皆さん、こんばんは。
5日間ほど、留守にしましたが、皆さんからのあたたかいコメントや励まし、お気遣い、本当にありがとう
ございます。本日で大体の後処理もおわり、後は年内に49日の法要を行うだけになりました。
今日は、皆様にこの半年の経過をご報告を致します。
母は11/13の午前11時55分に他界しました。死因は胃癌です。
今年の4月末、ちょうどゴールデンウィークが始まる頃に、緊急入院、原因は急性貧血でした。
食事が思うように取れなく、胃が張った感じだったそうです。それは今年の初め、1月頃からあったそうです。
貧血の原因を調べる為に、入院した病院で輸血を行い、胃カメラで検査した結果、「胃癌?」と言う結果が!
直ちに、専門病院に転移して、精密検査を行いました。
結果は末期の胃癌で、すでに手術不能状態と言う事でした。しかし僕は信じられませんでした。
輸血を行った母は、すごく元気で、物がたくさん食べれない他は正常だったんです。
しかし、検査結果では転移も有り、余命は3ヶ月から6ヶ月と言う事でした。母には胃癌と言う事は伝えましたが
体力が付くまでは手術は出来ない!と説明して、抗がん剤の治療に入りました。
入院して1ヶ月で病院を退院し、自宅で療養生活になりました。毎日、点滴を欠かせず、24時間点滴をしている
状態が数ヶ月続きました。
そんな中で、夏にはブログでも紹介しましたが、山梨の勝沼に桃狩りに行ったり、9月には妹夫婦とぶどう狩り
に行ったりと、不自由な体でも、好きな事をどんどん行っていました。
そして、そんな点滴を行いながらの生活のなかで、僕が恐れていた事が起こりました。
家の中では。狭いので点滴は背中にリックを背負ってやってね!と言いましたが、肩が凝るからいやだ!と
家の中でも病院のように点滴ラックを動かしながら移動していたようです。
10月10日の朝に、そのラックから伸びる点滴の管に足を引っ掛けて転倒、その結果背骨の圧迫骨折で
身動きが取れなくなり、2回目の緊急入院。
実は、その事件が起こる前には、母の頑張りで、抗がん剤の治療が上手く行って、もしかしたら手術が出来る
状態になると、担当の先生から言われていました。胃カメラやCTの結果から、転移が無くなり、胃のみの
切除で、リスクは有りますが、今より改善できるかも知れないと!僕は最初に思った事が実現した!と
喜んでいました。しかし、この事件で一転しました。
腰の骨の骨折で丸々10日間は身動きが取れませんでした。その間に背骨の損傷と言う事で骨髄機能が低下!白血球が増えて、急性白血病のような状態になったそうです。それからは抗がん剤の治療も中止して、手術も
出来る状態ではなくなりました。
何回かはボケてしまったのか?と思うようなあり得ない事を言ったりするようになりました。どうも癌に犯された人は、一時期はそんな症状が出るそうです。
その後はまた、元に戻りましたが、明らかに口数が減っていくのがわかりました。辛かったのでしょうか?
10月は週末になると毎週、母の病院に行って、顔を見せて、励ましていました。
母も自分の寿命を感じていたのか、以前とは違う事、「もうあたしは駄目だ!」のような言葉が多くなりました。
そんな母に、早く元気になって!と言えなかった僕でした。ただ、元気を出して、また車で出かけよう!と
励ますだけでした。母は、段々と言葉を発せずに、首をふったりうなずいたりの返答に変わりました。
そして11月12日(土)、すでに5週連続で母の病院に行っていた僕は、さすがに週末は疲れて、今日は行くのは
やめようと思っていました。母の病院には車で片道2時間かかります。
病院に行くと、その日はそれでほぼ終わってしまいます。前日までは行くつもりは有りませんでした。
しかし、その夜に、夢を見たんです。よくは覚えていませんが、母が僕に話があるから来て欲しい!と言う
内容でした。その夢で、土曜当日にやはり会いに行こう!と決心しました。翌日の日曜日にはボランティア
活動があって、行けないので、土曜日のうちに会いに行こうと!
そして、母の病院に!母は入院した時とは違った病棟に移っていました。緩和ケア病棟で、余命宣告された
患者さんをケアして、残りの人生を出来るだけ快適に過ごせるようにケアする病棟です。
母に会うと、殆ど話は出来ませんでしたが、2回だけ言葉を発しました。「もう、家に帰る!」と言うのです。
出来る事なら、母を連れて帰ってゆっくりさせてあげたい!しかし、父の負担増も有りますし、僕の家では
落ち着かないので、不可能でした!
父がトイレに行った時に、母は僕の手を握って、小さな声で「大丈夫?」と言いました。何が?と聞き返すと
母は指でOKマークを出しました!そうです!入院費用などを心配していました。
僕は「そんな事、心配しなくても大丈夫だよ!母ちゃん!」と言って、手を握りました!母は、少しうなずきながら
涙を流していました。
そして、帰りぎわには、精一杯笑顔で、点滴でむくんでしまった手でバイバイの手を振っていました。
そして、11月13日 日曜日を迎えました。朝早くからこども祭りの為に、準備をして、10時から開始のお祭りで
僕は子供たちの為に、ゲームを運営していました。本当はそのお祭りもブログで紹介する予定で、写真も
たくさん撮っていました。開始から1時間ほど経過した所で、休憩タイムを貰い、チョッと一服!
その時に、携帯が鳴り響きました!父からです!「母ちゃんが苦しんで、危篤状態だ」との連絡!
僕は事情を運営責任者に話して、即病院に!奥さんに連絡して車で迎えに来てもらいました。
僕と奥さんが病院に向かっている途中で、妹から電話連絡!出ると泣きながら話す妹の声!
「母さんがいま息を引き取りました!」と!間に合いませんでした!
母の病院に到着したのは午後2時少し前でした。すでに父も妹も落ち着いていて、母は病院で湯灌と言う
死者のお化粧をしていました。すぐに母の顔を見ることは出来ませんでした。
一通りの作業が終わって、僕たちは病室に呼ばれました。この作業には病院の看護士さんと妹が行ったようです。母はお化粧をされて、白髪も染めていただいて、まるで笑っているような感じで、亡くなったとは思えない
寝姿でした。今にも起き上がって、どうしたの?と言いそうな感じでした。
まだ、体もぬくもりが残っていて、とても命が亡くなった人とは思えませんでした。そんな母の姿を見ても
僕は涙が出ませんでした。本当にまだ信じられない!そう!昨日あったばかりですからね!
今思うと、土曜日に母は、僕にお別れを言っていたのかもしれません!元気な頃から、母は死ぬ時は周りに
迷惑をかけたくない!一気に死にたいと言っていました。まさか、前日にそれがわかって、あっさりと逝って
しまったのでしょうか?余りにも急すぎます!
最後まで、自分の思うように逝ってしまった母は、満足感なのでしょうか、本当に笑っているような顔でした。
その後に、通夜、告別式と日が経っても、母の表情は変わりませんでした。葬儀屋さんもビックリするほど
日にちが経っても顔が変わりませんでした。(普通は死後硬直や細菌で変わるそうです)
告別式で母と最後のお別れの時に、母の好きだったたくさんの花を棺に入れた時、さすがに目頭に熱い物を
感じました。物質的には最後のお別れですからね!
後は火葬場で初七日の法要を済ませて、終了しました。悲しんでいる間も無く、後の手続きや、すぐに49日の
法要の準備に僕は取り掛からなくてはなりませんでした。
その間も、すっかり気を落として、弱っている父を心配しながら、今日までで何とか片付けました。
すでに、父の為の喪中はがきの作成や49日法要の予約やお寺の手配、案内状の作成、位牌の作成など・・・
昨日は父と2人でお寿司を食べに行きました。入院中に母が美味しいマグロの刺身とご飯が食べたい!と
言っていたので、母にも食べさせてあげるためです。
お土産に、マグロのにぎりを買って帰宅!母の捧げました!9月はまだ、一緒にマグロの刺身も食べていた
母がすでに、お骨になってしまったのです!
これが、今年の春からの経過です。まさか年内に母が逝くとは思っていませんでしたので、まだ、悲しいよりも
信じられない感じです。でも、あの元気な母の声はもう聞けません。
残された父のケアをしっかりして、母に心配をかけないようにしたいです。母は何も出来ない父の事が、自分が
亡くなった時に一番心配していたようですから!
随分と長くなりましたが、報告は以上です!僕は意外と元気です!皆さんご心配頂いてありがとうございます。
もう1回、母への感謝の手紙として、アップします!
その後は、母の事は僕の胸の中に!通常のブログに戻しますので、あと少しお待ち下さいね!
今日からは、ペタ、来たよ、ライフも復活しますので、またよろしくお願い致します。
