映画「のぼうの城」を観て思ったこと | 株式会社テクノコーポレーション

映画「のぼうの城」を観て思ったこと

寒くなりましたね。テクノコーポレーションの新國浩之です。戦国武将の「新國上総介貞通」がご先祖だそうです。

芦名一族だったそうですが、伊達政宗に敗れ、豊臣秀吉に助けられたそうです。「新国」で調べると結構出てきますね。

その後は上杉家の家臣となり、半分は農家になって福島県北部に残ったそうです。


そんな歴史を眺めていると、自然とその時代に興味は沸きますよね。


「のぼうの城」は、ちょうどその頃の「小田原征伐」のときだったのです。


北のほうでは私のご先祖様が戦の真っ只中だったんですよね。


そんな歴史に想いを馳せながら、「のぼうの城」を観てきました。


北条氏政の支城だった、現在の埼玉県行田市の「忍城」に、石田三成が二万の兵を率いて城攻めをするのですが、500の将兵で守りきり、小田原城開城まで持ちこたえるというドラマです。


成田長親という「のぼうさま」(でくのぼうの略)が、敵陣の前まで来て舞を踊ったという話は知ってましたが、やけっぱちだったともいわれています。


成田ナントカという城主の甥だったかな。成田軍のほうは、はずかしながら全く知識がありません、


映画では、佐藤浩市がやたらカッコよかった。ぐっさんは役不足。主役は言うまでも無くジョリーグッドでした。


豊臣方(太閤軍)の石田三成は、私の郷里の米沢城主だった直江兼続と仲良しだったのでお気に入りですし、大谷吉継も名将です。長束正家は乱暴者で有名。


史実では、石田堤(全長28kmのすごいもの)が決壊し、石田方に多数の死傷者が出てしまい大慌てのうちに戦が終結してしまったとのこと。


しかし、北条方の支城が全て落ちたのに、忍城だけは持ちこたえたのは事実なのです。


20000VS500って、200VS5みたいなものです。しかも水攻めにより兵糧も不足したでしょう。


いま行田市にある忍城は、最近造ったものなのでしょう。もともとは平城だったのです。


石田堤の跡は、いまでも残っているそうです。こんど見に行ってきます。利根川をせき止め、お城を湖のなかに孤立させるんですから、大掛かりな戦だったんでしょうね。


それ以前も、沼地に造った城は「亀城」とか「浮き城」とも呼ばれ、難攻だったそうです。上杉謙信にも攻められていますが、そのときも持ちこたえているそうです。


いまでいう「ランチェスター戦略」の戦国時代バージョンです。柔よく剛を制す。本当にあった話ですから、やればできるんですよね。


わが社も、○菱電機ビルテクノサービスや、○立ビルシステムとやりますか。冗談冗談。