今、私の会社でインフルエンザが流行しています。
大抵は同じフロアでの感染が主ですが、同じ会議室に軟禁されていた人や
送別会の後カラオケに行った人が全滅など・・

そして昨日は私の隣の人が倒れwww 私も年明けに軽いものを発症した
とは言えもう一度かかるかも?という恐怖感が今年は漂います。

予防はうがい、手洗い、ウイルス除菌?や空気清浄機など・・他には?と
話のなかで突然思い出し、ひとさし指の上に中指を乗せて交差して見せると
「これなんだったっけ?笑」という話になり今日のタイトルに至りますwww
(最近はブログのおかげで古い記憶の引き出しが突然開く機会が増えました^^)

今日は昨日の記事から時間軸で過去までかなり戻るお話です。
少し言葉の語源が気になり調べてみました。(wiki)
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エンガチョは不浄のものを防ぐために囃したてる子供による口遊び。
『大辞泉』で語源は不詳とされている。
網野善彦氏によるとエンは穢や縁を表し、チョは擬音語のチョンが省略され
諸説あるが意味としては「縁(穢)を(チョン)切る」を表すとしている。
口で「エンガチョ」と囃し、指先や身体で防御の印を結ぶことで不浄な
ものの感染を防ぐ事が可能となっている。

日本の民俗風習に於ける「穢れを防ぐ行為」は古来よりあるとされ、
13世紀ごろの『平治物語絵詞』には信西の生首を見ている人々が
人差し指と中指を交差させている図が確認できる。

エンガチョはこうした古来より培われた鉤十字の魔除に起源を持ち、
特に戦前ごろより頻繁に行われるようになった。
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「可能となっている」ww効力があるという事なのでしょうね。

印を結ぶということは「九字切り」とも言われ邪気を祓う意味もあり
言霊と共に発信する方法は古くから公式に行われて来たことで
仏様もそれぞれ意味や意思を持つ為に印相を結んでいます。
(五郎丸さんはあれをあえて”印”とすれば印相に近い意味合いですね)

意味も分からずその行為だけが子供の間で受け継がれてきたとしても
さほど使うシーンは変わっていないと思います。
狂言などもそうですが、人から人へ時間をかけて伝えられてきたものは
時代と共に形は変化しても今も残るのは凄い話です。

ちなみに私の頃は「バリヤー!」でしたが、ウルトラマンなどの
特撮ものが流行りだしてから地域等でフレーズが異なっているそうです。
でもこれは「切る」ではなく「壁を作る」という違う意味に
なってしまっていますね^^;
(いまの子供たちは、まだやっているのでしょうか?)


「思いが現実になる為には思い続けること」とよく言われますが
悲観的に考えて立ち止まっているようでも、実はそちらへ向かって行動を
していることになります。だから前向きに考えることは意識的に必要です。

不思議なことでもなんでもなく、自分の発した言葉や考えはその後の自分を
自身がその結果へと誘導してしまうのです。


意思をもって行動するから願いは叶うのであって(これと”祈るだけ”で
叶う事が現代では混同しているようですが、「思って行動」が基本です)
悪い結果に行きたくないからこそ、意思を持って見聞きする必要があり、
無意識下では心の本質が表れてしまうという事なのでしょうね。

最終的に今日は自己啓発?ような記事になりましたが・・

うがいと手洗い+エンガチョで目の前のインフルエンザを
乗り切りたいと思います^^
現在の『クラウド』という概念を提唱した元Google CEOで
現在はAlphabet役員のエリック・シュミット氏が
人工知能に関するコメントを発表しました。 

『生身のシュミット』と『ノン・シュミット』の二人の
シュミットが、一緒に暮らす未来がやってくると。
そしてAIで鍛えられた『ノン・シュミット』は、
『生身のシュミット』の日常生活において都合の良い
『ノン・シュミット』になることだろう。

おそらく思考スタイルも『生身のシュミット』よりも
エレガントで知的で合理的な判断をしてくれることだろう。

AIに対して脅威的なターミネーター化を恐れる人も多いが
『賢い電卓』でできることをわざわざ暗算で検証する人は
いないだろう。
大半の人類はAIの『ノン・シュミット』を見事に乗りこなすだろう。

しかし人類はそんな志の高い人間ばかりではない。
『ノン・シュミット』に働かせ、自らは『ノン・シュミット』が
得た報酬で享楽的に過ごしたいと思う人も登場するだろう。

その方向に進むとどちらが『生身』で『本物』なのかがわからなく
なってくるだろう。それを証拠に、すでに人類は『調べる』なんて
行為は行わず『ググる』だけで調べたことになっているからだ。 
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上記が実現したとすれば、人工知能は学習を重ねて
誰よりも
「自分の気持ち」を分かってくれるパートナーになると思います。

ただ、シュミット氏の話の通り「楽をしたい」為にパートナーを
「利用」するという考えを持つことは本人は考える事をやめる・・
すなわち終了となるわけですよ^^;

今周りで接する人や様々な人を見ていますが、同様に自分が楽を
して、他人に傷みや負荷を負わせることを前提に生きている人は
恐らく後者になるでしょう。

そうなった時にどうなるかは想像できてしまいます。

一度楽をすると生き方はなかなか変えられない。変えることは
一時大変だからです。変わる事が不安という方もいるでしょう。
でも今のうちにそれに気づく事ができれば、将来AIと暮らす
ことになった時、心強い味方となるでしょうね。

私がその頃はもしかすると介護を必要とする状態になっている
かもしれませんが、私を知り尽くしたもう一人の私は寄り添って
体調の変化も見逃さない立派な介護士になるのかもしれません。


シュミットさんの話は恐らく具体化しているからこその発言
でしょうから、そう遠くない未来の話・・

将来的にAIが一人歩きを始めたとしても人と人を繋ぐ役割
を担うことには代わりないのだと思います^^

でも、もう1人の自分なのだとしたら見た目は自分ではなく
どうせなら綺麗なコが良いな。目の保養になるから・・笑
昨年TVの企画で、マツコデラックスのアンドロイドを制作し
その二人?を対談させながら様々な企画をするという風変わりな
番組が放映されていて、興味深く見ていました。

元々、マツコさんはヒトの域を超えた何か別の生態系のような
イメージがあり(すみません^^;見た目だけの話でなくです)
アンドロイド化されても違和感を感じなかったのが印象的でした。
キャラ的にも、むしろアンドロイドが凄く似合うと思いました。

近年限りなく中性的な人が認知され、世に出やすくなってきており
周りの子達も美しさを兼ね備える男子が増え(気のせい?)
人口減少の要因のうちの一つである「性別を元に種を残す」
という事に執着しない傾向に入ったのではないかと感じます。

他の種では、自由に性別が入れ変わったり、どちらでもない
性別が卵を産んだり、分裂して増えたりとヒトよりも自由な
生態系が数多く存在するので、ヒト自身の進化の限界が来ている今
手付かずで来た「種の永続」をテーマとしたヒトの”中性化”は自然の
ことであり、ヒトは周回遅れなのかもと思ったりもするのです^^;


若い頃、年齢・性別・生い立ち関係なく色々な方と過ごせる環境に
いたおかげで、やはりその様な壁のない中でいる事が一番居心地が
よかったと思うのです。しがらみも気遣いもなく自然にいられる環境。
甘やかさない、厳しさをもつ環境、叱咤激励はあれど「利己」とは
また違う「利他の心」という思いが皆ありました。

通常の社会に出ると、それがまだマイノリティと扱われていますが、
実際には少しづつ広がりを続けているように感じています。
もしかして、こうして普通にサラリーマンを演じている今の自分は、
本当の私ではないような・・居心地の悪さも日に日に募ります。


実際その番組で子供たちがマツコロイドと留守番をするという
企画があり、最初は怖がっていたもののすぐに仲良くなって
いました。素直な子供たちはやはり見る視点が違うなと関心。

私も生身の人間のほうがよっぽど怖いと思いますけれどねww

国と国の争い、会社での足の引っ張り合い、性別初め色々な差別・・
これも全て「固着」した考え方の相違から来るもので、どちらが
優位かを測るものさしでもありますが、境目の無い環境では
その様なことも起こりませんし、既に固着自体は時代錯誤では・・
そんなことを思います。


マツコロイドの登場は、TV局の単なるアイディア的番組だった
のかもしれませんが、案外近い未来になり振り返ってみると
ヒトと人工知能との境目がなくなるきっかけだったといわれる事に
なるのかもしれませんね。

先日お話した技術的特異点の早まりは、一説によれば20年も前倒し
ということも言われています。
それだけ本当に間近に近づいているのです。

その足音を聞くには日々、ただ日常を直視して見ることです
何気ない変化は無意識に体がキャッチしますから。
これからは感性を養う事も重要かもしれませんね^^
先日友人とデビットボウイについて話をしていたところ
「死後すぐに火葬された」との事で驚きました。
土葬と言うイメージがあったのに、またあれだけの
スターであれば冷凍保存という選択肢もあっただろうに
と少し疑念を抱いたのですが・・。

もしかしたら闘病生活でやつれ果てた姿を皆の前には
さらけ出したくなかったのだろうか・・
この世に思いを残したくなかったのかもしれない。

なんだかそんなことを考えていると、ふと祖父のことを
思い出しました。
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初めて葬儀に立ち会ったのは祖父の時、土葬での埋葬だった。

祖父が亡くなったのは私がまだ学生の頃。父親代わりに
お世話になったのに何も恩返しすることもできず、悲報を
聞いた時は絶句するしかなかった。

亡くなる一週間ほど前から頭がいたいといっていたそうで
「風邪かな」と思う程度。定年後公民館の宿直を交代で
行っていたが、その宿直の日誰も居ない場所で柱にしがみ
ついていたであろう状態でなくなっていた。

脳出血だった。相当痛いと聞いていたので恐らくその傷みに
絶えながらだったのだろうと思う。

結局家族は誰も死に目に会えず、私も学校からその日の晩
慌てて帰ると、仏間に立て膝をして白い布をかぶされ
横になっている顔を見てもにわかに信じられなかった。
傷一つなく、穏やかな寝顔と言う印象だった。

その後、葬儀の時まで交代で寝ずにお線香の番をしていた。
地区の風習で、なくなった家族は台所に立ってはいけない
そうで、近所の女性たちが食事などの世話をしていた。

私達はただ、祖父のそばで見守るしかなかった。

葬儀の日、祖父は木の丸い御棺に入れられていた。
立てひざをしていたのは、この丸い形に体育座りで入れる
ようにということだったらしい。

色とりどりの花を入れられ、綺麗に化粧をされた祖父は
そこでも眠っているようにしか見えなかった。
つまり何の前触れもなく亡くなり、私も祖父が亡くなった
実感がないという事なのだが、なぜか涙が止まらなかった。

いよいよ葬儀が始まり、土葬のために山の上のお墓に全員で
行くことになった。籠を担ぐように親族の若者が持ち、その
あとを全員が1列で付いていく。

少し脱線するが、叔母の婚礼の時も同じく家から出た花嫁は
祖父に連れられ白無垢姿で親族が1列で歩いて大きな道まで
行った記憶がある。恐らくこの土地の風習なのだと思う。

いずれも静かに、青々とした緑に囲まれた道の中を厳かに
歩いていく光景は、どちらも遠くから見ると美しく見えて
いたのではないかと今思う。それを受け入れる気持ちが
とても伝わるということもあるのかもしれない。


葬儀では獣道のような細い通を上がっていくと、お彼岸などに
お参りしている見慣れたお墓がある場所に到着した。
広さは家の敷地ほどあり、家の過去帳に記載されているであろう
墓石と思わしきものが点在している。(300回忌だのもういつの
ものだか分からないご先祖の供養を毎年していた)

その中ほどに、深い穴があけられ丸い座棺を納めると
喪主である祖母が祖父の使っていた茶碗と箸を派手に音を立てる
ように投げ入れた。その後も子供から私達孫まで祖父の
使っていたものを次々投げ入れると、最後に土を山にして
埋めた。

その光景が今も頭から離れない。
恐らく、気持ちの区切りをつけるためのもののように思う。

その後、木の棺で眠っている祖父はお墓参りに行くたびに
少しづつ山の形が変わっていき、7回忌ごろには祖父と棺が
朽ちて山がなくなっていました。その後、墓石を立てるのが
通例だそうだ。

ただ、最終的にはこの地区でも土葬が禁止となった為、13回忌の
際にあの場所にある全ての骨を拾い集め、自宅近くに寄せ墓として
祖父とご先祖様の2つの墓石を立てた。

祖父が亡くなったことを受け入れるのに恐らく10年位かかったの
だと思う。土葬の場合はここにあの時見た祖父がそのままでいる
という物質的なものがあるという気持ちがあり、長い間をかけ
朽ち果てる頃に残された人たちも受け入れられたように思う。

「死に目に会う」というのは故人のためではなく、自分たちの
為なのであり、お葬式も気持ちの区切りを残された人がするために
あるように感じた。

その後、幾人かの死に立会い葬儀にも列席したこともあるが
最近の火葬はまだ私には受け入れがたい。

闘病の末亡くなられた方の葬儀が最初の火葬の立会いだったが
広い敷地で、役所の書類の待合のように番号で呼ばれる。
システム的に焼かれて出てくる骨だけの状態の遺体があり
同じように幾人もの方が並んで置かれ、骨を拾った後が奥まで
何体も並んでおり、知らない人の死まで立ち会うことになって
しまうこの光景に非常にショックを受けた。

遺骨を拾う際、全身の骨の一部を満遍なく拾うのだが、
初めて喉仏というものを見た。
亡くなられる直前まで、歯医者に行ききちんと治療をしていた
丈夫な犬歯も拾った。

残った骨はどうなるのだろうか。全て持ち帰ることは
できないのだろうか。死後、簡単に骨となってしまう人の体を
目の当たりにして、これも決別の気持ちであろうかと苦悩した。
亡くなられたことを受け入れるのにも祖父ほどの長い時間は
かからなかったが、何か悔しいという気持ちは残っている。

こうしてきちんと死に向き合い、その後生きていく私達は
その後の生き方に大きな影響を持つ。

私達は、生まれた瞬間から死に向かっている。
その「死」が特異点で近い将来なくなってしまうとしたら私達の
生きるという意味の概念は大きく変わる。

どのように変わるのかは計り知れないものがあるが
日々、色々な出来事に向き合っていく事がやはり大切なこと
ではないかと思うのです。
あと僅かな時間で阪神・淡路大震災から21年になります。
長かったと感じる方もいるでしょうし、あっという間だと
言う人もいるでしょう。

過去から日本は地震の多い国です。
島国で国土の70%が森林に覆われた環境の中で独自の
進化を遂げてきました。

地震だけではなく台風や洪水など、地形特有の災害に
あいながらも、何度も立ち上がってきました。

この時期になるとTVでも当時の震災に関する特集がされ
記憶を呼び起こしながら、また来るかもしれないその時に
備えるのです。

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当時直接被災はしていませんが、私の友人も多く住んで
いたので支援に行きました。
といってもちっぽけな私ではあまり役に立っていませんが・・

当時はがれきの中を車では移動できず、自転車を持ち込んで
物資を運んだり片付けなどをしていました。
記憶にある景色はモノクロです。全てが灰色でした・・
最終的に6,400名程の命が奪われることになりました。

約1年後には三宮は道路の地割れ修復が残る程度で、ほぼ
戻通りになり驚いた記憶があります。
ただ、やはり何年も手つかずの地区も数多くありました。

復興支援のきっかけにルミナリエも始まり、毎年この時期に
避難訓練をするなどの活動は今も続いています。
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人は、記憶が風化していくようにできています。
辛い体験がいつまでも鮮明に残っていれば前に進めません。
忘れないようにするには、思い続けるしかないのです。

今の時代は記録に残す機会が数多くありますので、
映像やつぶやきなどで当時の状況を知ることが出来ます。

今、私は過去のそのような災害の上で生きています。

この震災をきっかけに沢山の事が変わりました。
災害から町を守る区画整備や建築基準法の改正から始まり
揺れでブレーカーが落ちる仕組み、レバーを上に上げると
水が出る蛇口、揺れで玄関のドアが外れる構造など
過去の教訓を元に災害時に被害を最小限に抑える工夫も
様々なものに取り入れられています。

今身の回りにあるものは、震災に限らず大きな災害や
事故、公害などで沢山の被害が出たことがきっかけで
様々な工夫がなされている事に気付きます。

ただ便利になったのではなく、被害を軽減するために
過去から知恵を絞ってきたからこそ今があると思うのです。

「今」を生きる事の大切さを噛みしめて、また新たな
一歩を進んでいきたいと思います。