甲子園 | 行く河の流れ

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 今日、甲子園の決勝戦が行われていた。歴代最多優勝を誇る中京大中京(愛知)対初の決勝戦進出の日本文理(新潟)の対戦だった。
 中京の打線はものすごい。テレビで見ているだけでも、あの威圧感に圧倒されてしまいそうなくらいだ。体格の良さも手伝って、堂々たるプレーに高校生離れしたものを感じ、「生意気さ」を感じるくらいだ。
 一方の日本文理も強力打線を売りにしたチームだった。しかし、中京を前にすると小粒に見えてしまうくらいだった。それくらい中京のチームがずば抜けていると感じた。

 試合は中京の6点リードで、9回2アウトを迎えた。あと1アウトで優勝が決まる。「まぁ、順当だなぁ。圧倒的な力で終わったなぁ」という感想をもっていた。
 
 しかし甲子園を見る意味はここからだった。時々、ものすごいドラマが展開される。通常ではなかなか考えることのできないようなことが、起こるのだ。そのドラマを見る為に、毎年見てしまうのだ。そのドラマは無条件に感動する気持ちを奮い起こす。震えて涙がとまらなくなるのだ。

 日本文理はこの9回2アウトから、驚異的な粘りにより、なんと5点をもぎ取る。10対9まで追い上げるのだ。なおも、ランナー1塁・3塁。甲子園は異様な雰囲気になっている。中京のエース堂林君は、このピンチにマウンドを降りてライトの守備についている。マウンドには後を継いだ2年生。歓声に飲み込まれて、「生意気さ」を感じるような威圧感をもった表情は見られなくなってしまっていた。

 「生意気さ」を感じるような中京の選手もこの夏に向けて、それはそれは死にもの狂いで練習を積み重ねてきたのだ。その賜物があの堂々たるプレーだったのである。単に体格が大きくプレーが堂々としているからと言って「生意気さ」で片付けてはならないと私は恥じた。今年の甲子園の最後の最後で待っていたこのドラマを締めくくる時に中京の選手たちにも高校生としての姿が露呈した。彼らもここを乗り越えて成長するのだ。

 ピッチャーが投じたボールをジャストミート。「抜けた!」と思った瞬間、ボールはサードのグローブの中に収まった。サードの子は泣いていた。ライトを守っていた堂林君の目にも涙があった。日本文理の選手たちの顔には笑顔があった。

 今年も最後に震えるようなドラマが用意され、劇的に甲子園が幕を閉じた。夏が終わった。