92歳の母親に、昭和20年に沖縄に特攻した義烈空挺隊について聞いてみた。
しかし、義烈空挺隊については、覚えていないとのことだった。
この当時、特攻は殆ど通常の戦法になっていたので、
部隊名まで覚えていないようだ。
若い人たちが、戦争に行って死んでいく、自分たちが出来ること、
勤労奉仕などを励むことしかなかったとのこと
東京大空襲で亡くなった方の敵討を皇軍はしてくれると思っていた
だから、戦争に反対するとか、戦争に犠牲になったとは、全く考えなかったと言う
ただ、戦後、馬鹿な戦争をしたものだと思ったが
亡くなった方々のためにも、言わないようにしていたとのこと
勤労奉仕では軍需工場に動員されていった
15歳の女子が何を工場で作ったか聞いてみた。
「よくわかんないけど」と前置きして
ボーキサイトの円筒形したものの整形をしたとのこと
良く分からないものだから、工場長さんに、「何を作っているんですか?」
と聞くと、「兵隊さんの鉄砲の先につけるもので、ゴミが入らないようにするもの」
だそうで、「兵隊さんにとって大事なものだから、気合を入れて作るように!」
と言われ、「そんなに大事なもんかな?」と思ったとか
のんきなところのある母なので
それぞれの「すずさん」を思い出した。
小さいけれど、77年前の女子挺身隊員が一生懸命作りました
余り 多くは作れませんでした
義烈空挺隊のみなさん
くすっと微笑んでいただければ
母は本望です。