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おすすめ度: ☆☆☆☆☆ (Excellent)
フレッド・ジンネマン監督、ゲイリー・クーパー、グレイス・ケリー主演の「真昼の決闘 (High Noon - 1952)」。私もいろいろ映画は見てますが、やはり好みもあり、あまり率先して見ない分野もあります。実は西部劇が、私にとってはあまり好んで観ない分野なのですが、この映画は私が見た数少ない西部劇の中で非常に気に入っている作品です。

ある町の保安官ウィル・ケイン(ゲイリー・クーパー)は、エミイ(グレイス・ケリー)と結婚式を挙げていた。彼は結婚と同時に保安官の職を辞し、他の町へ向かうところだったが、彼が5年前に逮捕して送獄した無法者フランク・ミラーが、保釈されて正午到着の汽車でこの町に着くという知らせが入った。彼は再び保安官のバッジを胸につけ、町の住人と一緒に戦おうと決意するのだが、トラブルを避けたい住人は誰も彼を助けようとはしない…。

映画「ダイハード (Die Hard)」の中で悪役のアラン・リックマンとブルース・ウィリスの会話を覚えていますか?
アラン・リックマン「まだカウボーイの真似をするのかい?マックレーン刑事?今回はジョン・ウェインはグレイス・ケリーと一緒に夕日に向かって歩いて行くことは出来ないぜ。」
ブルース・ウィリス「それを言うならゲイリー・クーパーだ!この間抜け!」

そう、もちろんこの映画をことを語っているのです。この映画はAFI(米国映画協会)のアメリカ映画トップ100でも33位にランクしていて、現在では名作中の名作。でも公開当時はいろいろな意味で物議を醸した作品だった。

この映画が出来た背景はこの頃に始まったマッカーシズム(いわゆる赤狩り)にあった。ハリウッドも1947年に過去に共産党と関係があったとされる映画人のブラックリストが作られ、このリストに載った映画人はハリウッドでの仕事が困難になってきた。共産党に関係あがあることは好まれる事ではなかったが、決して違法ではなかった。しかし、この動向に多くの映画人は最初は見て見ぬ振りをしていた。この映画の脚本を書いたカール・フォアマンはそういったハリウッドの堕落した体質を、この映画によって表現したのだった。

しかし当時の西部劇というとガンファイトのシーンが多分にあり、酒場での喧嘩のシーンや、列車強盗など、活動写真的な娯楽作品という印象があったが、この作品は人間の道徳感に重点をおいた人間ドラマの色合いが強く、ガンファイトのシーンはあるが最後の10分だけだったので、少し映画ファンの期待に反していた内容だった。

そして西部劇の大御所ジョン・ウェインはこの映画の登場人物の行動がアメリカ的でないと考え、ひどくこの映画を嫌った。彼はこの映画に対抗して、もっとアメリカ的な作品として監督のハワード・ホークスと組んで「リオ・ブラボー (Rio Bravo)」を作った。彼はマッカーシズムを支持し、この脚本家カール・フォアマンをハリウッドから追い出す手助けもした。そのため彼はこの映画を最後に6年間ほどハリウッドで仕事が出来なかった。

勝つチャンスが殆どないと分かっていても、悪に背を向けて逃げることは出来ないゲイリー・クーパー。遺書まで書いて敢然と悪に立ち向かう役は彼以外に考えられない。グレイス・ケリーはこれが映画出演二作目だが凄くいい感じ。彼女には小さい時に勇敢に悪に立ち向かった自分の父親と兄が逆に殺された苦い思い出がある。彼女はこう言う、「どちらが正しいか間違っているかなんて関係ないのよ。人が生きていくためには、(負けると分かっている決闘をするより)もっといい方法があるはずだわ (I don’t care who’s right and who’s wrong. There got to be some better way for people to live.)」。そう、時には逃げた方が殺されず、賢い選択かもしれない。彼女は過去の経験から同じ悲劇に遭遇したくなかっただけだ。でも愛する夫を見捨てて一人で逃げるのか?時には戦って正義(平和)を勝ち取る必要がある。彼女の心の中で倫理観がぶつかり合う…。

決闘が終わった後、通りに出てきた町の住人にゲイリー・クーパーは何も言わない。彼の心は何を言いたかったのか?悪に敢然と立ち向かった誇り?殺されなかった安堵感?彼を助けようとしなかった住人に対する失望感?彼とグレイス・ケリーは、何もなかったように町を去っていくのでした。