現状を打破するための詩学 | 続・日々コラム・・・

続・日々コラム・・・

Shen Teh n Shui Ta = hen na TeTSuShi・・・

ーだが、人間がある激烈な心の衝動をうけてその心が四分五裂の苦に苛まれるとき、これを逃れるには自暴自棄の態度が一番宜いのです。それよりもなお深い絶望に遭っては自己反虐ということが、やっと残っている勇気を喚び起こすのです―
(岡本かの子、の今やってる台本)


祝宴を盛り上げるようなパフォーマンスをやるのは、芸人さんの領域だと思う。

芸術家っていうなら、その傍らで塞いでいる人に伝えて、状況を変えてあげられる言葉や行動をもっていなければいけないんじゃないかな。

それは、芸の技術を磨くよりも、全人格をもって接しないと、恐ろしく軽薄なものになる。

どっかで習った技術だけ、上達してるアーティストが多い。

いま、『民衆と芸術』という近過去の原点を考えてみるとき、日本でいう民衆とか被抑圧者というのは、階級ではなくて、その時置かれているその人の状況の事だと思うわけですね。

その状況を変えてあがげられるものを発信し続けることが、本当のアーティストではないだろかと。

技術だけ上達した、能天気な商業パフォーマーが多いから、みんな寿命が短いんだとも思うわけですけれどね。

習い事や学芸会の延長にあるものじゃ、身内しか喜ばないよ。
どっかで見た事のあるようなものじゃ、先人には適わないよ。

お金になることや、華やか活動ばかりがもてはやされている。
自慢している。

のたれ死ぬ覚悟がないから、迫力も説得力もない。


芸術家が恵まれた時代だからこその弊害。