ステージⅠ | ドイツ語圏生活25年

ドイツ語圏生活25年

あっという間に1/4世紀。
楽しいことも、つらいこともいろいろあったなぁ。
忘れる前に記録しておきます。
書こうと思ったきっかけは乳がん闘病。
辛さもうれしさも分かち合えたら、
私の経験が何かの参考になればうれしい。

2018年7月17日、

登録していない電話番号から電話があった。

それは3日前に受けた生体検査の結果についてだった。

 

そうであろうと心の準備はできていたけれど、

やはり乳がんステージⅠだった。

ホルモン陰性、HER2陽性。

しこりの大きさは13ミリメートル。

 

5月にシチリアで休暇を過ごしていた時、

一度気持ちの悪い痛みが胸に走った。

休暇中にしこりなんて見つけたくないなぁと思いつつも

胸を触ってみたが、しこりはなかったので

すっかりそのことは忘れてしまった。

 

6月、ソファの上で寝転んでいたら

猫が胸の上に飛び乗ってきた。息ができないほどの痛みだった。

 

2度目の痛みだと思いながら、胸を触ると

乳房と体の境目に小豆粒ほどのかたいものが手に触れた。

あぁ、とうとう来たか、という気持ちだった。

 

 

もともと私にはいくつかの乳腺のう胞があり、

1年に一度夏にマンモグラフィーと超音波検査を受けていた。

 

翌日すぐに検査の予約を入れ、

数日後にはマンモグラフィーと超音波検査をした。

その際異常なしだと医者は言い切った。さらに、

「痛いということはガンじゃありませんから、

安心してください」

とまでも言った。

 

正直なところ、私にはその言葉は100%信用できなかった。

そのしこりはいつもの「のう胞」とは違う。

明らかに硬く、動かない。

 

それから数週間が経ち、胸は常に痛い状態で、

さらに腕までもが肩より上に上がらなくなってしまった。

 

洗濯物を干すなんてとても無理。

そして重いものが持てない。牛乳パックですら

持つのがつらいのである。

 

こんなに日常生活に差しさわりがあるのだから、

ホルモン剤でも処方してもらわないと困ると、

同じ医者に行った。

 

前回とは別の部屋で検査をした。

超音波でしこりを見るなり、医者の顔色が変わった。

 

前回と同じ超音波検査の機械で見ましょうと、

隣室へ移動してもう一度超音波で見るが、結果は同じだった。

すぐに針で刺してみて液体が出てくれば良いのですが、

そうでなけれな生体検査になりますといわれた。

そして液体は出てこなかった。

 

その日は生体検査はできないといわれ、翌日出直すことに。

局所麻酔をして3回ほど、バチン、バチンと

ものすごい音を立てて組織を取り出した。

 

象牙色というのか、淡いクリーム色の組織が用意された

容器の中に沈んでいくのを横目で見ていた。

もう嫌な予感しかなかった。

 

その日の夜は傷の痛みと不安でねむることができなかった。

 

それにしても、6月のマンモグラフィーでは見落とされたのか?