
おすすめ度: ☆☆☆☆ (Very good)
ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の「捜索者(The Searchers)」。10年振りに更新されたAFI(米国映画協会)のトップ100の12位にランクされた作品で、この作品も前回の「キートンの大列車追跡(The General)」と同じく未見だったので、早速DVDで観ました。奇遇にも「キートンの大列車追跡」も「捜索者」も、評価、興行とも初公開時はあまりよくなく、両作品共に年月が経つにつれ評価が上がっている作品です。ジョン・ウェインはこの映画を非常に気に入っていて、この映画の主人公の名前イーサンを自分の息子に命名したほどです。
この映画は最初のシーンから素晴らしい。画面は真っ暗な家の中。そのドアが開くと南北戦争が終わってまだ3年しか経っていない1868年の西部開拓時代のテキサスの広大な風景が見えます。あたかも暗い劇場でこの映画を観ている観客が19世紀の西部にタイムトラベルしたような感覚です。このシーンの素晴らしさはとても言葉では表現できないので、スクリーンショットを添付しました。
「アラビアのロレンス(Lawrence of Arabia)」が砂漠を舞台にした叙事詩なら、この映画は西部開拓時代を舞台にした叙事詩という印象を受けます。事実「アラビアのロレンス」を監督したデイヴィッド・リーンは、「アラビアのロレンス」でどうやって広大な砂漠を撮るか、この映画を何回も見て研究したそうです。美しいテクニカラーとビスタビジョンの大スクリーンで撮られたこの映画は、西部開拓時代をそのまま残したような文化遺産として後世に残したい貴重な映画と言ったら、言いすぎでしょうか。
ジョン・ウェインが西部劇の大スターとしての地位を確立する前に西部劇のスターだったハリー・ケイリー。彼はこの映画が制作される前に既に亡くなりましたが(1947年没)、彼の奥さん(Olive Carey)と息子(Harry Carey Jr.)がこの映画に出演してますし、ラストでジョン・ウェインが何気なく左手で右腕をつかむシーンは、ハリー・ケイリーが寂しさを表現する時にいつもとっていたポーズだそうです。こんなところにも西部劇に対するオマージュも見られて、この映画に深みを与えている感じがします。
でもこの映画のジョン・ウェインが演じる主人公イーサンは差別主義者なのです。彼はインディアンを心から憎んでいるのです。久しぶりに訪れた弟アーロンの家には、チェロキー族との混血のマーティン・ボウレイ(ジェフリー・ハンター)が居て、彼はインディアンの血は1/8ですが、インディアンの血が混じっている事には変わりないとイーサンは皆の前で平気に語ります。彼はインディアンだけでなく、実は自分以外の人間に嫌悪感を感じているのです。周りの人間もそんなイーサンにあまり好意を持っていません。
そして、この弟夫婦はインディアンに殺され、その娘(ルシイとデビー)はインディアンに誘拐されてしまいます。イーサンとマーティンは彼女たちを探す旅に出ます。やっとのことでデビーを見つけますが、彼女はもうインディアンの娘として育てられていました。それを知ったイーサンは、インディアンとして育てられる事は死ぬよりも醜いことと考えて、彼女を殺そうとまでするのです。
アメリカのヒーローだったジョン・ウェインのあからさまな差別主義に少なからず嫌悪感を感るかもしれません。でも、これは19世紀の西部。黒人や女性に対する公民権の確立にはまだ100年近く待つ必要がある世界。この広大で美しい19世紀の荒野がありのままに描かれている様に、教育を受け差別は良くないと少しずつ文明化した倫理観を持ち始める人と、昔からの偏見を持ち続ける人との葛藤を監督のジョン・フォードはありのままに描きたかったのだと思います。でもそんな中に、ジョーゲンセン家での生活に人情味やユーモアが見え、ジョン・フォード監督の温かみも感じる事が出来ます。
そしてラストのシーンに監督ジョン・フォードのヒューマニズムが集約されていて、それが深い感動が伝わってきます。この映画は観る前にこのラストを知っても、十分感銘を受けるとは思いますが、映画を未見でストーリを重視する人は、映画を見た後に以下を読む事をお勧めします。
映画の最初で、まだ小さいデビーをイーサンは彼女の両脇を持って彼女を持ち上げます。このシーンを見ると人間嫌いな彼が唯一愛しく思っているのはデビーの印象を受けます。それに加えて誰もイーサンに好意を抱かない中で、デビーだけは彼に好意を持っているように描かれています。それなのに彼女がインディアンに育てられたと知ると、彼女を殺そうとするイーサン。最後に遂にデビーを追い詰めたイーサン。しかし彼は成長したデビーを幼い時と同様に両脇を持って持ち上げ、「一緒にうちに帰ろう(Let’s go home, Debbie)」と言う。この様な何気ない一言が、これ程までに感動を高めてくれたのは久し振りです。
ラストでデビーをマーティンのフィアンセがいるジョーゲンセン家に連れてくると、家族は暖かく彼女を迎え入れます。映画の最初のシーンとは逆に、マーティンもデビーも広大な荒野からジョーゲンセン家に入ります。あたかも野蛮で未開拓の荒野から、差別を否定する文明人としての一歩を歩み始めたように。イーサンは一瞬、家の中に入ろうとしますが、彼を家の中に誘う者もなく、結局一人家に背を向けて荒野に戻っていくのです。厳しい荒野を一人で生き抜いてきた、生き抜くためには誰も信用できなくなった男の悲哀感を漂わせながら。