多くの人は、「外語の知っている単語を増やすこと」に執心します。

これが、まったくの間違いであることは以前述べました。

 

概要をもう一度言うと「神経の成長(発達)に合わせて増やす」が正解です。

「神経」とは、外語のみで自立して反応することが大前提です。

直接反応できるように徹底練習してから、その数を増やすわけです。生物の生理的成長速度を無視したらダメなのです。

これは、体育と全く一緒です。

以上は、自分から見た場合の単語を早く増やそうとする害ですが、相手から見た場合の害もあります。

 

それは、「知ってる単語が多いからと言って相手はあなたを上手とは思わない」と言うこと。

 

例えば、「本日はお日柄もよく新たな門出をされるお二人にとって恰好かと存じます。」みたいなセリフを、日常会話もたどたどしい外国人が棒読みしたって、本音では誰も上手と思いません。

 

反対に、「今日は、いい天気ですね!私も、気持ちがいいです。二人とも、これからもなかよくしてください。」こんな簡単な言葉でゆっくり話したとしても、流暢に正確に話せればまちがいなく上手だと認識してもらえます。

 

ズバリ言うと「上手か下手かは最初から決まっている」のです。

覚えている単語を増やしたからと言って、上手認定はされません。

上手な人は、学習を開始した初日に「この子、上手だわ!」と先生に驚嘆されるのです。

 

最初から下手な人が単語を増やすなどの努力を何年しても、上手になることはありません。「下手なまま覚えた単語が増えるだけ」なのです。練習の方向性そのものが間違っているからです。

何年やっても下手な人が最初から上手な人に変換するためには、習慣や考え方そのものを変革する(外語学習の部分だけ)必要があります。

みんな平均的な素質を持ち、努力して暗記した単語の分だけ進歩する、なんて馬鹿げたことではないのです。

日本人の「語学音痴」は、こうした基本的な発想の間違いに基づいています。

ここから変えないと、努力は徒労に終わります。

 

同じように留学したとしても「上手認定されない人」は会話の機会が少なくなり、上達できないと言う悪循環に陥るのです。

 

何度も言っていますが、この辺は体育だけでなく楽器演奏や美術の素描などと同種であり、理数系的理解とは真逆のものです。