昨日の記事(あらためて、私の身体の現状について)の続きです。

 

時系列をさかのぼって整理してみますと、私が病に倒れたのが2014年9月18日。職場で発症したことから、すぐに救急車で近くの総合病院に救急搬送。当初は救急病棟に入院となりましたが、幸い開頭手術をすることもなく、点滴治療で容体が落ち着いたことから数日で一般病棟に移ることができました。

 

そして、その後のリハビリについて家族と相談した結果、大分の実家近くの総合病院の回復期リハビリテーション病棟に転院できることとなり、9月30日に転院して、大分でのリハビリ生活がスタートしました。

 

このころはまだ左半身はほとんど動かず、リハビリセンターへの移動は車いすを使用。

当初はベッドから車いすへの移乗も看護師の介助が必要という状態でした。当然トイレに行くのも一人ではできず、そのたびにナースコールを押してトイレに連れて行ってもらうという毎日でした。

 

その後リハビリの効果もあって、車いすの使用は約2か月で卒業し、麻痺の残る左足には短下肢装具(ひざから下を固定する装具)を装着して、杖を使って病棟内は移動できるようになりました。このころには、トイレも一人で行けるようになっていました。

 

とはいっても、病院内という環境の整った中(段差がないということですね)で、やっと杖を使って移動できる状態になっただけのことで、職場復帰などの見通しは全く立っていない状態でした。

少しずつ回復を見せる中、私が将来の見通しが立たないことに精神的に不安定になって、うつ状態になったのもちょうどその頃でした。

 

すでにお伝えしているとおり、発症当時、私は熊本で一人暮らしをして、熊本の職場で働いていました。

故郷大分の病院でのリハビリの第一目的は、退院そして家族(両親)の住む実家への在宅復帰。一方、私が最終目標としていたのは、熊本での在宅復帰及び熊本での職場復帰。

 

大分の病院での入院→退院→大分の実家での在宅復帰→熊本での在宅復帰(一人暮らしの再開)→熊本での職場復帰。

 

私の最終目的の達成までは、これだけのハードルが待ち構えていました。

左下肢のリハビリが比較的順調に進み、車いすを卒業して杖を使っての歩行ができる状態になってもなお、最終的な目標である熊本での職場復帰までこれだけのハードルがあるということを認識したとき、私は、実は、まだ将来の見通しが全く立っていないんだということにあらためて気づいて、うつ状態になってしまったというわけです。

 

そんな不安定な状態の私を支えてくれたのは、家族であり、病院の主治医のDr.であり、私の復帰のために努力してくれた療法士や看護師などのスタッフのみなさんでした。入院生活やリハビリの中では、つらく苦しいことが多かったのも事実ですが、主治医(女性)をはじめ、病院のスタッフのみなさんも、いい意味で明るくノリのいい方たちばかりで、病院での生活そのものは楽しいものでした(楽しいという表現が適当なのかどうかはともかくとして)。

 

そんな多くの方々の直接的な支えにもまして、私の入院生活、リハビリ生活を支えてくれたもの、それは、このブログに寄せられた、多くの仲間のみなさんからの応援や激励のコメント、メッセージの数々でした。

 

今だから言えることかもしれませんが、つらいことや苦しいことがあったとき、気持ちがふさぎこんでしまったとき、私が就寝前に次の日のリハビリに向けて気持ちを前向きにするためにやっていたこと、それは、みなさんからのコメントやメッセージを何度も繰り返し読み返すことでした。

 

私の最終目的が職場復帰であるということはさきに述べたとおりですが、それはあくまで「公」の部分でのことであり、「私」の部分での最終目的は、LIVE参加へ復帰すること、そして仲間のみなさんと再会して、直接感謝の気持ちを伝えることでした。

 

「私」の目標達成がいつになるのか全く見通しが立たない中、「あせらずに、いつまでも待っていますよ」というみなさんの温かい言葉には、本当に力をいただきました。

 

こうして多くのみなさんの支えのおかげで、私の心理状態も次第に落ち着きを取り戻し、前向きにリハビリに取り組むことができるようになり、最終的に当初の目的である半年(6か月)よりも早く、4か月後の2015年1月末に退院し、実家に戻ることができました。

 

その後一日おきに通院して外来リハビリを継続して、3月末に熊本の自宅に戻ることができ、約半年の休職期間を経て、4月から職場に復帰することができました。

(これも今だから言えることかもしれませんが、主治医の当初の見立てでは、1年以内の職場復帰を目指そうということだったようです。)

 

その後の生活状況、LIVE参加への復帰、仲間のみなさんとの再会については、このブログでお伝えしてきたとおりですが、その後職場の配慮もあって大分の職場に異動することができ、故郷大分での仕事を続けて現在に至るということになります。

 

こうやって振り返ってみると、私がこうして「前向きに、明るく」生きて行けるということは、自分なりの努力もあるのかもしれませんが(ちなみに、現在は、右手一本だけでも結構何とか生きて行けるもんだな、と感じています)、それにもまして、私を支えてくださっている多くみなさんのおかげであるということをあらためて実感します。

 

使い古された表現だとは思いますが、「人は一人では生きていけない」。

私の努力よりも、もっともっと何倍もの、多くのみなさんの支えに力をいただきながら、私は現在も「前向きに、明るく」生きることができています。

 

みなさん、これまでの励まし、お力添え、本当にありがとうございます。

以前に比べるとLIVE会場などで直接お会いできる機会は減っているかもしれませんが、こうしてブログやSNSでつながることができていることは、本当に幸せなことです。

 

みなさんに支えられてばかりで、恩返しが十分にできていないのは心苦しい限りですが、これからも、このブログやSNSを通じて、少しでも恩返しをすることが、逆にみなさんを支えることができればと思っています。

 

これからも、「前向きに、明るく」頑張ります。

これからもどうぞよろしくお願いします。

 

p.s.

現在も使用している、左足のひざ下に装着する短下肢装具です。

 

 

外出するときはこちらのお世話になっています(室内では使用しなくても大丈夫になりました)。

こちらを装着することで、健常者に近い形で歩くことができます。

 

耐用年数は約2年。現在使用中のこちらは2代目です。

(完全オーダーメイド。価格は約5万円ですが、保険から一部補助が出ます。)

 

普段はパンツ(スラックス)の下に隠れていますが、みなさんとお会いするときもこちらを装着しております。

今度お会いしたとき、見たいという方がいらっしゃいましたら、お気軽にお声かけください♪