今日は、自分がちょくちょく読ませてもらっている

エスグラントの杉本社長のブログ

広島RACの管理人、KEIKOちゃんのブログ

二つとも戦争のお話でしたので、自分も書いてみようかなと思いました。

杉本社長の考えはほぼ自分の考え方と同じで、ちょっと前だったらこういう意見を言うとすぐ『右翼だ!』なんていわれていたのでしょうが、最近はそうでもないような気がします。このへんの話は詳しく話しだすと長くなるので割愛します。

しかし、ブログ中の文章で自分もそう思うのですが、最近の自分には痛い言葉がありまして(苦笑)、要は昔の特攻や戦争で死んでいった英霊達が、現代のニートやくだらないことで悩んでいる若者達を見たらなんと言うか。ってことなんですが。

そうなんですよね。

確かに。

ちなみに太平洋戦争で散華していった特攻隊員たちは大変なエリートだったそうです。しかし現代のエリートと比べたらいけません。真のエリートだったのです。

そして、一般に良く言われるような、命令で仕方なく、とか、特攻隊員の生活は荒んでいたという事実もないようです。

また、良く最近の自爆テロと特攻隊のことを混同する向きがありますが、自爆テロと同列に扱っては間違います。もちろん、自爆テロを起こす人たちの中には、特攻隊員と近い感情を抱いている人もいるかもしれません。しかし、自爆テロは信仰心がその行為を支える大きな支柱になっています。ですから、一般市民を巻き込んでも一向に構わないという側面があるようです。

では特攻隊員を支えていたのは何だったのでしょう。

ここで、ある特攻で散華された英霊の言葉をご紹介しましょう。

涙を禁じ得ません。


宅島徳光 二十年四月九日殉職 二十四歳

はっきり言う。俺はお前を愛している。しかし、俺の心の中には今ではお前よりもたいせつなものを蔵するようになった。
それは、お前のような優しい乙女の住む国のことである。
俺は、昨日、静かな黄昏の田畑の中で
まだ顔もよく見えない遠くから
俺達に頭を下げてくれた子供達の
いじらしさに胸を打たれたのである。
もしそれがお前に対する愛よりも
遥かに強いというなら、お前は怒るだろうか。
否、俺の心を理解してくれるのだろう。
ほんとうにあのような可愛い子供達のためなら、
生命も決して惜しくはない。
自我の強い俺のような男には
信仰というものが持てない。
だから、このような感動を行為の源泉として
持ち続けていかねば生きていけないことも、
お前は解ってくれるだろう。
俺の心にあるこの宝を持って俺は死にたい。
俺は確信する。
俺達にとって死は疑いもなく
身近な事実である。

いかかでしょうか?

このような英霊達が私たちに残してくれたもの。

それは誇りです。

愛するものを守るということは

愛するものを育んだこの国、というか故郷というか、この大地を守ることとイコールである。だから、守る。命を投げ打ってでも。これが特攻隊員の方々の心境です。

どうでしょうか。こういうことのために生命を投げ打っていける若者が今の日本にいるでしょうか。

特攻隊員や英霊が命がけで伝えてくれた誇りを忘れてはいけない。

そう思いました。

だから、僕は首相の靖国神社公式参拝は、絶対しないといけないことだと思っています。

一国の首相として、今の日本人を、日本を守ろうとして命を落とした方々を拝むのは当然の行為だと思います。そこには戦争の結果なんぞが入り込む余地すらないと思いますがね。

話がそれましたが、僕が悩んでいることなんて

英霊たちに報告すらできないぐらいちゃちなもんだという、そういう結論でした。

頑張りましょう!!