第4話 伝統は止まることではなく、流れ続けること

――三代目店主が見つけた“未来への入口”

 

 

■ 消えない問い

仕込み場で聞いた村井の言葉が、佐久間の胸の奥で燻り続けていた。

 

「店主……召し上がって、実際どうお感じになったのですか」

 

あの時、佐久間は答えられなかった。
「いつもの味」と言えば済んだのかもしれない。
だがその言葉は、どうしても口から出なかった。

 

そして村井は続けた。

 

「最後は“あなたが決めること”です。
伝統をどうつなぐかは、三代目であるあなたの役目です」

 

静かな声だった。
だが、その重さは後になってからじわじわと効いてきた。

 

仕込み場に残されたのは、佐久間と由紀だけだった。

 

 


■ 二人だけの試食

村井の背中が見えなくなると、由紀がぽつりと言った。

 

「店主……申し訳ありません」

 

何に対する謝罪なのか、佐久間にはすぐには分からなかった。

由紀は試作品をそっと手に取る。

 

「もう一度、召し上がっていただけませんか」

 

二人は通常品と試作品を並べて口に運んだ。

違いは分からなかった。

何度味わっても、分からなかった。

 

「……同じですよね」

「ああ」

 

沈黙が落ちる。

だがその沈黙は、不思議と重くはなかった。
 

むしろ「まだ終わっていない」という感覚が残った。

 

 


■ 翌朝の小さな違和感

翌朝。
仕込みの合間に、もう一度作ってみた。

 

丁寧に味わう。
時間をかけて味わう。

 

それでも佐久間には違いは感じられなかった。

そのとき、由紀が小さくつぶやいた。

 

「……なんか、昨日よりやさしい気がします」

 

味は同じである。
だが、口の中での広がり方や溶けていく感覚に、わずかな違いがあるという。

舌で感じているというよりも、どこか別のところで感じているようだった。

 

 


■ 目隠しという試み

「目隠しをして食べてみるか」

 

佐久間が提案した。

試してみた。
 

違いは分からなかった。

もう一度試した。
 

やはり分からなかった。

その翌日も同じだった。
さらにその翌日も。

 

由紀は、自分の感じたものは思い込みだったのではないかと考え始めていた。

それでも、どこかで「何かはある」という感覚が消えない。

そして、試作品を見つめたとき、ふと口にした。

 

「店主……色が味に影響していることはありませんか」

 

視覚が味覚を動かす。

そんなことがあるのだろうか。
 

だが、否定しきれなかった。

 

 


 

■ 一週間の試行錯誤

試行は続いた。

目隠しでは違いは分からない。
見てから味わうと、由紀だけが違いを感じる。

 

四日目。
五日目。
六日目。

 

由紀は少しずつ確信を持ち始めた。

 

「違うと思って味わうと……やっぱり違うんです」

 

やがて、見た後に目隠しをしても識別できるようになっていった。

 

七日目。

ついに佐久間の中でも、何かが動いた。

 

はっきりとは分からない。
だが、同じではない気がした。

 

二人は顔を見合わせ、静かに頷いた。

 

和菓子は舌だけで味わうものではないのかもしれない。
目で味わい、心が反応し、その反応が味わいを変えていく。

 

そんな領域があるのではないか――
二人は、ようやくその入口に立った気がしていた。

 

 


■ 村井の前へ

二日後。

二人は試作品と記録を持って村井の前に立った。

 

「味は変わっていません」

 

佐久間はそう言った。

 

「ですが……入り方が変わるのです」

 

村井は何も言わず、ゆっくりと口に運んだ。

長い沈黙が流れた。

 

やがて、ほんのわずかに表情が緩んだ。

 

「……ようやくそこに足を踏み入れましたね」

 

和菓子は舌だけで味わうものではない。
目で味わい、心で味わい、そして記憶で味わうものだ。

 

その言葉は、励ましのようでもあり、試練のようでもあった。

佐久間は深く頭を下げた。

 

何かが分かったとは言えない。
だが、分からなかった頃には戻れない気がしていた。

 

 


 

■ 第4話の終わりに

若手の感覚。
お客様の言葉。
職人の恐れ。
店主の迷い。

 

それらが、ゆっくりと一本の線になり始めていた。

伝統とは、止まることではない。

 

どこへ流れていくのかは、まだ分からない。
それでも佐久間は思った。

 

この店は、記憶をつなぐ店でありたい。
そして、心を少し豊かにする店でありたい。

その思いだけが、静かに胸に灯っていた。

 

 

 

―完―

 

 

 

 

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