そう、かつてこの大久野島では・・・毒ガス兵器の製造・研究が行われていたのだ。
昭和4年から終戦にかけての時代である。
1925(大正14)年に「毒ガス及び細菌兵器を戦争に”使用すること”を禁止する。」
ジュネーブ条約が結ばれたが、実際には有名無実だったのだ。
欧米諸国は既に製造・保有しており、日本はこの手の兵器についても遅れていたので、
開発・製造を急いでいた。(つまり実戦使用しなければ、保有しても良いという解釈だ。)
 
 
 
 
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化学には全く疎いので解説は出来ないが、この大久野島では、
イペリット、ルイサイト、ジ・フェニール青化砒素、塩化アセト・フェノン、青酸、農薬などが製造された模様。
その他にもコンニャク糊で5層の和紙を貼り重ねて作った気球爆弾なども、この島で学徒動員の女性達が製造し、実際にアメリカへ向けて飛ばされ、被害を及ぼした。
(この時期、全国の食料品店からコンニャクが消えたそうだが、国民はその理由を知る由も無かった。)
 
 
 
 
 
 
 
 
個人的に大久野島に興味を持った一番大きな理由・・・それは私の地元と少なからず関連が有るからなのだ。
我が大牟田・荒尾の化学工場で、この毒ガス兵器の原料を生産していたという話を聞いた。
荒尾二造の存在、そして大牟田における「爆発赤痢事件」。 尤も、公には誰も認めないが・・・。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
             大久野島には今でも多くの毒ガス関連遺構が残っている。
 
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              フェリー桟橋から人の流れと逆に歩いていくと、矢印の怪しげなトンネルを潜るのだが・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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                     その向こうにも、全く怪しい廃墟の建物だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

                  ここは毒ガス施設に電力を供給した火力発電所跡。
 
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         当然ここも立ち入り禁止であり非常に危険なので、筑○キャニコム社と共同開発中の
         超高性能・遠隔操作型防災ロボット「試作てっちゃん2号乙」で内部調査を行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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内部の発電設備は接収されており、ギャラン☆ドゥ・・違う、がらんどうだ。
思ったよりも汚れておらず、なんとも不思議な感じがする。(勿論、ロボットが撮って来た画像を見た感想だ。)
しかし、このロボットは一時コントロール不能に陥り、勝手に2階に上がり撮影するわと全く未完成な代物だ!
改善を指示したのは云うまでも無い。
 
 
 

 
 
 
 
            何故か当時の物と思われる画像もロボットのHDに収められていた・・・。
 
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            実際にはこの発電所の電力だけでは不足していて、内地からの送電も行われていたとの事。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

           山を越えた海岸線付近には、巨大で不気味な長浦毒ガス貯蔵庫も残されている。
 
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ここにはイペリットを貯蔵した100トンの毒ガスタンクが6基置かれていたが、そのコンクリート製の巨大な台座だけは今でもこの中に残っている。
壁面が黒く焦げているのは、戦後進駐してきたオーストラリア軍が毒性を除去する為に、火炎放射器で焼き払った跡だ。
 
中身の毒物は島内での焼却・土佐沖への海中投棄(船ごと爆沈)がなされた他、一部の毒物は今も島内の防空壕に埋められたままだという。
この海中投棄処理の際にも甚大な事故が発生している・・・・。
また、島内ほぼ一面に厚さ3cmものカルキ(次亜塩素酸カルシウム)が撒かれ、消毒作業が施された。
その結果、植物は枯れ果て、海岸では貝類も生息しない有様になったという。
 
 
 
 
 
 
 
           実はこの大久野島は現在でも土壌汚染問題を抱えており、
           竹原市や呉市の病院で毒ガス障害を治療し続けている方々がおられる。
           毒ガスは今でも影を落としているのだ。
 
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         山間部を歩いていた時に気になったのだが、不自然な色の木を複数見かけた・・・。
 
 
 
 
 
毒ガス関連遺構は、この他にも沢山残っている。
実際に行ってみると彼方此方で発見出来る筈だ。
 
 

・・・・長文になってしまった。
次回は 「地図から消された島」 について紹介してみたい。