あらゆるものは二度作り出される。はじめは知的創造。その次に物的創造である。僕らのこころの中には人生を創造するための計り知れない能力と可能性がある。人生に対してどのようにビジョンを持つか。
つぎにそのビジョンと同様に重要なものが自制心である。これは物的創造へと向かう課程でなくてはならない。自制心はビジョンを具現化するために必要なあらゆることを行う上で必要となる自己犠牲のことである。つまり自分の意志の力なのである。ここで言う自制心、つまり自己犠牲は「これをするには嫌々ながらそうするしかない」ということを言っているのではない。「ピアノを弾きたいービアノの練習をする」「絵描きになりたいー絵を描く練習をする」「プロ野球選手になりたいー野球を練習する」「ワールドカップに出たいーサッカーの練習をする」というようなことを自制心を発揮して取り組むことをいう。テレビを見る時間が減るかもしれない、友達と遊ぶ時間が減るかもしれない。そこを乗り越えるのが情熱である。
テレビを見るよりも友達と遊ぶよりも自分は「ピアノを弾きたい、絵描きになりたい、プロ野球選手になりたい、ワールドカップに出たい」ということに絶え間ない情熱をこころに持っていれば自制心が働く。つまり情熱とは自制心を働かせる燃料なのだ。燃やし続ける限り自制心は働く、そして自分の持つ理想のビジョンへと近づいていくのではないだろうか。
自分の持つビジョンが自分だけの独りよがりに陥らないように常に自分の内面と対話し、自分の中にある良心を見つけていきたい。「世のため、人のため」という道徳に従ったビジョンは決して道をあやまらない。そこに自分がこの世界に生まれてきた意義を発見するのである。
どんなに理想的な目標であってもそこにたどりつくプロセスを着実に踏んでいけば昇っていけると思う。ただ、その梯子が異常に長く、上の階が見えない。目標が見えないと不安になる。ひょっとしてこのままずっと梯子が続くだけではないだろうか。別の階に着くのではないだろうか。理想を持ち、それに向かうプロセスにいかに具体的なそして現実に即した方法を考え出せるか。本当の理想主義者はとてつもないほどの現実主義者なのである。