スポーツを教えておられる方から聞いた。
「よい指導者と呼ばれる人は、
完成形に導くために、小さいステップを
一つ一つ踏ませながら導く人だと
言われています」と
「例えば、ラグビーでタックルを教えるときに
いきなりやると、けがをします。」
以前だったら、
「よし、タックルいけ!」
ですんでいたところが、
気をつけるべき点、相手の動き方によって
変える体の使い方、どこを見ればよいかなど、
一つ一つ、細かい点まで教えてからでないと
けがをしてしまうそうだ。
思い当たる節があった。
私たちの世代、「これやっといて」と言われたときは
大体、こういうイメージみたいなものが共有されていた。
しかし、今、そういう言葉にできないニュアンスは
共有されていないような気がする。
そういう言葉にできないことを、言葉にして
伝えないと伝わらなくなっているのではないかと
思うことが、若い人と話していてあるからだ。
そこまで言わないといけないか?
と思うようなことも
言わないとどうも受け取り方が
違うようなのだ。
どうしてそうなったかは、
多分、子供たちが遊ばなくなったからではないかと思った。
私たちの世代1960年代以前は、年齢も幅広く、
お兄さんやお姉さん、弟、妹、小さい近所の友達など
集まって遊んでいたような気がする。
そうすることで人について、
自然に学んだのではないだろうか。
どういうときに怒るのか、
泣くのか、笑うのか、
一緒に遊んだり、
けんかしながら、
おぼえていったような気がする。
でも今は
年齢を超えてたくさんの
子供たちで一緒に遊ぶことも
少ないだろうし
ゲームやテレビで
一人で完結したりする。
「遊んでいないで、勉強しなさい」
と言われていたような私たちと違い、
今は、
「とにかく、たくさんの人といろんなことをして遊びなさい」
(聞きようによっては危ない言い方)
に変わった方がいいのかもしれない。
ただ、またここでニュアンスの問題が出てくる。
「遊び」の定義や、どんな人となのか、
ちゃんと一つ一つ小さいことまで伝えないと
伝わらないのだ。
非常に面倒くさい時代だ。
大勢で遊ぶ、遊びの環境を作ることが
求められているようだ。
(100日ブログ 94日目)
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