こんにちは。
今日もハーモニー経営に関するお話です。
ハーモニー経営の一端を垣間見ていただくために
ある中小企業社長の苦難、そしてそこから這い上がる物語をお伝えします。
静かなる問い ― 経営者にとって「やりがい」とは何か
1.決算を終えた夜
吉村社長は、静かな事務所にひとり残ってた。
時計は午後十時を少し回ったところ。
決算資料を閉じ、冷めたお茶を口に運ぶ。
黒字――数字の上では誇れる結果。
けれど胸の奥にあるのは、安堵ではなく空白に似た感覚だった。
「やりきった」という感覚がない。
社員はよくやってくれた。顧客からの評価も悪くない。
それなのに、何かが欠けている。
創業当初の夜通し機械を回していた頃の高揚感は、もう感じられない。
経営とは、ただ維持していくことなのか――。
静けさの中で、ふと心に響いた声。
「俺は、何のためにこの会社を続けているのだろう。」
2.“うまくいっているのに”という違和感
経営者仲間と集まる場では、吉村もそれなりに笑っていた。
「安定してるね」「堅実な経営だよ」と言われるたびに、
「いやいや、うちも苦しいよ」と返す。
それは本心でもあり、どこか演技でもあった。
「安定」は望んでいたものではなかった。
新しい製品を出してもヒットには至らず、社員の顔にも熱が戻らない。
打ち合わせでは数字と効率の話ばかり。
「なぜやるのか」という言葉は消えていた。
ある日、若手社員がこぼした言葉。
「やりがいって、何だろうな。」
吉村は「お客様に喜んでもらうことじゃないか」と返した。
けれど、その言葉に力がないことを自分でも感じていた。
――喜ばれているのに、なぜ心が動かないのか。
その問いは、いつの間にか自分自身に向けられていた。
3.“経営者である自分”と“ひとりの人間としての自分”
経営の現場に立つと「社長」という仮面をかぶる。
社員の前では弱音を見せられない。
取引先には常に自信をもって話さなければならない。
しかし最近、その仮面が重く感じるようになっていた。
社長としての言葉と、自分の内側の声がずれていく。
「守るべきもの」が増えるほど、「本当にやりたいこと」が見えなくなる。
人の期待に応えるほど、自分が遠のいていく感覚。
ある夜、妻に言われた一言。
「最近、楽しそうじゃないね。」
胸が詰まった。
経営は使命だと思っていたが、いつの間にか義務になっていたのだ。
4.成果がすべてを曇らせるとき
会議では「数字をどう守るか」が中心になっていた。
「新しいことをやろう」という声は上がらない。
いや、上がっても自分が抑えていたのかもしれない。
「今はリスクを取る時期じゃない」「堅実に行こう」
そんな言葉を繰り返すうちに、社員も口を閉ざした。
成果を求めることは悪くない。
だが成果だけを追い始めると、人は“何のためにやっているのか”を忘れてしまう。
利益が出た年も、赤字になった年も、胸に残るのは同じ空虚さ。
「結果が出ても、心は満たされない。」
その瞬間、吉村は初めて、自分が“惰性の経営”をしていたことに気づいた。
5.問いの始まり
年度が変わる少し前、吉村は社員との面談を始めた。
「今の仕事、どう感じてる?」と尋ねてみた。
返ってきた言葉に驚いた。
「もっとお客様と話せる仕事がしたいです」
「効率化も大事だけど、やりがいが感じにくくて……」
「社長は、今の会社の方向性、どう考えてますか?」
社員たちは、自分以上に「この会社の意味」を探していた。
それは、心のどこかで封じていた自分自身の問いでもあった。
やりがいとは、与えるものではなく、共に見つけるものなのかもしれない。
経営者が“何を成し遂げたいか”だけでなく、
“なぜそれを続けたいのか”を語ることが、経営の原点なのかもしれない。
6.静かな夜に、再び火を灯す
決算書を閉じた夜、吉村は久しぶりに机にメモを開いた。
「自分が本当に望む経営とは?」
答えはまだ出ていない。
だが、不思議と心は軽かった。
数字と責任の向こうに隠してきた“自分の声”が、少しずつ戻ってくる感覚。
経営は戦いではない。
誰かを打ち負かすことでもない。
人と人とが響き合いながら、同じ音を探していくこと――。
そんな経営ができたら、きっとまた心に火が灯る。
吉村は静かにペンを置き、窓の外の夜明けを見つめた。
遠くで鳥の声が聞こえる。
新しい一日が始まろうとしていた。
(つづく)
詳細原文は
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