苦しみをなくする事を望む事が、この世でもっとも、大きな苦しみだという事
生きている限り、嬉しい事も、嫌な事も起きる。
この3次元に、生まれて出て、ネガティブを持たずに生きる事は出来ない。
ひとたび、この3次元の物理的制約があるという、ゲームフィールドに降り立った限り、
つまり、分離した個体という感覚を味わう限り、
自他を比較しないと、3次元にいる事を維持出来ない、生きていけないという制限がある中で、
お腹をすかせた虎の檻に入って、あなたと私は一緒と思っていたら、たちまち吸収されて、ゲームオーバーになる中で、
道ばたに落ちているものを、私と違いはないと考え、体に取り込むと、命を維持出来ない中で、
つまり、私とあなたは、私と他のものすべては、私ではないという制限の中で、ゲームを楽しむ限り、
ネガティブを持たずに生きる、ゲームを続ける事は出来ない。
いつかのテレビドラマのように、「僕は死にましぇーん」「車はよけてくれる」「僕の体は頑丈なんだ」とポジティブに考えて、大型トラックがビュンビュン走っている道路に飛出していけば、ほぼ間違いなく三次元から離脱する事になる。
大型トラックと私は違うという分離状態を受け入れ、
飛出したら体が壊れてしまうだろうというネガティブな考えも持たなければ、3次元にとどまる事は出来ない。
この世界に生きている限り、ネガティブもポジティブも必要、
生きてる限り、認識の基準が必要であり、どちらも経験する事になる。
なのに、比較を手放し、分離を統合に向かわせようとするこのゲームは、
味わう為に生まれたのに、味わう為の道具(善悪の信じ込み)を手放していくというこのゲームは、
なんというパラドックス!
まさしく死ぬ為に生きる?!
それを楽しむんですね。
なので、苦しみのない極楽浄土を目指す旅は、永遠に終わらない。
逆に、どこにも行かず、自分の中をみて、シャングリラを発見したものは、
幸せの青い鳥を発見した者は、
それは、つまり、すべてを俯瞰する視点を得た者は、
さらに、つまり、楽しみをと苦しみ両方を味わう事を楽しめる視点を得たものは、
悩む時間を最短で終わらせ、今ここを生きる事が出来るようになる。
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