三重県鈴鹿市の試作屋 ㈱テクノアート、タイ駐在中の畑守です。
オーストラリアへの2回目の出張を終えて、無事にタイへ帰国しました。
オーストラリア初日はパースへ。
その後は前回同様に、早朝から国内飛行機移動での毎日でした。
最終日はシドニーで、移動日でしたので時間が有り、オーストラリア人スタッフさんが
「オペラハウス」が見える公園へ連れて行ってくれました。
タイとは違い、町も綺麗です。
でも、私はタイのが落ち着きますね
「住めば都」です
タイ帰国後は月末月初の処理に追われ大変ですが、5日から2週間ほど約一年ぶりに日本へ帰国します。
日本へ帰ったら何を食べようかな。
亀八(亀山に有る味噌焼きホルモン食堂)
寿がきやラーメン
やっぱり嫁さんやオカンが作る家飯を、家族皆で食いたいですね。
普段はあんまり思わないんですが、帰れると決まった瞬間から
「早くチビ達や家族に逢いたいな」と思うようになりました。
もう少しで逢えるんで、残りの仕事、頑張ります。
それと、タイ人スタッフ1名を研修の為に日本へ連れて行きます。
食事など、ちょっと心配ですが・・・大丈夫でしょう
さて、少し前のニュースですがタイの隣国「ミャンマー」です。
「変わるミャンマー」、「自由で平和な世界」訴え。
スー・チー氏が演説、ノーベル平和賞、21年経て。
ミャンマーの最大野党党首アウン・サン・スー・チー氏(66)はノルウェーの首都
オスロの市庁舎で、1991年に贈られたノーベル平和書の受賞演説を行った。
「究極に目指すべきは何処で暮らす人々も自由で平和な世界を享受できる
世界を作り上げる事だ」と訴え、民主主義確立の戦いを継続する姿勢をあらためて示した。
自宅軟禁で91年12月の授賞式には出席できず、約21年を経て実現した。
人権侵害で国際社会から孤立していたミャンマーが大胆な民主改革に踏み出した事で、欧米は制裁緩和に動き始め、日本も円借款再開を発表。
計14年に以上にわたる拘束・軟禁にも屈せず民主化運動を主導した
スー・チー氏は「世界を変えた歴代の平和賞受賞者を代表する存在」(ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長)と評された。
演説でスー・チー氏は「ビルマ(ミャンマー)で民主主義の為に戦い続けるのは、人権を保障するために欠かせないからだ」と主張。
「民主化に向けた努力が実を結びつつある」とテイン・セイン大統領が進める
改革を評価した。
また「(最大野党)国民民主連盟(NLD)と私は、国民和解のプロセスでどんな役割でも担う準備が有る」と政府との協調姿勢を示す一方で、「いまだに釈放されていない政治犯が居る事を警戒すべきだ」とさらなる民主化を求めた。
受賞後も自宅軟禁は続いたが、スー・チー氏は「ビルマの民主化や人権の為の闘争を世界に知らせた」と意義を強調。
自宅軟禁中の間は、まるで自分が現実の世界にいない気がしばしばしたが、
平和賞は再び現実の世界に引き戻してくれた、と述べた。
「建国の父」アウン・サン将軍の長女スー・チー氏は88年、当時住んでいた
英国から母親の看病のために帰国。
NLDの書記長に就任したが、軍政に自宅軟禁された。
90年の総選挙でNLDは圧勝したが、軍政は選挙結果を拒否。
ノーベル賞委員会は授賞理由に「民主主義と人権のための非暴力闘争」を
挙げた。
政治的理由で本人が授賞式に出席できなかった例は中国の民主活動家、
劉暁波氏(2010年)らがいる。
私は社会主義が良いのか?、民主主義が良いのか?かは解りません。
ですが世界が民主主義に動いているのは確かです。
そんな中で、自分の生活や命だけではなく、家族や身内の命まで危険にさらされても、自分を支持してくれる人々の為に「自分の主張を貫き通す」方を、
心の底から尊敬します。
「暴力での制圧」では、何の解決にもなりませんよね。
このタイにも沢山のミャンマー人の方々が働いています。
私が住むシラチャーでも、ミャンマーの方々がタイ食堂などで住み込みで働き、食事は支給して貰えるようですが、給与は1か月約3,000バーツ(7,500円位)だと聞きました。
タイ人の半分以下の給与です。
スー・チーさん、そんな方々が家族の住む故郷で安心して暮らせる様に、
これからも頑張って下さいね。