「地図から消された島」・・・大久野島を語る際に「毒ガス」と共に多用される不気味な言葉だ。
大体、『大久野島が消された地図』など本当に存在するのか?
もしや都市伝説では? などと、私は思っていた。
大体、『大久野島が消された地図』など本当に存在するのか?
もしや都市伝説では? などと、私は思っていた。
そんな疑問があったので、私は秘密地下組織”MJ12”のコネを使い、徹底調査した。
まずは、現在の大久野島周辺の地形図を見ていただきたい。

大久野島を中央からずらしているのは、これから紹介する地図と比較し易くする為だ。
で、これを見ていただこう。 こちらは当時の一般頒布用地形図になる。

まさに、これが「大久野島が消された地図」だ。
殆どの方が初めて見るのではないかと思う。
大久野島どころか、周辺の島々も消されている。 話は本当だった!
理由はやはり、毒ガス製造を行っている大久野島を秘匿する事であろう。
そして、海軍の中枢であった呉鎮守府近くの重要な海域及び地形を敵に知られたくないという意図が込められている筈だ。(ここは芸予要塞地帯ではあったが、豊予要塞建設に伴い1924年12月に廃止となっている。)
戦時中、列車が忠海付近を通過する際は車掌が回って来て、車窓のカーテン(鎧戸)を閉めたそうだ。
車内でカメラを所持したり、スケッチを行うと乗客に紛れ込んでいる私服憲兵からマークされていた。
(余談だが、呉工廠で戦艦大和の建造工事が行われている際も丘から丸見えだった為、大きな人工壁を作り、主砲の径などを秘匿した。)
車内でカメラを所持したり、スケッチを行うと乗客に紛れ込んでいる私服憲兵からマークされていた。
(余談だが、呉工廠で戦艦大和の建造工事が行われている際も丘から丸見えだった為、大きな人工壁を作り、主砲の径などを秘匿した。)
更に今回、一部の軍部・政府関係者しか見る事が出来なかった地図も発見した。 これだ。

「軍事極秘」とある。こちらは何も消されていない当時のリアルな地形図だ。
しかし、よくよく考えてみれば・・・これこそ当たり前の普通の地形図ではないか?
戦争とは、当たり前の事がそうではなくなるという事なのだろう・・・・。
しかし、よくよく考えてみれば・・・これこそ当たり前の普通の地形図ではないか?
戦争とは、当たり前の事がそうではなくなるという事なのだろう・・・・。
実は戦時中「地図から消された」のは大久野島だけでは無く、
国内の主要海峡・皇室関係施設・軍事施設など結構沢山有った。
以上が「地図から消された島」の真実だ。
大久野島・・・私が例えるなら、「戦争と平和の島」かな?
敢えて詳しく紹介しなかったが、芸予要塞であったこの島にも明治期の砲台・堡塁跡が見事に残っている。
日露戦争時、旅順要塞攻略の遅れに業を煮やした児玉源太郎がこの中部砲台に据えられていた二八糎榴弾砲を旅順要塞正面に移設し、攻略の大きな原動力になった。
また、朝鮮戦争時には米軍がこの島を弾薬庫及び不発弾処理施設として利用した。
・・・まぁ、余り難しい事は考えない方が良いかも知れない。
たくさんの可愛いウサギと美しい瀬戸内海を感じに、皆さんも大久野島へ出かけてみてほしい。
たくさんの可愛いウサギと美しい瀬戸内海を感じに、皆さんも大久野島へ出かけてみてほしい。
おわり。
参考文献:
「軍事遺産を歩く」 竹内正浩 著 ちくま文庫
「地図で読む戦争の時代」 今尾恵介 著 白水社
「大久野島・動員学徒の語り」 岡田黎子 著
歴史群像特別編集 「日本の要塞」 学習研究社
「明治期国土防衛史」 原 剛 著 錦正社
「軍事遺産を歩く」 竹内正浩 著 ちくま文庫
「地図で読む戦争の時代」 今尾恵介 著 白水社
「大久野島・動員学徒の語り」 岡田黎子 著
歴史群像特別編集 「日本の要塞」 学習研究社
「明治期国土防衛史」 原 剛 著 錦正社