2021年に作詞家生活50年を迎えた松本隆さんの半世紀にわたる足跡を辿る一冊です。500頁を超えるこの大作からは、私の知らなかった彼の多彩な側面を垣間見ることが出来ました。シューベルトの歌曲に新たな歌詞をつけた、『冬の旅』(1992)、『美しき水車小屋の娘』(2004)、『白鳥の歌』(2018) の三部作や 『古事記』 の口語訳を目指したというアルバム 『幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)』(2012) などはその最たるものです。

 

一方で、ロックとか歌謡曲といったジャンルを軽々と飛び越える松本さんの活躍ぶりについても、たとえば、彼との関わりの深い松田聖子さんにこんなアルバムがあったことを知りました。

 

 

プロデューサーには David Foster の名前がクレジットされています。そして10曲中8曲の歌詞を松本さんが提供しており、全ての作・編曲にデビッド・フォスターが絡んでいます。

 

 

このアルバムに関して、同書のなかには次のような記述が見られます。

 

松本隆は日本側のプロデューサー的立場でロサンジェルスでのレコーディングに立ち会っている。「デビッド・フォスターは西海岸の筒美京平といわれた人だし、彼の作るものはほんとによく売れるしいい曲を書く。尊敬できる。彼がこの曲はどうかっていろいろ聴かせてくれるんだけど、良くないのは良くないって言ったらカセットテープの入った箱をドンと持ってきて、どれでも好きなのを使えって(笑)。アメリカ人は詞がないと曲が書けないと言うんだけど、書いても分からないからね。責任もって詞はつけるから曲は作ってくれ、ってお願いして。歌入れは僕がいなくてもできるからこんな感じという説明をしてオケ録りまではいたと思う。詞っていうのは地霊があるのね。大地から揺らぎあがってくる言霊を嗅ぎ取って書く、みたいなものがあって、ロスでは書けない。帰ってやりましたね。英語なら書けるだろうけど、日本語では書けない。微妙なんです、日本語って」 (同書 p.376-p.377)

 

したがって、本アルバムに収録された "作詞:松本隆" の曲は、いわゆる 「曲先(きょくさき)」 であったことがわかります。

 

著者の田家秀樹さんは、このアルバムのなかで、彼女の人間的成長と音楽的変化が最も感じられるのが 『抱いて…』 だろう、と書いています。そして、大ヒット曲 『赤いスイートピー』 の後日談的な 『続・赤いスイートピー』 といった遊び心を感じる曲もありますが、アルバムトータルとしては、長年にわたる 「作詞家と歌い手」 との世界に例を見ないコラボレーションに幕を降ろすものとなっている、と指摘しています。たしかに、最後の 『林檎酒の日々』 は荘厳な別れの曲のように聞こえます。