アマチュア(amateur)
荒俣宏さんの著書『すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる』のなかで「アマチュア」の意味を改めて知りました。すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなるAmazon(アマゾン)好きなことを自発的にやりつづける人のことを、西洋では「amateur(アマチュア)」と呼ぶ。学問することを心から喜び、いっさいの利益を期待せず、また自分の挙げた成果を他人とも無償で共有できる人たちだ。いっぽう、学問することで給料を支給され、論文を書くと学位を授与され、学会の権威ともなる専門家を、プロフェッショナルと呼ぶ。(同書 p.49)amateur をオンライン語源事典(ethimonline.com)で調べてみると、ラテン語の amare(愛する)から派生したフランス語 amateur が起源で、「何かを育てたり何かに参加するが、プロフェッショナルとしてまたは利益を目指して追求しない人」という意味が生まれたのは1786年からだと説明されています。それ以上の説明はありませんが、1786年といえばフランス革命前夜です。何か関わりがあるのでしょうか。 1784, "one who has a taste for some art, study, or pursuit, but does not practice it," from French amateur "one who loves, lover" (16c., restored from Old French ameour), from Latin amatorem (nominative amator) "lover, friend," agent noun from amatus, past participle of amare "to love" (see Amy). The meaning "one who cultivates and participates (in something) but does not pursue it professionally or with an eye to gain" (as opposed to professional) is from 1786; often with disparaging suggestions of "dabbler, dilettante," but not in athletics, where the disparagement shaded the professional, at least formerly.とりわけ後段に出てくるoften with disparaging suggestions of "dabbler, dilettante," but not in athletics, where the disparagement shaded the professional, at least formerly往々にして、「ちょっとかじっただけの人(dabbler)とか好事家(dilettante)」といった蔑むようなニュアンスを伴う。但し、スポーツの分野では、相手を蔑むことはプロフェッショナル精神に悖るのでそういうことはない。少なくとも昔は。(拙訳)が示すように、当初からアマチュアという言葉には、それを「低く見る」という雰囲気がつきまとっていたようです。自分がやっているランニングやピアノ、そしてDTMはどれも「アマチュア」レベルにすぎません。けれども、荒俣さんの言う通り、本来のアマチュアが、学問にせよ芸事にせよ、自分の取り組んでいることを見返りを求めずただただ「愛でる」行為であるのならば、胸を張って「アマチュア」であることを誇らしく思えます。もっとも、「アマチュア」であることを蔑むのは他人ではなく、むしろ自分自身なのかもしれません。