●淀川橋梁(JRおおさか東線)
淀川橋梁(よどがわきょうりょう)は、大阪市東淀川区東淡路1丁目と都島区大東町3丁目を結び、淀川に架かる西日本旅客鉄道(JR西日本)おおさか東線の鉄道橋である。通称は赤川鉄橋、地元では「じゅうはちもんてっきょう」、「あかがわのてっきょう」とも呼ぶ。
●概要
本橋は城東貨物線の建設に伴い1929年(昭和4年)に架橋された。架橋当時より複線幅で建設されていたが、当面の輸送量にかんがみて下流側のみ線路が敷設され単線で運行されていた。 余った上流側のスペースは大阪市が借り受けて市道扱いの赤川仮橋(あかがわかりばし)と呼ばれる木造の歩道部分を設置し、2013年(平成25年)10月31日まで鉄道道路併用橋として使用されていた。淀川橋梁は第二次世界大戦の戦火を耐え抜き、赤川仮橋は地域住民の生活道路となっていた。
2019年(平成31年)春のおおさか東線(新大阪-放出間)の開業に向けて、本橋を含む城東貨物線は複線化されることとなり、2013年(平成25年)10月31日限りで歩道部分は閉鎖された。一つの橋に鉄道橋と人道橋の二面を併せ持つ珍しい風景は地域住民から長らく愛されてきたが、惜しまれつつその幕を閉じることとなった。閉鎖後は上流約930 mの地点にある菅原城北大橋に迂回する必要がある。現在は蒼白色であるがかつては赤褐色(いわゆる錆止め色)だった。
橋の北側、JR淡路方面には亀岡街道踏切が設置されていたが道路の付け替えにより2018年(平成30)9月1日午前11時をもって廃止となった。踏切の廃止後は立体交差化され、おおさか東線が道路をオーバーパスする形に変更された。
架橋から90年たった2019年(平成31年)3月16日、おおさか東線(北区間)の開通に伴い旅客営業線としての供用が開始された。
淀川橋梁(赤川鉄橋)に行ってきました。土筆を摂る為とついでにこの付近の写真を撮る為です。家からバイクで5分もかからず行ける場所にあります。行った場所は家が淀川の南側にある為、淀川橋梁(赤川鉄橋)の淀川より南側になります。
淀川橋梁(赤川鉄橋)は、以前は貨物列車が通る鉄橋内に人と自転車が通行できる木の橋が架かっていましたが、現在は廃止され鉄橋の外側から撮影。
淀川橋梁(赤川鉄橋)付近の淀川堤防沿いの河川敷で土筆を大量ゲット。家から淀川に行くには城北公園当りが更に近いのですが、facebookのお友達からこの辺りで土筆が沢山摂れるとの話を聞き行ってみた所、思った以上に収穫でき感謝です。ついでに懐かしい赤川鉄橋の現在の写真も撮る事ができました。
写真前半は淀川橋梁(赤川鉄橋)の南東側(菅原城北大橋側)、後半は南西側。河川敷から南側の道路に下りる時、マンションの階段に可愛い猫を発見し声を掛けながら写真を撮りましたので、よろしければこちらもご覧下さい。写真末尾に撮ってきた土筆の写真(約1キロ)と、袴を取ってバケツに入れた写真を載せています。
次の投稿で摂ってきた土筆で作った手料理を載せますので、よろしければそちらも合わせてご覧ください。