「ろっこつレコード」をご存じ?

 

音を録音、再生する「レコード」のお話。

これは昔話だが、毎度おなじみの、埃をかぶりカビの生えた土留め色の当方の思い出話ではない。

 

なんとなれば、当方も知らなかった話だからだ。

 

先日、用事をしながらテレビをつけていた。

別に教養のためでも、趣味でも、勉学でもないが、偶々、某国営放送の、教育チャンネルだった。

 

「ロシア語」講座。

 

用事をしながら、観るでもなく、ぼんやりと聴いていると、「ろっこつレコード」なる、不思議な単語が耳に入ってきたのだ。

 

何の話?と思い画面に目を向けると、まさに「ろっこつレコード」が画面に映し出されていた。

 

 

ここで、すこしばかり、かび臭い大きい風呂敷を広げてみる。

 

昔「ソビエト連邦」という連邦国家があったのは、若い人でも知っているだろう。

 

今のロシアとその周辺国が連邦制度でつながっていた。

レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ・・・・・

既に、歴史の後ろの方に下がりつつあるソ連。

 

第二次大戦以降、朝鮮戦争からベトナム戦争を経て1980年代後半までが「米ソ冷戦」時代と呼ばれている。

 

基本的には、第二次世界大戦後の戦後ドクトリンの基盤となっていたのが、この冷戦。

 

米国主導の資本主義陣営(NATO)と、ソ連主導の共産圏陣営(ワルシャワ機構)が対立を続けていた。

 

「東西冷戦」とも呼ばれていたが、これは、ソ連側を「東側」、アメリカ側を「西側」と呼んでいたからだ。


そのソ連は、書記長に就任したゴルバチョフ氏が打ち出したレストロイカ、グラスノスチ政策を契機にして1989年に崩壊。

これで冷戦は終結するのだが、実質的にはソビエト連邦の経済的な破綻が最も大きな影響を与えた要素だ。

 

ゴルバチョフ氏は、自身の政策が最終的には崩壊につながると分かっていた確信犯だったと思う。

いずれにせよ、自身がリーダーを務める事になった、この国家。

その経済状況から、、どこかでいずれ崩壊するのは明白であり、その崩壊をソフトランディングをさせる事に腐心したのだろう。

誰かが引導を渡す必要があったのだ。

 

冷戦時代は、スパイの暗躍など、それぞれの安全保障をかけた、映画さながらの駆け引きが行われていた。

 

どうしても、破綻し崩壊したソビエト連邦が「悪者」にされがちだが、「イランコントラ」事件などは、米国が中東での覇権を握るため、共産圏側に武器を流して紛争を起こさせることにより武力行使の正当化を行うなど、資本主義陣営側も、まったくもってお行儀のよいものではなかった。

 

勝てば官軍だが、実質的な部分では、西側、東側、どっちもどっち、だ。

 

ソビエト連邦は、見切り発車した共産主義によって歪な形で誕生したものだった。

本来の「共産主義」は、資本主義の進化した結果生まれるものとされていて、資本主義社会が成長の限界に達した時にある意味では自動的に成立するもの。

詳しいことは専門家に委ねるとして、ソビエト連邦は、経済的に破綻したロマノフ王朝による支配に嫌気がさしたロシア国民に支持されて誕生したものであって、本来「共産主義」が想定しているものとは真逆の状態で誕生している。

 

いずれにせよ、ソ連が崩壊したのは事実であり、共産主義の実験、試みとしては完全に失敗した。

国営化、すなわち、経済活動を含めて、すべてを「役所」が行うため競争原理が全く働かず、あらゆる分野で「進歩」「進化」が停滞。

まあ、唯一対西側と言う「競争原理」が働いた軍事の分野だけは成長したが・・・・・

 

東側の各国は、明らかに経済力が劣り、「やはり資本主義の方が良いのでは?」との論調が生まれるのを嫌う。

このため、西側からの情報の流入を排除しようと躍起になっていた。

 

文学や映画、思想はもちろん、音楽も同じだ。

 

 

特に「ロック」などは、堕落した西側社会の象徴であり、唾棄すべきもの、だった。

 

その西側では、東側に対するメッセージよろしく、ステレオタイプ的に、抑圧、弾圧された若者が禁を破って「ロック」する、なんてPVが流行ったものだ。

 

一方の東側でも、抑圧、弾圧に対して、はみ出すアウトローが必ず出てくる。

 

中国にも、「ハードロックバンド」が登場した。

 

歴史の中に埋もれてしまっているが、1980年中ごろだったような記憶がある。

登場したが、即拘禁され再教育施設に送られたという、「ドラゴンズ」なるバンドだ。

 

以下、音源だけ、だが。

ほぼ、この状態の音源で売られていたもの。

海賊版とかコピーを重ねたもの、とかではない。

 

ちょっと、引くレベルの・・・・

レベル。色んな意味で。

 

 

構成は、ドラムとギターとバイオリン。

ともかく音質が悪く、ベースは居るのかいないのか、良く分からない。

なんと「アナーキー・イン・ザ・UK」らしきものもコピーしているので、相当の覚悟はもっていたと思う。

反キリストと言う部分では、唯物論には合致しているだろうが、「無政府主義」はまったくもってよろしくないだろう。

 

おそらくだが、彼らもSEX PISTOLSが反権威主義的なパンクである事は知っていただろう。

しかし、残念なことに、曲はカセットテープなどで隠れて入手できたが、歌詞は入手できなかったようだ。

もちろん、当時の中国では、英語にも触れる機会もなかっただろう。

「アナーキー・イン・ザ・UK」らしきもの、としたのは、歌詞が思いっきり、出鱈目なのだ。

中国語で適当に作ると言う方法もあっただろうが、英語っぽい雰囲気で歌っている。

 

本当にギリギリの線でやっていたんだろうな、と思えるのは、サビの部分だ。

「Cause I wanna be Anarchy」ですら、「あーあーあーあー、あーなーなー」と歌っている。

要は、全編絶叫ハミングなのだ。

この曲のメッセージ部分の歌詞も知らなかった可能性が高い。

 

もちろん、その他のオリジナル曲(と思われる)は中国語。

これはこれで中国語が解らないので、どんな内容が発信されているのかについては不明。

 

現在、音源しかないが「山水」がどうのこうの、のようなタイトルの曲があったので、歌詞はさほど反体制ではないように思えるが再教育施設送りとなったので、何かしらの問題を含むプレゼンだったのだろう。

 

これは、カーステで流していた所、同乗者全員から「気持ち悪くなるから消してくれ」と言われた代物だった。

大変残念ながら、彼らの音楽が発するメッセージが、どういう目的であったのか、は別にして、正直、社会に悪影響をおよぼす怖れがあったとは、まったく思えない仕上がり。

 

時代が悪かった。ドラゴンズは、生まれるのが早すぎた。

みたいな英雄譚ならば面白いのだろうが、これは、ちょっと・・・・。

 

ドラゴンズは、中国国内で発禁になったのだが、そもそも「発」されたものかもはっきりとしない。

 

「中国国内で発禁になった、中国初のハードロックバンド!」

 

センセーショナルな見出しに誘われて、レンタルレコード店で借りたのだが、西側でも売れたとか、話題になった、と言う記憶はない。

 

音源を聴けば然もありなんではあるが。

 

その後、バーンかミュージックライフあたりで、当局に拘束され、再教育施設に送られたとの小さい記事を見た覚えがある。

 

さて、本題の「ろっこつレコード」。

 

こちらも、当局に目を付けられたもの。

ドラゴンズが、中国国内でどのような媒体を使って自身の曲を広めようとしたのか判然としないが、「ろっこつレコード」は、ソ連でアングラで広がった媒体だ。しかも、時代がさらに遡る。

 

アングラと言っても、ジャンルとしての「アングラ」ではない。

正に、アンダーグラウンド。

または、ブートレグと言うか、ある意味これこそ本当の海賊版。

下手すりゃ、逮捕拘禁される禁制品だ。

 

「ろっこつレコード」は、その名の通りのレコード板。当時禁制になっていた、欧米の普通のポップスや、ロックをデュプして流通させていたものだ。

その意味でも海賊版と言える。

なぜ、「ろっこつレコード」かと言うと、見たままで骨が描かれたレコードなのだ。

正しくは、骨の絵の上に音が刻まれていることになるのだが。

 

上の写真では、手の骨レコード。

その他、頭蓋骨レコードなんかもある。

 

なぜ、こんなレコードが生まれたのか。

 

西側の音楽が刻まれたレコードの製造は、もちろん違法なので、当局に隠れながら行っていた。

このため、レコードに適した塩化ビニールが入手できず、考えられたのが、廃棄されたレントゲン写真を使ってレコードを作ることだった。

なので、「ろっこつレコード」と呼ばれるものができあがる。

 

レントゲンのフィルムは、塩化ビニールではないが、音を刻むには適していたのだろう。

燃えやすい、薄い、などの欠点はあるが、円盤にするために一定のサイズが必要で、そのサイズを満たしてかつ入手可能で、音を刻めるものとして、廃棄されたレントゲン写真のフィルムに目を付けたのだそうだ。

レントゲン写真をレコード盤形に切り取り、録音したと言う。

レコードの中心軸たる、真ん中の穴は、なんと、タバコの火を押し付けて開けたそうで。

まあ、タバコなんで、まん丸な穴はあくが、位置決めなどいい加減なもので、あきらか中心から穴がずれたものもある。

ただ、レコードの針のアームは左右に動くので、中心が多少ずれても、再生はできたようだ。

 

このろっ骨レコード。

抑圧された社会への高邁な反骨精神。

自由を求めて音楽を聴く!

 

みたく、なんとなく、レジスタンス的な、英雄的な臭いもするが、どうもそうではなく、茶目っ気、商売っ気たっぷりにやっていた様子だ。

 

放送で音を聴いたが、薄っぺらく音質も良くないのだが、ちゃんとレコードとして使えるもののような感じだった。

雰囲気、ソノシートのようなもの。

まあ、ソノシートも「ろっこつレコード」並に歴史上の物となりつつあるが。

 

1950年代から1960年代までの間、カセットテープに置き換わるまでの間、東側の人々が西側の音楽に触れる機会を提供したものだった。

 

これ、ともかく燃えやすく、もろいものだった。

そのうえ、大量生産されたものでもない。

 

現在、プレミアがついてとんでもない価格で取引されているそうだ。

 

うーん。

 

現時点をもっても、コレが、違法コピーであることには違いはないのだが・・・

 

歴史的遺物なんだろうなあ。

怖体験なんだヨー。

エピローグ

 

01:30 脱出


心理的な恐怖も、寒気も、バックミラーに映る気配も「対向車」のリスクに気づいてからと言うものの、完全に一掃されていた。

 

黄色いヘッドライトは二度と現れることなく、また夜中だった事も幸いしてか、他の対向車とも会わず、そのまま20分ほど、ゆっくりと走って、ようやく広い道に出た。

もちろん、その20分も悪路の物理的恐怖に変わりはない。

 

ようやく次から次へと現れるカーブが緩やかになり始め、最後は緩やかに左に曲ると、突然2車線幅の道が現れて、灯り、人家が見え、無限の道幅から脱出する事ができた。

 

最後のカーブ直前では、タウンエースの右後後輪が、おそらく崩落部で滑ったはずだ。

 

ヤバい、と思い、前方のカーブが緩やかだったので咄嗟にアクセルをふかして脱出した。

会社のタウンエースが4駆だったから助かったのかも知れない。

 

3台あった会社のタウンエースで、唯一の4駆だ。

 

他の2台はFRだったので、下手すればハマっていた可能性もあった。

 

既に、午前2時も近い。

 

辺りは静まり返り、灯りも街灯や消防小屋の薄暗いものだが、生活の息吹が感じられた事が何よりありがたかった。


 

翌日と言うか、もう当日だが、朝の9時には会場に入らないといけないので、当然に園子の実家はあきらめて家路についた。

 

とはいえ、恐怖の山道からは脱出したものの、そもそも何処かさっぱり分からない場所で、家路につく事になるので、文字通り右往左往してようやく国道477号、通称ヨナナに乗り、実家に戻ったのだ。

午前3時に近かった。



実家についたら、まさにバタンキュー。

そのまま寝て、渋滞もあるので早起きして、会場に向かった。

インテックスに隣接した駐車場にタウンエースを停める。

 

昼食に、行こうとなり、タウンエースを出したのだが・・・・

 

先輩が開口一番。

 

「げっ!!これ!!!お前???」

 

タウンエースは、東京を出る前に、会社で契約しているガソリンスタンドで給油して、軽く洗車してもらっていた。

 

と言うか、先輩が給油も洗車もしてくれていたのだ。

 

ところが、翌日現れた、タウンエースは、オフローダーのごとく、ドロドロ。

 

フロント部分には葉っぱや激突した虫が貼りつき、後部ドアには、小枝が挟まり、ホイルは泥まみれ。

 

なんともかんとも、言い訳もできず、スンマセン、と。

 

そんなオハナシですた。

 

そして、結局、あの日に見た、黄色いライトの正体は不明なまま。

 

夜中に訪ねてみようとして、なハナシだと無茶、気味悪い奴みたいなんで、園子には、もちろん園子の父親にも、この話はあえてしていない。

 

さて、この道だが、今うっすらと残っている記憶から、一応特定はしている。

 

今も使っている方もいらっしゃるだろうし、そもそも、一応の特定なので間違っている可能性もあるため、場所についてはここでは触れないことにする。

 

それに、もし合っていたとしても、今から30年も前の話。

道路も改善されているだろうし、特定した道ではなかった場合、もしかすると、道路の廃止、と言う可能性もある。

 

その一応の特定をした道を、グーグルのペグマンさんに見てもらったが、記憶が蘇るものでもなかった。

ペグマンさんは昼間で、こちらは真夜中。

もし、同じ道だとしても景色もまったく異なるだろう。

 

その道が正しいとして、ペグマンさんが見た景色からして、今一度、昼間でも良いからタウンエースでその道を走るか?と問われれば、即座にお断りする、と言う感じだった。

 

さて、特定した道で合っていたとして、現在の地図を見ると、やはり、どう考えても、その後黄色いライトがもう一度対向車として現れなかったのはおかしいのだ。

 

車のライトにしては、光量が弱いような気がしたが、確かに2つ、等間隔で揺れて動いていた。

 

もちろん、当時は別に道がついていた可能性はあるのだが、なんせナビもスマホもない時代なので、自身がこの道のどの地点にいるのかがまったく分からなかった。

なので、その後も常にU-ターンできる場所も探しつつの運転していた。

広い道に出るまでは、左右には気を配っていたが、分かれ道はなかったのは間違いない。

よって、当時も左右に分かれて消えた可能性は低い。

 

そもそも、その車は当方が出た広い道にいて、そこから、どこかに行ってしまった可能性は否定しないが、ライトを見た位置、その後に走った距離から考えても、あの広い道が見える場所ではなかったはずだ。

 

可能性としては・・・・

 

①山道にいたが、ライトを消してバックして去っていった。

②光の屈折か何かで広い道にいた車がたまたま見えた。

③あれは、車ではなく、夜中に山中で作業をしていた人の明かりであった。

④静かに谷底に落下した。

⑤それとも・・・・・

 

なのだが、おそらく③の可能性が高いような。

ただ、既に午前3時頃だし、どんな山中での作業があるのかは分からない。

怪しげな作業もあるかもしれないが、場所柄からは、猟にかかわる何か、の可能性も否定できない。

 

あれは、なんだったんだろ?

怖体験なんだヨー。

最終話:真の恐怖

 

なんだ??

 

 

はるか前方に

非常に弱々しい

黄色いライトが

ふわふわと

2つ並んで見えたのだ

 

そのライトは

揺らぎながら

動いている

 

 

2つ並んだ黄色いライトは、その並んだ幅を維持しながら、動いているように見える。

 

車だ!!!

 

誰かがいる!

 

現世の誰かがいる!!

 

こんな時間のこんな場所で出会う人の気配と言うものは、通常は恐怖なのだが、その時は違った。

 

「ここは、まだ現世なんだ」と確認できた安心感の方が強い。

強烈な孤独感からの開放。

まさにモノノ怪の世界の扉が開き、誰かが入ってきてくれたのだ。

 

今と違い、当時の自動車のヘッドライトはハロゲン灯で色は黄色かった。

多少光量が頼りない感じだったが、左右均等な黄色いライトは自動車のものに違いない。

 

突然、視界の右側から現れ、左にゆっくり。

ゆらゆら、小刻みに揺れながら、林の木々の間を縫って動いている。

 

そんなに距離は離れていないような気がする。

しかし、車のライトにしては揺めき方に違和感があるような気もする。

 

ん?

消えた!

 

そのライトは数分間、明るくなったり、暗くなったりしながら、左右にうごめいていた。

ゆっくりと、左側に移動していたが突然消えてしまったのだ。

 

 

?!

 

01:00 黄色いライト

 

しばらくライトが消えたあたりをじっと見つめていた。

木陰や、カーブを曲がってライトが見えない位置に消えたのだろう。

そうだ、また、陰やカーブを抜けてくればライトが見えるはずだ。

 

ここで、止まっているのも怖いのだが、消えたライトが気になって仕方がない。

 

10分ほど、止まっていたと思う。

 

しかし、黄色いライトは、2度と現れなかった。

 

!!

 

あれは

 

霊的な何か

 

いつか

 

この道で転落した自動車

 

その

 

幽霊自動車に違いない

 

ついに

見てしまった。

 

背筋に走った

冷たいものが

全身に広がる

 

ありとあらゆる

毛穴に

鳥肌が立つ

 

 

正直、このまま車内で夜を明かそうか、と考え始めた。朝日が上り、明るくなれば、夜の山を支配する何者または何物かから解放されるかも知れない。

 

「ああああ、どうしよう!」

 

もう、打つ手はない。

 

この道ではバックすれば、いくらも進まぬ内にタウンエースごと転落するのは間違いない。

今、確かに言えることは、それだけ。

 

戻ることだけは、絶対にできないのは分かっている。

 

無理だ。

 

選択肢は、「進むか」「ここで夜を明かすか」に変わっている。

 

この呪われた山で

夜を明かすのか?

 

ここでは、霊感の強い方ならば、絶対に何かが見えただろう。

 

そういう意味では、霊感皆無の私ですら、見えた幽霊自動車のライト。

 

相当に、強い霊的な何かがここを支配している筈だ。

 

確かに、この山道は、呪われている。

なにか恐ろしい霊や物の怪が支配するこの道。

そして、右側には崖、左側には溝。

路面は荒れ、ところどころには、落下物もある。

これは、恐怖以外の何物でもない。

 

!!!

 

しかし

 

 

これらの恐怖ですら

 

一瞬にして薙ぎ払う

 

最強レベルの

 

恐怖が私を襲う

 

 

そうか!

さっきの

のライト!

 

 

そこで

私は

気づいて

しまった!!

 

 

最大の恐怖

それは・・・・

 

 

幽霊自動車

ではない!

 

 

最大の

恐怖・・・・

 

 

それは

間違いなく

 

 

リアルな

対向車だ!!

 

 

 

この山道には、最初から違和感があった。

 

あきらかに

この道は何かが違う

 

と何度感じた事か。

 

当初、その違和感は超常的、霊的な何かが支配する道だから、だと確信していたのだが、違う。

 

そうではないのだ!

 

過去何度も、走ってきた、夜中の、細く、暗く、曲がって、危険な他の山道との決定的な違い。

 

それが、この違和感。

 

この道には、これまでの道と決定的な違いがある。

 

それは・・・・・この山道には、

 

離合スペースが

まったく

なかったのだ

 

過去、悪路の山道は、何度も走っている。

真夜中に走ったこともある。

 

しかし、どんな道でも、いや、むしろ道が細く酷な悪路であるほど、必ず対向車をやり過ごすための離合スペースが、一定の距離を置いて必ずどこかにあるものなのだ。

 

しかし、この道を相当な距離走ってきたのだが、

 

ここまで、離合、退避スペースがまったくなかったのだ。

 

そもそも、U-ターンできる場所を探していたし、実際に転落の危険もあるので、道の左右には常に注意してきた。

 

思い返しても、離合スペースを見た記憶がない。

 

ここでは

霊や物の怪に

出会うよりも

 

対向車

出会う方が

 

遥かに

 

恐怖であり

 

脅威だ

 

経験から分かるが、このような、山を挟んで集落と集落をつなぐ山道が一方通行であるはずがない。

 

それに、一方通行ならば、あれほどの数のカーブミラーも不要だ。

 

対向車が来る可能性が・・・・・ある。

 

仮に、霊や物の怪が車内に乗車してきたとしても、そのままどこかで降りるまで、どうぞ乗っていただいて結構。

 

対向車さえ、こなければ、だ。

 

一刻も早く、この道を抜けないといけない。

 

先ほどのヘッドライト。

 

幽霊自動車かと恐怖したが、この時、正直、幽霊自動車であって欲しいと真剣に思ったのだ。

 

またぞろ、あの黄色い薄暗いヘッドライトが見えたら、今回は違った意味の真の恐怖となるはずだ。

 

次回 エピローグ

 

恐怖体験なんだヨー。

第八話:黄色いライト

 

だんだんと頭が混乱しはじめた。

 

これは、実はどこにも続いていない無限の道なのではないか、などと真剣に考え始める。

 

今のように、ナビやスマホでもあれば、「この先」を知ることができるのだが、紙の地図すら手元にはなく、この先、どの程度走る必要があるかすら、まったく分からない状態だ。

 

U-ターンでも、山道から抜け出るでも良い、早くなんとかしたいのだが、いくら走っても、まったくその気配が欠片すら感じられない。

意味もなく、窓を開けたり、閉めたり、ラジオを回したりと、気を紛らわせながらも、運転に集中する。

 

「早くなんとかしたい」、が、できない。

 

当然、この道ではスピードなど出せない。

時速10~20kmで薄氷を踏む思いをしつつ、山全体に覆いかぶさり、タウンエースを包み込むような心理的な恐怖におびえながら運転を続ける。

 

たまに、小岩や太い枝が落ちているが、道幅は左右にまったくゆとりがなく、それらを避けることもできないため慎重に踏みながら前に進むしかない。

必要などまったくないのだが、何度もバックミラーを見てしまう。

がらんどうの広い車室に、あってはならない、いてはならないものが居ない事を確認したいのだろう。

曇った窓に映る車内の薄暗い反射像も恐怖だ。

 

しかも、タウンエースなので、後ろが長く、この極狭の悪路ではハンドル操作が難しい。

進めば、進む程、山から流れ出た水が横切っている箇所が増えてくる。

その部分の右側は崩落している可能性があるため、水が見えたら、溝がないことを確認して少し左側に寄せて運転する。

遂には、数メートルに渡って道の右側が崩れている場所も出てきた。

 

この先、どこで道が完全に崩落していてもおかしくない。

 

さらに、「行燈」あたりから先、走っていると、突然背中の上から下にかけて寒気が走るのだ。

 

それも、ヘアピンに差し掛かるとき、や、右の白い線が消えているとき、の緊張が走るときに、ではなく、周期的に寒気が走る。

 

これは、きっと何かの超常的、霊的なものの波長の中に入り込んでいて、その波に当たって寒気が襲ってきているに違いない。

 

「ガサガサーガガガ!!」

 

そこは、路面に水が流れていた場所だった。

 

右側の崩落を恐れて車を左に寄せつつ、カーブに沿ってゆっくりと左に曲がった時、車の左側で異音がした。

 

これは、超常的、心霊的なものではなく、明らかに物理的な音だった。

枝か、なにかが当たったはずだ。

 

後から確認すれば良いのだが、これは会社の車だ。

 

こんな状況でも、ともかく見ておかなければ、とはサラリーマンの性。

やむを得ず、車を停め、ドアを開ける。

 

そして、まずは死ぬかと思った。

 

車を降りようとしたが、運転席側には足を下す場所がない。

崖、なのだ。

案の定、道路の端が崩落していて、足を下すにも、靴1足分くらいしか余裕がなかったのだ。

左側で音がしたので、反射的に右に少しハンドルを切っていたのだろう。

 

真っ暗闇の中、そのまま降りていたら、大変なことになっていた筈。

 

しかたなく助手席側に移り、ドアを開け、左側の音がしたあたりを確認。

崖に転落などすればそれこそ大事だが、都会のインテックス大阪近くのホテルで別れたばかりで、翌日にタウンエースにキズでも付けて展示会場に現れたら何を言われるか分からないので、ともかく確認したかったのだ。

特に車に異常はないように見えた。

 

そこまでは気づいていなかったのだが、ムシムシした暑さは消え、外は真夏だというのに、肌寒い。

ずっと気になっているのだが、ここでも虫の声は聞こえず、どこからか「うおーん」と言う声のようなモノが聴こえている。

 

すると、車内から突然「バン!ぼわん、わん、わん」と気味の悪い音が聞こえた。

 

うわっ!

 

思わず声が出た。

 

音の正体は、助手席にシートベルトで固定してあったギターが落ちた音だが、パニックだ。

 

冷静に考えれば、運転席から降りられず、助手席から降りたので、その時にギターを固定していたシートベルトを外していたので、ギターが脱落したのだろうが、そんな事を考える余裕はまったくない。

 

ともかく、車内に戻りギターを固定して、車をスタートさせる。

 

走りだそうとすると、なんと立て続けに、車内灯が突然切れたのだ。

 

盛っているような話だが、まぎれもない事実。

 

これは致命的に、怖い。

 

ブレーキを踏んで、またぞろ車を停めた。

切れたこと、ではなく、切れたタイミングだ。

 

泣きそうになるほど、怖かった。

おそらく、人生で前にも後にも、心理的に、これより怖い思いをしたことはない。

 

過去、夜中に細くて暗くて、危ない府道、県道は何度も走ったことがある。

箕面あたりには、このような道は沢山ある。

 

しかし、ここは一番怖かった。

 

この道は、この山は、間違いなく、呪われている。

 

細い道、崖の物理的な怖さよりも、心理的な怖さが強い。

と言うか、物理的な怖さが、心理的な怖さをブーストしている。

 

そして、この道に感じている、強い「違和感」。

 

100%確実なのは、バックで戻ることはできないこと。

ここまで走ってきた道をバックで戻るなど、絶対に不可能。

ともかく後ろには戻れないので、怖かろうが、これがどこにも行く先のない無限の道だろうが、前に進むしかない。

 

とりあえず、落ち着こう。

 

ハンドルを握る手が震えているのがわかる。

手の震えが止まったら、車をもう一度スタートさせるつもりだった。

 

あれはっ!?

 

最終話:真の恐怖 に続く

 

恐怖体験なんだヨー。

第七話:無限の道

 

00:30 京都側

 

京都側に入ると、悪路はその「悪」の度合をさらに強め、それまで流していたFMラジオの電波状態までも悪くなりはじめる。

 

最後には、人払いしたが如く電波も去っていってしまった。

 

AMに切り替えてみたが、こちらも「ザーザー」音が鳴るだけ。

ラジオを消すと外の音が聞こえるのだが、さっきまでと何かが違う。

 

ここでは、不思議と虫の声が、ほとんど聞こえないのだ。

 

 

代わりに、「おーん おーん」と、遠くから人の声とも動物の鳴き声ともつかぬ聞いた事のない声や音が聞こえる。

 

聞いてはならぬ声が、どこからか聴こえそうな気がして、あえて「ザーザー」とラジオを鳴らし続ける。

 

園子の父親は気さくな話好きの面白い人で、料理旅館を営む何代目かの人。

元々は、街道の茶屋だったそうだ。

旅館のある地域は歴史のある集落で、しかも京都。

旅館でごちそうになった際に、アルコールも幾分か入り、その地域に伝わる、怖い話とかいろいろしてくれていたのだが、近くで、電気設備と温泉水を運ぶ仕事をしている兄に輪をかけて気さくな弟(園子の叔父)さんも加わって、いろいろな話をしてくた。

 

こんな時に限って、その話が、次々に思い出されていく。

 

戦時中の生々しい話、奇習、言い伝え、落ち武者、古戦場に纏わる話、旅館に今もいる物の怪、沼の向こう岸の人影と白い猫の話、とか。

そして、一番印象に残った、というか、今の私の置かれた状況に関連しそうな話が気になっていた。

 

園子の父親と叔父が子どもの頃、友達と山で遊んでいて、岩と岩の間に挟まった古びた木簡を発見した時の話。

 

「近所」と言っても昔の田舎の尺度での近所だが、近所の山に、友達と「基地」を作っていつも遊んでいた場所があった。

 

地域では古くから「イワノ」呼ばれていたその場所には、古い祠のようなものがあった。

 

「ようなもの」とは、子どもだから祠と言うものがよく分からなかったと言うわけではなく、岩が積み上がっているだけ構造物だったため、それが何か良くわからなかったからだ。

 

ただ明らかに自然のものではなく、人の意思によって作られた物だと分かるものだったそうだ。

 

祠の裏手には、大人が腰をかがめればやっと通れそうなトンネルか洞窟か、人為的なものか自然のものかは分からないが、入り口みたいなものがあった。

 

おおよその子どもであれば、探検したくなるだろうが、随分昔から、その入り口は埋め戻されていて、中の様子は伺えなかった。

 

 

暗黙の了解のようなものがあって、この入り口を崩したり、中を覗こうと言い出す友達は誰一人いない。

 

そのトンネルの入り口跡の横手に、比較的最近に岩肌が露出したような場所があり、そこの岩と岩の間に、ちょうどタバコの箱が入る程度の隙間があった。

 

そこに誰かが意図的に「隠した」ような雰囲気でその木片が半分埋まっていた。

 

気になった園子の父親が取り出してみたのだそうだ。

 

その木片は、随分古いもののようで、何か文字が書いてある木簡だとはわかったが、難しく崩された文字は子どもには読めるものではなかったと言う。

それを家に持ち帰り、家にいた母親と祖父に見せたところ、みるみる祖父の血の気が引くのが分かったそうだ。

 

祖父は木簡を取り上げて、慌てた様子で集落の長の家に向かう。

母親に尋ねても何も答えてくれない。

 

数日後、集落の神社で集落のものが集まり、お祓いのようなことをしていた。

 

その後、園子の父が拾った木片がどうなったのかは知らないが、祖父からは「イワノにはもう行ってはいけない。特に岩の祠には絶対に近寄ってはならん」ときつく言われた、と言う話だった。

 

これが嘘か本当かなど、どうでも良かった。

 

この話が頭から離れない。

 

もしかして、その山に、入り込んでしまったのだろうか。

ここは呪いが封じ込まれた山なのだろうか。

 

タウンエースは、ご存じの通り、運転席が車両の前端部にあって、後部は広々とした貨物スペース。

カタログをめいっぱい積んできたので、今は、完全にがらんどう。

さっき受け取った12弦ギターは「ケースは要らんわ」と裸でギターだけ受け取り、助手席にシートベルトで固定して積んでいた。

 

それが、車がガタガタするたびに「ほわん、ほわん」と超不気味な音を立てる。

窓を開けると、さらに共鳴して不気味さを増した。

 

ラジオの「ザーザー」に「ほわん、ほわん」。

 

既に道は最恐の悪路と化している。

運転にとっては外の音が聞こえないと、それはそれで怖い状況になってきた。

ラジオを消してみたが、これは余計に怖かった。

 

そして、後部が広いタウンエースの薄暗い車内が、恐怖を煽る。

何もない筈の広い空間が背後にある状態で、運転のため前を見ていなければならない状況ほど、怖いものはない。

折からの湿度に加え、マックスに達した緊張からか、車室の広さにもかかわらず、タウンエースの窓が曇り出す。

 

バックミラーを見るたび、車内に何かがいる気配を感じる。

車内灯と、差し込む月明かりのせいだと信じたいが、曇ったリアガラスに何か動く影が映ったように見えた。

 

既に、前さえ見ていればよいような状況ではなくなっていて、極狭の道なので、U-ターン可能な場所を探すためだけではなく、脱輪、滑落に注意するために左右に気を配らなくてはならない状況なのだが、左右の窓がうっすらと曇って見えにくい。

 

曇りを取るために窓を開けると、不気味な声や音が入り、風を受けたギターが「ほわん、ほわん」と恐怖のメロディを奏でる。

しかも、たまにラジオから男性の声が聴こえるのだ。

と言っても、ラジオだから当たり前だが、それも恐怖の一因となった。

 

「ザザザー、うっ、ザザザー」

「ザザザー、では、ザザザー」

 

消せば良いのだが、更に不気味になるので消すに消せない。

 

すでに、これまで経験のしたことがない、細く、暗く、路面状態の悪い、山道に入ってしまっている。

絶対に引き返した方が良いのだが、もう時はすでに遅し、だ。

 

どこまで行ってもU-ターンする場所が全くない。

仮に、U-ターンしても、今来た悪路をもう一度走った挙句、また「行燈」に遭遇するかもしれないのだ。

所々に立っている汚れたカーブミラーはひん曲がり、劣化して表面が白化した鏡は歪み、そこには映ってはいけないものが映し出しているように見える。

 

「落石注意」看板は、明らかに落石にあたって折れ曲がり、既に看板としての役割を果たしていないが、その看板は、文字情報としてではなく、折れ曲がることによって身をもって落石の危険性を教えてくれている。

 

道路の右が谷側だがガードレールがない。

断片的に白いラインが引かれている。

もちろん、これは車線を示すラインではなく、ガードレールがないので「これより右側は谷」である事を示すものだ。

これ以上に右によれば落下します、と事務的に淡々と伝えてくれている。

ラインのない部分の中には「ラインが引かれていない」のではなく、「ラインがなくなってしまっている」場所もある。要は、道路の右側が所々で崩落しているのだ。

 

尾根道ではないので、道の左は山側となる。

タウンエースを上から押しつぶそうとしているかのように、谷に追い落とそうとしているかのように、生い茂る木々の枝が張り出している。

山裾と道の間には、山から流れ落ちる水を流すために微妙な幅の溝が掘ってあり、中には脱輪しそうな所もある。

 

道幅が狭くなっている場所では、溝のない部分があった。

そこでは、脱輪のおそれはないが、道が狭くなってしまっているうえ、山から流れてくる水が道路を左から右側に横切っている。

そのような場所では、水と上にタイヤが乗ると滑りそうで怖いのだ。

 

さらに、その場所に限って「白いライン」がなくなってしまっている。

こんな道に溝なんかいるのか?と思っていたが、道の崩落を防ぐために必要なのだと合点した。

 

水が絶えず流れていると、その流れが落ちる角にあたる道路の右端は劣化するのだ。

狭く、滑りやすく、その上道の谷側が劣化している可能性があり、細心を相当に重ねないと危ない。

 

つづら折りならばまだしも、まったく先の読めない無茶なカーブと、ヘアピンの連続。

 

おおよその山道の場合、よほどの事がないかぎり、なんとなく次の展開が読めるのだが、この道は駄目だ。

 

おそろしく古い道なのだろう。

 

傾斜や角度を計算して論理的に作られたものではなく、進めそうな、工事しやすそうな部分を選んで道とした、典型的な古道。いわば、無茶苦茶な線形をしている。

 

そして、「古い道」であるとの意識が頭にインプットされたことにより、園子の父親と叔父の話と相まって、恐怖を強烈に演出しているのだ。

 

あきらかに、この道は何かが違う。

第八話:黄色いライト に続く

恐怖体験なんだヨー。

第六話:迷い子

 

ゆっくりと車を進める。

 

この様な道では、普通、真夜中であっても普通は左右に木々や住居、倉庫、ビニールハウスなどが見えるものなのだが、ここでは闇しかなく、何も見えない。

おそらく、集落の外れに差し掛かっているのだろう。

 

道は、次第にさらに細く、路面状態も悪くなっていく。

 

畦のようなものがチラチラと見えているので、左右には田畑があるはずだが、それもまったく分からない程の暗闇。

 

大きなカーブでもあれば、道の左右のいずれかを見ることもできるのだが、道は何かを吸い込もうとしているように、不気味なほど真っ直ぐ続いている。

 

通常、暗闇の中左右から木々が覆い被さるような道も怖いものだが、この時はじめて、左右に何も見えない事がそれにも増して怖い事を知る。

 

唯一の救いは、平野部だった、と言うことだ。

 

さっき「行燈」の列とすれ違った際に、ラジオを消した事を思い出した。

 

 

ラジオの音は「行燈」の人々に対して失礼、と言うか、タウンエースの存在ですら許されないだろうと思っているところ、これ以上刺激してはいけないと思い、慌てて消していたのだ。

ラジオのスイッチを入れるが、すでに捉えられる放送局の数も少なくなり、先ほどより電波が弱くなっている気がする。

 

独りぼっちだ。

 

平野部だが、何もないにも程がある。

今やラジオだけが、外界、自分以外のひとけとの唯一のつながりになってしまっている。

 

すでに園子の実家もなにもなく、なんとかしなければならない状態に陥っている。

 

しかし、京都府に入ってからと言うもの、道の状態が恐ろしく悪くなりはじめる。

 

自治体が切り替わり、県道が府道になり、道が一変。

走っている私にとっては1本の道だが、実際にはここは、繋がってはいるが2本の道なのだ。

 

京都府にとってのこの道は、兵庫県にとっての評価よりも、明らかに低いのがわかるし、境界前後で状態が異なっていることから、国道でないことも分かる。

 

そもそも、数字は覚えてないが、ヘキサ看板(府道や県道を示す)を見たので林道などでもなく、この道は県道、府道だ。

当時は考えもつかなかったが、この先で私が陥った状況を、この道は予め示していてくれたのだ。

 

そして、この時点で想定しうる最悪かつ最も可能性の高い事態が発生。

 

入り口

 

そう、案の定、山道が始まってしまったのだ。

 

ともかく、再びタウンエースを停めた。

落ち着こう。

 

少し窓を開ける。

 

「ぶおーん、ぶおーん」

 

アイドリングするエンジンと、虫の声、弱々しいラジオの声に混ざって、何か分からない音が不気味に聞こえる。

霊感などまったくないのだが、間違いなく、これは入ってはいけないエリアに足を踏み入れた者に対する警告だ。

 

やはり、ここはU-ターンしかない。

 

「行燈」の恐怖から、ここまで前進してきたのだが、現時点では、さっきみた青看板の「国道9号線」文字が、唯一の生還へのキーワード。

「行燈」には失礼して、U-ターンを決意した。

 

しかし、決意を他所に、ここにはU-ターンできる場所がまったくないのだ。

 

ついでに言えば、U-ターンは意識の中に常にあったので、ここまでも道の左右には注意を払っていた。

 

ここまでもタウンエースがU-ターンできる場所はなかった筈。

唯一U-ターンできそうな場所は、まさに「行燈」を見たあたりが最後だ。

 

戻るとしても、そのまま「行燈」あたりまでバックしないといけない。

しかも、真っ直ぐな道とは言えどもバックするにしても相当な距離だし、実際に試したのだが、光量が足りなくて道が見えず、非常に危険だ。

 

おおよそ、この手の道の場合は軽トラックの取り回しに必要十分程度に設計されている。

おそらく、昼間で軽トラックであれば、Uターンできる場所もあっただろう。

しかし、幅も、長さもあるタウンエースで、しかも真夜中に、無理にUターンしようものなら脱輪しかねない。

 

他の選択肢はなく、目的をU-ターンできる場所を探すことにして、このまま前進して走り続けることにした。

 

しかし、見方を変えれば、ここまでU-ターンできなかったと言うことは、左右に分かれる道もなかったことでもあり、それは青看板に書かれた土地名に向かっていると言う意味では、道は間違ってはいないことも示している。

 

最悪、この道をこのまま突っ切ることになっても、どこかの見たことのある名前の土地に出るのは間違いない。

 

突っ切る先があれば、の話だが。

 

次第に山を登りだす。

 

平野部での直線が嘘のように、道は曲がりくねっている。

どこかで、道の状況が多少は良くなってくれるかも、との期待をしていたが、現実は真逆になる。

この道は、これまで経験したことのないレベルの悪路へと、姿を変えていく。

一台がやっと通れる、から、一台はどこまでなら通れるかを試したかのような幅になってきた。

 

これが、この先で私が陥った状況を、この道が予め示していてくれた事だった。

 

兵庫県側の端までは、相当に狭いとは言え、まだましな道だが、境界を超えて、京都に入った途端に極端に細い悪路になった。

兵庫県としては、先程の「行燈」の集落があるため、その生活圏の県側の道を必要な範囲で整備している。

生活圏に近い、すなわち人の営みがあるから、道もある程度は整備されているのだ。

 

それが、京都府に入った途端の悪路化。

これを京都側の立場から見ればわかる。

 

その道は整備される必要がない、ということだ。

すなわち、ここまでの悪路となっていると言うことは、京都側から見れば、ここは整備の必要のある人の営み、生活圏から相当に離れている、と言うことだ。

 

この先、相当な距離を進まないと生活圏まで辿り着くことはない。

だからこの後、道はそう簡単には良くならないはずだったのだ。

 

この時は、そんな事まで思い浮かびもしなかった。

 

第七話:無限の道 に続く

 

恐怖体験なんだヨー。

第五話:行燈

 

その行燈が揺らめく幻想的な光景に、暫く見とれていた。

と言いたいところだが、そのような感覚には微塵にもならず。

 

 

それは、その集落と住人にとってみれば、明確な目的や理由、意味のある行為であり、そのような場に紛れ込んだ私が「不気味」などと言っては失礼な話だし、そもそもその行為が観光化されていないのであれば、外部の人に見せる目的のものでないことは確かだ。

 

しかし、当時、その時点の私にとっては、部外者が入ってはいけない場所に足を踏み入れてしまったかのような「不気味さ」があったと言うしかない。

 

一刻も早く立ち去りたいのだが、狭い道の右側に行列だったので、車の速度を早歩き程度にまで落とさざるを得ない。

 

すれ違う「行燈」の人々の顔には、何の表情も見ることはできなかったが、すれ違う私を皆が一瞥してくる。

心理状態が引き起こす思い過ごしだろうが、なにか、そこには集団の敵意と困惑が押し隠されているような感じがする。

 

やはり、あってはならない場所に、あってはならないものがあったという事だろう。

 

それが、私とタウンエースだ。

 

行列を過ごして暫く走り、バックミラーを覗くと、行列は立ち止まり、こちらを見つめているように思える。

真っ暗な中、行灯の明かりが強く、表情どころか、人影すら良くは見えないのだが、強い意志を持った視線、を感じたのだ。

 

そして、この時、私は何かを車に乗せてしまったような気がする。

 

 

この後、背筋に冷たいものが何度も走ることになるのだ。

 

ともかく、その場からは離れなければならない気がして、そのまま車を走らせた。

 

離れた方が良い、ではなく、離れなければならないのだ。

「行燈」の明かりが見えなくなったあたりで、車を停めた。

 

「行燈」の行列に気を取られていたが、ここで、ふと我に返る。

 

「ここは、どこなんだ?」との根源的な問題。

 

そして、この道の行く先。

 

もちろん、行く先は看板に書いてあった「土地」なのだが、漠然と、そこには行けないような気がしてきたのだ。

 

人里離れた場所。

 

 

 

ヘッドライトに照らされて、少し先に行ったところで、ここまで十分に細かった道が、さらに急に細くなっていくのがわかる。

 

00:15 境界

車から降りて、何か位置を確認できるものはないかと思い歩いていくと、杭のようなものが立っているのが見える。

よく見ると、そこには小さな銘板が錆びた釘で荒く止付けられている。

その銘板には、境界を示すものではなかったが、ここが兵庫県と京都府の境だと言う事が推察できる内容が記されていた。

空は晴れ渡っているものの、周囲に明かりが全くないため、車のヘッドライトとライターの火で銘板を確認したのだ。

 

ここまで走ってきた道は「兵庫県」で、この先、細い道になっている部分から先は「京都府」。

 

「丹波」と言うエリアは、兵庫県と京都府にまたがっている。

「まだ兵庫か」と、少し落胆しているとき。

 

突然エンジン音が、ストンという音とともに消えたのだ。

エンジンが、止まった。

驚いて振り返ると今度は、振り返るのを待っていたかの様に、目の前でヘッドライトが突然明かりを落とした。

消えた訳ではないが、なぜか、エンジンが止まると同時にではなく、暫くしてからヘッドライトが暗くなったのだ。

 

前後左右、真っ暗で、何もない。

ヘッドライトを除いて一番明るいのものは、空だった。

 

「エンジンが、止まった」と文字にすると、淡々としたものだが、そこまでの心理状態や周囲の状況だ、これは恐怖だ。

 

今にして思えば、これは、この先起こることを私に知らせるアラームだったのだと思う。

 

「頼む!」

 

慌てて車内に戻り、エンジンをかけなおすと、いつもよりセルが弱々しく回り「ぶす、ぶす」と言いながらも、エンジンが掛かる。

過去、この車でエンストなどしたことはない。

ともあれ、エンジンが掛かってくれたので、ひとまずの安堵。

ヘッドライトも元の明るさに戻った。

 

アイドリングしながら、落ち着いて考える。

 

U-ターンと言う選択肢が頭に浮かぶ。

U-ターンして、来た道を戻れば、間違いはない。

しかし、あの「行燈」が怖い。

 

見知らぬ土地の見知らぬ集落の「行燈」、そして人々の視線。

その人々には、大変申し訳ない話なんだが、横溝正史ではないが、彼の映像化作品を観ているがごときイメージ、視聴者的な立場で本当に怖かったのだ。

 

もう一度、すれ違うのは避けたい。

 

最初にすれ違った際は行列だった。

しかし、その行列が歩みをとめて何かをしているとすれば、その目的が終わって解散しているか、または、その目的が始まっているか、の何れかだろう。

 

解散ならば良いが、もし、それが目的の始まりなのであれば、その邪魔になるのだけは避けたい。

 

そもそも「神事、祭り、祀り」などとは勝手に言っているだけで、実際には何だったかは分からないが、その時は戻るという判断をするのはとてつもなくハードルが高かった。

 

ともかく、青看板に書いてある通りであれば、前に進めば知った名前の場所にだけは到達できる筈なので、新たに加わった「また、エンジンが止まるかも」との不安も抱えて、意を決してそのまま前進することに。

 

状況を単純化すれば、ここは兵庫と京都が隣接している部分であり、行きたい場所は京都なので、そのまま細い道を入っていこう、とタウンエースをスタートさせたのだ。

 

こと道に関して、自治体が変わる恐ろしさを、この後身をもって知ることになる。

 

第六話:迷い子 に続く

 

 

恐怖体験なんだヨー。

第四話:丹波へ

 

どこまでも道は続くが、ただ走っているわけではなく、目的地がある。

 

しかし、青看板には目的地のランドマークキーワードとして期待していた「丹波」やその近くの「和知」なる文字がなかなか出てこない。

 

そもそも「丹波」とか「和知」と言う単語が青看板に書かれているという保証もなにもない上、国道173号を直線で北上すれば、福知山とかそのあたりにぶつかるんやろうな、というレベルの知識で走っているだけだ。

ただ、いざとなっても、どこかで国道9号にはぶつかるだろう。

国道9号にさえ出れば生還はできるので、そのまま突っ走り続けた。

 

川西からは相当離れたと思う。

 

山を越えては、平野部に入る、を何度か繰り返して、次の山の手前。

不安がむくむくと起き上がってきていたところ、ようやく、右「丹波」なる青看板が見えた。

 

23:30 最初の青看板


途中で、自販機で缶ジュースを買ったり、商品を運ぶこともあるため、車内は禁煙になっていたので、タバコを吸うために車を停めたりしていたので余計な時間を食ってしまった。

その上、実は、「青看板を見落としたか」と思い、道を戻ったりしていたので、「丹波」の文字に出会えたのは既に23時30分を過ぎていた。

カーラジオから流れていたFMが「23時をお伝え」してから、すでにそこそこの時間が過ぎている。

 

23:30は、今の私には「結構な時間」と言えた。

おおよそだが、この辺りならば実家までは50分は覚悟が必要だ。

当然、明日は朝早くにインテックス大阪に入らないといけないこともある。

 

流石に、「時間、ヤバいかな?」と、不安になってきていたところで出会った、愛想も何もないが青看板に示された「丹波」の文字は、まさに救いの神だった。

と言うか、「丹波」は、あって当たり前で、それがある前提で走ってきた筈だったのだが、想定以上の距離を走ったので、焦らされた。

 

国道173号は、大阪、兵庫、京都の境目を走っていて、線形と境界が入り組んでいるため、府県を何度も出入りしながら走っている。

既に大阪からは離れていたが、兵庫と京都の境目を走っているので、その時点で兵庫県側にいたのか京都側にいたのかは覚えてはいない。

そこが何処かは分からないが、とにもかくにも「丹波」に向かう県道か府道に入ったのだ。

 

今から考えれば出鱈目な話で、土地勘もなく、ナビどころか紙の地図もない状態で、何度か行った事があるだけの土地の、特定の場所に、知らない道から、看板だけを頼りに行こうとしている。

 

これは常識的に考えれば無理なのだが、園子の実家の周辺では、結構あちこちと車を走らせていたので、実家を中心とした4~5キロ半径のどこかにあたればなんとかなるだろう、と考えていた。

 

あのあたりでは、太い道は何本もはないから、と甘く見ていたのだ。

 

良くある話だが「丹波」との指示に従い、曲がってみたものの、次に出てくる看板からは「丹波」の文字が消えてしまう。

要は、すでに丹波エリアに入っているという事なのだろうが、どこまで走っても、一向に記憶にある道には、ならず、あたらずで、先程の救いの神からは早々に見放されて、またぞろ不安が膨らんでくる。

 

街灯も人家もない道をしばらく走り続けた先で、ようやく家の明かりが見える場所に出た。

 

出たのだが、そこで丁字路にぶち当たった。

どこまでも続く、知らない道のその丁字路には、今や唯一の頼りの青看板があった。

 

23:45 分岐


その青看板には、左「国道9号」、右「南丹」か「園部」か何か忘れたが、ともかく右の矢印側には「丹波」ではないが、見たことのある土地の名前が書いてあった。

 

今から考えれば、ここでの正解は間違いなく左の「国道9号」だ。

 

園子の実家はあきらめて、国道9号に出るべきだった。

しかも「あきらめる」と言っても実は、何度も国道9号を経由して園子の実家に走った事があるのだ。

園子の実家に行くにしても、国道9号でよかったのだ。

 

明らかに正常な判断力を失っていた。

 

時間も遅い。これは、つまらない、ちょっとした冒険心でもない。

か目には見えない力が、私を「右」に引きずり込もうとしている。

 

もし、目に見えない力以外で、右を選択する要素があるとすれば「右」に繋がる「見た事」のある土地の名前の存在。

何丹だったか、丹何だったか、は覚えていないが、「丹波」の「丹」と言う漢字が書かれていたのが判断に影響を与えた。

 

結果、それが災いとなるのだが、結局、右折してしまったのだ。

 

右折してしばらくは、人家も続き、道も広かったのだが、私に気付かせまいとしているか如くで、ほんの少しずつ、少しずつ道幅は削られていき、いよいよ細くなっていく。

気づいたら住宅街の道レベルになっていた。

 

左右の車窓に、灯りの消えた家がぽつぽつと流れて行く。

10分くらい走っただろうか。

時計は0:00になろうとしている。

 

00:00 行燈

 

すると、前方に、不思議な光景が見えてきた。

 

集落で何かの神事、祭り、祀り、でも行われていたのか、それとも単に夜廻りでもしているのか、「行燈」のようなものを持った集団の列が道路の右側にいる。

 

暗闇の中で、ポツポツと前後に揺らめく「行燈」。

 

今で言えば「映える」幻想的な風景。

誰もがスマホを取り出し、インスタに即UPしただろう。

 

そんな風景も、他にカメラでも構えた人が沢山いれば別だが、今ここには、私とタウンエースと、その行列しかいない。

さらに、自分の置かれた「ほぼ迷子」の不安な状況からは、幻想ではなく、不気味な感じが圧倒的に勝っていた。

 

真っ暗闇の中、何人もの人が「行燈」を手に等間隔に離れて行列をなしている。

 

今にしてもそれが何の行列だったのかは分からない。

真夜中、おそらく0:00と言う時間に何かしらの意味があったのかも知れない。

 

第五話:行燈 に続く

 

 

恐怖体験なんだヨー。

第三話:川西へ

 

21:30 地下街

高槻行きは中止したものの、たまたま私の両親もゴルフ旅行で不在にしており、実家には誰もいない。

戻っても、なにもすることがない。

 

時間は中途半端で、することもなし。

さてどうしたものかと思案していたところ、ある「約束」を思い出した。

 

前回か、前々回に帰阪した際に、大学時代の友人の孝之(仮名)と飲みに行き、そこである「約束」をしていた。

 

孝之やバンド仲間と学生時代からよく行っていた、梅田のかっぱ横丁の、いつもの居酒屋で、昔話しや、お互いの現況報告などしていたが、話の流れで、その友人から12弦ギターを5000円で譲ってもらう約束をしたのだ。

 

孝之は自宅用以外に大学のサークル部屋用にも12弦ギターを持っていたが、卒業、就職して自宅にサークル部屋のギターを引き揚げたので1本譲ってくれると言う話だ。

 

孝之は兵庫県の川西に住んでいて、大阪市内からだと私の実家とは方角が違ったが、することなしの状況の上タウンエースがあるので、ギターを取りにいくチャンスではある。

 

地下街の公衆電話から、孝之に連絡を入れる。

昔から留守がちな男なのだが、その日は運良く在宅していた。

 

「例の12弦ギターの話覚えてるか?」

 

「おお、おお、覚えてるで、5000円って話しやったな。まだあるで」

 

「今からやけど、車で取りに行ってエエか?南港からや」

 

「おっ、今大阪に戻ってるんか?今からか?ええで、ただな、彼女がきてるから時間は取れへんで、玄関渡しでもエエか?」

 

「エエよ。ってか、悪いな、邪魔して」

 

「大丈夫やて。そっからやったら1時間くらいやな。ついたらインタホン鳴らしてな」

 

22:30 川西

以前に、何度か市内の音楽スタジオから車で孝之の家まで行ったこともあり、おおよその道筋は頭に入っていたので、そのまま川西の彼の家までタウンエースを走らせて、無事ギターを引き取った。

 

これが22時30分頃。

 

「ありがとうな。12弦は持ってなかったからうれしいわ」

 

「それ、4、5万したやつやからな、大事に使ってな」

 

「わかった」

 

「そう言えば、京都の彼女とは会わんのか?」

 

「ちょうど、旅行しとるねん」

 

「残念やな。彼女って丹波町やったっけ?」

 

「そやで」

 

「そっかあ、ここからやったら173走ったら、割と近いけどな、残念やな」

 

今から思えば、この孝之が放った最後のセンテンスも、私を恐怖へと誘う重要なキーワードになった。

 

ギターを載せて、そのまま家に帰っても良かったのだが、意識の片隅にある園子の実家の旅館の改装に、孝之の放った「丹波町」、「割と近い」のキーワードが、だんだん頭をもたげてきた。

 

現代と違い、スマホもナビもない時代。

しかも、車内には、当然と言えば当然だが、関東の地図しか入っていない。

 

しかし、なんとなくのイメージで、川西を走る国道173号を北上すれば、篠山、丹波の方に出るのはわかっている。

 

少しややこしいのだが、丹波、と言うエリア名は兵庫と京都に跨る。

市名変更や合併などで、現在は、兵庫県側にニュースにもなった「丹波篠山」があり京都側に「京丹波」がある。

 

当時、と言うか、今も同じだが国道173号線の左手は兵庫県の丹波と篠山、右手は京都の丹波、と言う、非常に頼りなくザクっとしたいい加減な地図が頭に入っていた。

もし迷っても、どこかで国道9号か477号に出れば家には帰れるだろう、と無謀にも、丹波の園子の実家の前まで行ってみよう、と思い立ったのだ。

 

園子の実家には、何度か行った事はあるものの、普段は川西から行く必要もなく、当然にルートも全く違うので、青看板だけを頼りに走ることになる。

簡単に言えば、いつもならば北上して左側だが、今回は北上して右側になる筈だ。

そして地図もない。

無計画甚だしいが、孝之も「道は簡単や」と言うし、暇だったので、とりあえず向かってみることにした。

 

22:50 出発

20分くらい孝之と話をしていたため、出発は22:50分頃だっただろうか。

ガソリンはインテックス到着時に満タンにしてあったので、そのまま国道173号線を北上。

 

基本、本州を横切るように山があり、地図で言えば山の下と上に太平洋と日本海があるわけで、大阪から丹波方面に向かう、と言う事は、太平洋側から日本海側に向かって山を登っていくイメージだ。

 

国道173号は主要幹線でもあり、道はしっかりと整備されている。

園子の実家に行く為に使う事はないが、何度か走ったこともある。

だが、主要幹線の国道とは言え、いかんせん、夜中に人口の少なくなる方向へ車を走らせることになる。

しばらくは、前後に車もあったが、山を登っていく過程で、神戸方向に分かれたり郊外住宅街に分かれたり、能勢に入っていったり、と、いつの間にか他の車は右や左に折れて行き、タウンエース1台に。

誰もいない、明かりもほとんどないが広くて走りやすい国道を走り続けていた。

 

今でも、使う道ことのある道だが、昼間であればとても気持ちの良い道だ。

左右には山からせり出す木々があったり、橋に乗れば抜けた景色が楽しめたりと、ドライブも楽しめる。

 

しかし、夜中には、他の道路でも住宅街を抜けると同じようなものだろうが、人家の気配もなく窓の外は真っ暗。

景色は見えず、ただ広い道が続いているだけだ。

ただ、高低差のある道で、それなりにカーブもあり、単調で眠たくなるようなことはない。

 

車室が広いタウンエースでエアコンを使うと、ガソリンの消費が早くなる。

この時間でも、川西あたりでは立ち話しているだけでも薄らと汗ばむのを感じだったが、しばらく走らせて、ここまで標高が高くなれば涼しくなっているだろうと、窓を全開にしてみた。

 

しかし、どこまで登っても、湿度は高く、じめっとして生温かい嫌な空気が車内に入るだけだった。

燃費は諦め、再びエアコンに頼ることにした。

 

第四話:丹波へ に続く

 

恐怖体験なんだヨー。

第二話:大阪へ

 

高速道路

今のように、新東名も新名神もない時代に重い紙の塊を運ぶタウンエース。

大人2人に、大量の紙となると、相当の重量だ。

 

カタログを積み終わった際に、車高が一気に下がったのを見て、皆が笑っていたことを覚えている。

 

重さのため思うように加速もできないので、追い越し車線に入るのは結構勇気がいる。

タウンエースは我々の焦りなど無視するように、エンジン音だけワンワンうならせ、ちんたら、ちんたら、ほとんど左端の走行車線を走っていた。

 

本来は、もう少し早く出発したかったのだが、印刷屋に言える無理にも限界があるので、この時間になったのだ。

 

練馬の倉庫から会場のインテックス大阪までは、おそらく7時間くらい掛かるだろうと、昼食も取らずに只管高速を走る。

 

展示会は翌日なのに、なぜ焦っていたのか、だが、これには事情がある。

 

それは、カタログなどを会場のインテックス大阪に搬入できるのは「17時30分まで」と聞いていたからなのだ。

 

18:00 大阪南港

道中は、先輩と馬鹿話をしながらだったので気楽なものだったが、渋滞に何度か巻き込まれてしまい、結局インテックス大阪に到着したのは、18時を過ぎた頃だった。

 

ところが、なんの事はない、17時30分を過ぎても、普通に搬入できるではないか。

 

そもそもの「17時30分まで」説が、ガセネタだったのだ。

 

おそらく、会場の代表電話の取次ぎ可能時間が「17時30分まで」だったので、それが伝言ゲームになり、間違って我々の元に届いたのだろう。


しかし携帯のない時代、途中で会場サイドに確認しようにも、サービスエリアなどの公衆電話から会場の代表電話を呼んで、展示会のスタッフに会場アナウンスで呼び出してもらうしかなかったので、余程のことがない限りは電話をしなかったのだ。

 

もちろんカタログは「余程のこと」ではあるが、そもそも我々には「17時30分まで」説を疑う理由がなかったので、途中で連絡はとらずにタウンエースを走らせてきたのだ。

 

オフィシャルなペーパーを事前に確認しておけば済んだ話なのだが、ともかく、この「17時30分まで」説は、この後大きな意味を持つことになる。

 

そのガセネタでは、搬入だけでなく、設営も「17時30分」までとの事だったので、当日はある計画を立てていた。

 

園子に会う、ではない。


この日は、高槻の駅前にオープンした、高校時代の友人が経営しているバーに行こうと思っていたのだ。

 

通常の展示会出張時は、前打ち上げと称して、前日には皆で飲み倒すのが恒例なのだが、今回はタウンエースがあるため、私は確実に飲み会には参加できない。

このため、高槻行きを計画していた訳だ。

計画では、18時位には設営と片付けが完了して、会社の仲間と夕食。

頃合いを見て「お先に」と、退散。

それからタウンエースを走らせ、実家に停めて電車に乗り換えて高槻に行く、と言った算段だった。

 

ところが、ガセネタの「17時30分まで」説はなくなり、結局なんだかんだとやっていて、設営が終わった時分には既に20時頃になっていた。

 

インテックス大阪の周囲には、意外だが飲食店がほとんどなく、食べる場所がないので、電車組、車組に別れて大阪市内まで移動。

タウンエースは、実家に戻る私を除いた東京組が宿泊する大阪市内のホテル近くの地下街の駐車場に停めた。三々五々で地下街の居酒屋に集合して前打ち上げが始まる。

 

計画を実行するには、すでに時間が遅すぎるので、やむを得ず高槻行きは中止に。

 

友人の店に電話して「また、今度な」と、断りを入れておいた。

 

タウンエースだが、東京組が宿泊する北区都心部ど真ん中のホテルには駐車場がなく、元より私が引き受けて、実家のガレージに停める算段だった。

このため、いずれにせよタウンエースが足かせとなるので、私はアルコールは飲まず、皆を居酒屋に残して、21時半頃に「お先に」失礼した。

 

今回の出張では、園子とは会っていない、と言うか会えなかった。

 

遠距離恋愛なので大阪に戻った際には、ほぼ100%園子と会っていたのだが、今回は当の園子が母親と海外旅行に出かけていたのだ。

 

園子

園子は京都の丹波町(現在の京丹波)にある実家住まい。

家業の料理旅館の手伝いをしていた。

山間部の丹波、和知あたりの料理旅館の書き入れ時は、料理の関係で秋から冬にかけて。

だが、真夏でも、流石にお盆時には忙しくなる。

この夏は、お盆前のお客の少ないタイミングを狙って旅館の一部改装を行っていた。

改装のため客室も減っているので、これを機会に、と、父親を留守番に置いて、見習い若女将の園子が女将さんの母親を連れて、ハワイに旅行に出かけていたのだ。

当時は大女将が現役だったので、このような自由がきいたのだろう。

園子には、ハワイに出発前日に電話した。

 

「なんや、残念やなあ、折角出張やったからチャンスやったのに」

 

「ごめんなあ、お母さんも普段は休みがとれへんし、数少ないチャンスやから・・・」

 

 

「せやな、しっかり親孝行せんとな。なんか、お土産買うて来てな!」

 

「わかった!」

 

「しかし、ピンポイントでスケジュールが重なってもうたな。運悪いわ」

 

「どっちも、お盆前に、やから、タイミングが一緒になるんかもね」

 

「なるほどねー。でも、気ぃつけて行きや。俺、暇やし、どんな改装してはるんか、ちらっと見に行くわ。

 

マジで?

 

何度か実家の旅館にはお邪魔した事があり、名物の料理をごちそうしていただいたこともあった。

 

流石に園子抜きで訪問して、「こんちわ」とも行かないが、趣のある古い旅館だったので、どんな工事をしているのか、実際に多少の興味があったのだ。

 

そこで「ちらっと見に行くわ」となどと園子には軽く言ったのだが、これが恐怖への入り口となる。

 

第三話:川西へ に続く