令和元年度空挺同志会沖縄支部主催 義烈空挺隊慰霊祭 第5報 | 沖縄 読谷村・摩文仁の丘 義烈空挺隊慰霊 全日本空挺同志会 沖縄支部

沖縄 読谷村・摩文仁の丘 義烈空挺隊慰霊 全日本空挺同志会 沖縄支部

摩文仁の丘に建つ、「義烈空挺隊慰霊塔」読谷村にある「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑をお守りし、毎年慰霊祭を実施し、義烈空挺隊を顕彰し、慰霊・鎮魂して、後世に伝える。

沖縄支部長にに続き、空挺同志会会長の追悼の辞

 

義烈の碑に相対する空挺同志会会長

空挺同志会会長は、義烈碑を見つめ、一つ一つ噛み締めるように、御霊に対し追悼の言葉を語られていた。

現役空挺隊員を代表して、副団長が追悼の辞を述べられた

 

義烈の碑に参列者が次々に玉串を奉奠する

 

玉串奉奠後、田中賢一先生からの追悼の言葉を事務局長が代読した

田中賢一先生は、陸軍士官学校52期 

陸軍落下傘部隊に初期から終戦まで在職、終戦時陸軍少佐として、

宮崎県にて、戦車部隊長として本土決戦を準備中に終戦を迎えられています。

陸軍士官学校では義烈空挺隊奥山隊長の1年先輩にあたります。

著書には、「あゝ純白の花負いて」「高千穂降下部隊」

そして、義烈空挺隊についての本「帰らぬ空挺部隊」があります。

現在、千葉県に在住、101歳になられております。

現在、体調を崩されていおります。

 

田中賢一著「帰らぬ空挺部隊」

義烈空挺隊について、最も詳しく書かれている

 

田中賢一氏追悼文

 

それ、大和民族は、時に隆退ありしも、神代より永遠なりき。

然るに昭和の御代に至りて世界の列強相手に戦い敗れたり。

 

特攻なる戦法を今の自衛隊に求める気は毛頭なきも、

国を愛する精神は堅持せざるべからず。

 

沖縄居住の同志が特攻戦士の慰霊行事を行うと聞き

感謝の念、禁じあたわず。

ここに一筆啓上す。

 

義烈空挺隊讃も田中賢一先生によるものである

 

義烈空挺隊讃

 

秋ソレ昭和20年5月24日夜 敗色既ニ濃キ沖縄戦場読谷飛行場ニ 突如強行着陸セシ

数機ノ爆撃機アリ 概機ヨリ躍リ出タル決死ノ将兵ハ飛行場ニ在リシ 多数ノ敵機オヨビ

燃料弾薬ヲ爆砕シ混乱ノ巻ニ化セシメタリ 為ニ飛行場ノ機能喪失スルコト三日間ニ及ビ

ソノ間我ガ航空特攻機ハ敵艦船ニ対シ至大ノ戦果ヲ収ルヲ得タリ

コレ我ガ挺進第一連隊ヨリ選出サレタル 義烈空挺隊及ビ第三独立飛行隊ノ壮挙ニシテ

両隊将兵百十三名全員ココニ 悠久ノ大義ニ殉ゼリ

後ニ続ク者ヲ信ジ日本民族守護ノ礎石トナリシ

将兵ノ霊ニ我ラ何ヲモッテ応エントスルヤ

昭和五十一年五月二十四日

全日本空挺同志会