赤と白とロイヤルブルー(2)映画と原作の違い | Mictlan

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ミクトランは、アステカ神話において九層目にある最下層の冥府であり、北の果てにある。

続き。沼。

 

原作と映画では設定の違いがいろいろある。個人的に良い変更点だなと思ったのは、主役二人の年齢を原作より上げた点。

 アレックス 原作21歳→映画27か28歳(監督インタビューより)

 ヘンリー  原作23歳→不明

(ヘンリーはあえて年上と思わせる描写はなく、逆に、ヘンリー役の俳優の実年齢はアレックス役の俳優より下。アレックスの、身長差への謎の競争意識、社交的な場に対する経験値差への劣等感、初対面で思わぬ態度を取られたあとのへこみっぷりなどから総合的に考えると、ほぼ同年齢の設定か)

 

原作アレックスは性格的に尖ったところがあり、「才気煥発」という言葉がふさわしいヤングボーイ。原作ヘンリーもまだ若く、内向的で危うさが目立つ。

一方、映画の二人は20代後半で、善くも悪くもそれぞれ周囲から求められている自分の役割と折り合いをつける「分別」を身につけている。己の立場をわきまえている大人の二人が、それでも新しい愛に出会って「そこが崖じゃないことを祈って飛び出してみる」ことを選択する。そこが良い。

 

あとは、原作では実は10代のころにアレックスがティーン雑誌のヘンリー王子ピンナップに密かに欲情していた、というエピソードがあったのだが、映画では採用されてていなくて良かった。これだと、ワーキングクラスキッドの少年が、大きくなって地位を獲得した結果、王子様に見初められる、という別のメッセージ(シンデレラ的な……?)を持った物語になってしまうので。

 

別のメッセージといえば、映画版の英国王が女性から男性に変更になっていたことについていろいろ深読みするサイト(おじいさまも同性愛で苦しんだから孫のヘンリーに優しい的な流れなのではないか)にも出会ったが、個人的にはこの変更は、米国大統領=女性、英国首相=女性、で、さらに英国王も女性だとバランス的に悪いよね、というバランス感覚にすぎないのではないかと思いました。おじいさまが同性愛者で……という前提になってしまうと、ヘンリーの苦悩は「同じ立場の人にしかわからないよね」となって、この映画で伝えたかった一番大切なメッセージに反してしまうと思うわけです。

 

というか英国王もただ一人の王位継承者である娘が俳優くんだりと結婚することになって相当に葛藤があったと思うけれどもそこを認めてあげて、いまは三人の孫をかわいがっている時点でかなりリベラルで愛情深い人物だと思う。かえってそこに「おじいさまも同性愛者だったのでは……?」みたいな限定を差し挟むほうがちょっと失礼だよね。でも腐女子脳はあらゆる男性を同性愛者にしたがるのもとてもよくわかるのであまり強いことは言えない。(キャプつばリアタイ世代)