クラスメートJ | ドイツ語圏生活25年

ドイツ語圏生活25年

あっという間に1/4世紀。
楽しいことも、つらいこともいろいろあったなぁ。
忘れる前に記録しておきます。
書こうと思ったきっかけは乳がん闘病。
辛さもうれしさも分かち合えたら、
私の経験が何かの参考になればうれしい。

なんとなく朝気ぜわしく出かけるのが嫌になり、

秋から午後の講座に通うようになった。

 

午前中のクラスに比べて生徒数が少なくて落ち着いている。

夏前に飽和状態になった頭もクールダウンして、

また少しずづドイツ語が頭に入ってくるようになった。

 

そのクラスで友達になったのがインドネシア、

フローレス島出身のカトリック教会の神父のJ。

30歳過ぎだろうか?

 

フローレス島の80%はカトリック教徒。

彼はウィーンのカトリック教会に派遣されてきていた。

修道院で暮らし、ドイツ語コースに通い、

教会ではミサを行っていた。

 

彼とは放課後よくカフェに行きおしゃべりした。

修道院に帰ればすべてが教会関係者。

思っていることすべてを話すことができなかったのかもしれない。

それに同じアジア人同士、私には話しやすかったのかもしれない。

 

なぜ神父は男性のみなのか、なぜ結婚が許されないのか、

自分が恋愛も結婚もしていないのに、一般信者の悩みに答えるのは

難しいという彼の悩み、次のローマ法王に期待することなど

彼はいろいろと打ち明けてくれた。

 

一番驚いたのは、教会にいる修道女が彼に気があるかもしれないと

相談を受けたこと。

 

私もその教会に遊びに行った際に彼女に挨拶をしたが、

若くてかわいらしい東欧出身の修道女だった。

 

J曰く、彼女の親切が並み大抵ではない。

そして彼がひとりきりでいる時に限って、

早朝、深夜を問わず彼のところに来るのだという。

 

インドネシアにいた時も女性に言い寄られたことがあり、

僕は結婚できない身だからと説明しても、

彼女は今も彼のことを想っているのだと。

 

イケメンとはとてもいいがたいけれど、気の優しい穏やかな男性で、

そんな話をした後はいつも、僕は何にもしてないよ、って笑った。

 

 

ウィーンで初めて雪を見たという。

Jを連れて、その当時仲良くしていた同じクラスメートの

日本人夫妻とアイススケートに行った。

氷の上で滑るなんて!と大はしゃぎだった。

 

その後フローレス島に戻ったが、2004年のスマトラ島沖地震の際も

無事に生き延びたと知った時は本当に安堵した。

 

その当時FBをしていて、JとFBでつながった翌日、

私に10人以上のフローレス島の修道女からの友達申請が来た。

次の日はさらに増えていた。

 

相変わらずだなと思った。