ってピンと張り詰めた音楽室の空気をさらにマイナス2度程下げるような感じがした。
当時中学一年生だった私は音楽室に入ることすら許されず、コンクールメンバーからあぶれてしまったいわゆる“サポートメンバー”として、夏のジメジメした蒸し暑い家庭科室に集められ、ただひたすら淡々と基礎合奏などをこなす日々だった。
誰も立候補者がいないからという理由で担当になったオーボエという楽器は難儀なもので、世界一演奏が難しい木管楽器としてギネス記録にも載っているほどである。
あまり器用でない私はそんな楽器を吹きこなすことに苦戦した。部活動の終了時刻に音楽室の前で先輩達の熱演が終わるのを待ちながら、いつか自分もああいう演奏が出来たら…という憧れと熱意、そして自分がコンクールメンバーに選ばれないことへの恥辱の念に震えたものだ。
夏は好きだ、と冒頭で言ったけれども、音楽室のあの冷え切った空気だけは今思い出してもやっぱり苦手だなと思う。
器用ではないけれども人一倍努力することだけは取り柄だった私は、その努力を認められて一度だけ音楽室の中に入ることを許された。
でも結果は散々だった。
緊張でチューニングすらままならなくて、いざ合奏が始まれば冷えた指は全く動かない。自分が透き通った綺麗な水の中に垂れた一滴の黒い絵の具であることは明らかだった。
自分一つの淀みのせいで、美しい音楽を全て台無しにしてしまったということを身を持って体感した。
クーラーがガンガンに効いた空間に身体は冷えている筈なのに、心臓のあたりだけやけに熱かった。どうしよう、どうしようとグルグル廻る視界の中で、顧問の「出て行け」という声だけがやけにリアルに耳に残った。
そして中学一年生の夏、夕焼けに染まる空の下、ワンワンと泣きながら自転車を押して帰路についたのが最初の夏だった。
吹奏楽コンクールも甲子園も、地方大会でベスト4に入ったところで何ら意味はない。吹奏楽であれば全国大会に出ること、野球部であれば甲子園に出ることがゴールなのであり、さらに物凄い強豪校であれば、そこで全国1位でも獲らない限りは本当の意味でのゴールにはならないのだろう。
毎年全身全霊をかけてコンクールに臨み、そして望まぬ結果に泣きじゃくりながら帰路のためのバスに乗り込むのが常であった。
悔しい、もっとあの時ああしていれば、もっとちゃんと練習していれば、どうして本番でミスをしてしまったんだろう…
どれほど真剣に挑もうとも、今までどれほど悔いのない日々を送っていようとも、この時ばかりはこんな言葉の代わりに涙だけが止め処なく溢れ出す。
望む結果を得るためのハードルは、全国ほぼ全ての学校が越えることが出来ないほど高く険しいものであったので、それを越えて本当の意味で満足した夏は一度たりともなかった。
だがそうやって今までかけてきた時間を振り返って、後悔して、反省して、また前を向いて…一歩前に進むことが出来た、そんなほろ苦くて輝かしい季節もまた夏だった。
そんな青春の日々から数年が経ち、今ではすっかり吹奏楽とも距離を置いてしまった。喜怒哀楽の怒涛の日々を過ごしていた私にとって、何もない夏は何故だか心にぽっかり穴が空いてしまったようだった。見上げる夏の空に命を燃やすことが出来ず、体内に燻った炎は身体に毒とすら思えた。
あんなに散々苦しい思いをしたのに、不思議なことにその刺激が無くなってしまえばそれはそれで物足りないと感じるようになってしまっていたのだから、私もどうしようもない人間である。
でも、今年は違った。
税理士試験に向けて勉強に励む日々が、いつしかの学生時代の夏の記憶と重なることがあった。
セミの声に焦らされる心、クーラーの効いた部屋で難問に頭を悩ませ、出来ない自分にもどかしくなる日々が“あの夏”を思い起こさせた。
学生を卒業すると共にもう体験することは出来ないだろうと思っていた青春の日々は、今もまだ私の中に眠っていたのだ。
一生越えることは出来ないと思っていた高い高いハードルは、今度こそ越えることが出来るだろうか。
夏の終わりに夏を弔い、
そしてまた次の季節が来る。
