絶歌~セカンドレイプも甚だしい。 | 幸せになりたい - How to overcome your unfortunate present, you can change it now!

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両親とも田舎の高卒。コネなし、奨学金で大学、大学院を国立を経て、某財閥系商社で24年勤務(含 イタリアとブラジル駐在計9年)、転職して米国勤務1年。この程度なら誰でもなれるって事を証明するブログ。虐めも、変な先生への対処も、子に対する接し方もみんなヒントがある。

この本を読んではいないので、内容自体は分からないが、出版の経緯として、遺族の気持ちを逆なでする一番のポイントは、遺族は苦しみ続けているのに、この酒鬼薔薇は、匿名性を保ったまま、事件を第三者のように振り返ることができるという苛立ちだろう。遺族にとっては、いつまで経っても癒えない傷に、また、彼のスタンドプレーのおかげで、記憶という苦い塩を塗りこめられてしまうわけだ。 
この酒鬼薔薇が、現在どれだけ苦労しているのかは知らないし、抑も興味も同情の気持ちも起こらないが、今なお遺族の気持ちに思いを馳せることができない欠落振りは、非常な恐怖を感じる。また、彼が野に放たれていると言う戦慄もある。行動自体がサイコパスで、でも贖罪したことになっているので、匿名なのだ。僕は、それでも出版するなら、現在の名前を明かして、周りに忌避されて、酷く苛められる状況を受け入れる覚悟ができているなら、未だ許されるものがあると思う。それでも、被害者が浮かばれないことには代りはないが。 

何というか、綴っている文章が論理的だとか感情的だとか、あんまり関係なくて、忘れかけていた無責任な大衆の興味をまた掻きたてるような行為自体が許せない、ということで、文章に心がこもっていたら良い、自分を確り分析できて反省できているなら良い、とか言う話ではないだろう。それからすると、出版社(者も勿論)や、保護司(もう弁護士は関係ないだろうし)は、今回の一連で、非常に無責任という感じがする。本人が(贖罪の為に)出したい、と言っても、だったら、その意思を遺族に同意確認するのが最初だ、ぐらいのアドバイスと行動は取っても良いと思うし、そういう風な行動自体が、まだ、サイコパスなのだ、と本人に分からせて思いとどまらせないと。彼が、サイコパスの概念自体を理解できないとしてもだ。それをなしに、出版すれば、いくら印税をそのまま補償に回します、と言っても、金の問題ではない、と言われるのは目に見えているわけで、その辺の(出版に漕ぎ着けるまでの)周りの想像力の欠如は酷いと思う。僕が、この出版担当者だったら、絶対にその影響を考えれば止めたほうがよい、と主張するし、それを受け入れられずに出版を強行するような会社なら辞めると思う。 

出版の意義をサイコパスの思考を知る貴重な資料となり得ると、無理やりこじつけても、抑も、それが一般化されるサイコパス特有な考え方なのか、彼だけなのかも全く分からないだろうし、どちらかと言えば、後者だと思う。僕は、1990年代の中盤に隔月だかで発行していた世界中のシリアルキラーを集めた雑誌を熱心に読んでおり、殆ど同じパターンはないのだなという感想に至った。つまり、彼らは模倣犯ではなく、自分の衝動に突き動かされて、対象もやり方も自分の方針で連続して行なうのでシリアルなわけであり、それを、その気持ちに踏み込んだり、実際に行なったことのない人が判ろうなどというのは傲慢だと思う。一般化などできないし、読んだとしても、それを元に自分の周りの危ない人を知るなんてできっこない。危ないやつにぶち当たるかどうかは運でしかない。