久しぶりにこれをやってみましょう
パラオ共和国です
赤枠は旧首都のあるコロール島の辺り(2006年に首都はマルキョクに移転)
黄枠は第2次大戦の激戦地ペリリュー島があります
赤枠を更にズームアップするとパラオ最大の都市コロールの中心街の辺りです
その一部をさらに拡大していきましょう
扇形の広場のような場所がありますが、野球場のようですね
日本統治時代に造られたアサヒスタジアムです
パラオはまずスペインが植民地とし、1899年にドイツが買い取りますが、第1次世界大戦時に日本が占領し戦後に日本の委任統治領となりました
特に資本投下などもせずプランテーションとしてしか使われなかったスペイン・ドイツ時代と違い、日本はインフラ整備や教育の普及・殖産などを行いパラオの発展を促しました
このアサヒスタジアムもその一環だったのでしょうか
そのライト側隣接地にそれはあります
これは特二式内火艇と呼ばれる水陸両用の上陸作戦時の火力支援を目的とした戦車の残骸です
上の画像の残骸は前部のフロートが取れてしまっていますが、後部は付いたまま朽ち果てたようです
この前後のフロートの浮力で船の様に海岸に上陸し、そこからは履帯< いわゆるキャタピラ)で走行する事になります
戦車や大砲のような重量物を船から陸地に降ろすのはかなり大変です
港湾設備のある、即ち大型の輸送船を接岸できてクレーンで荷下ろしができるような設備が整えられていないと戦車を上陸させるのは難しく、当時のアジアでは限られた場所にしかそのような設備はなかったのは言うまでもありません
今日でも大型の輸送艦から港を使わずに物資を揚陸させるのには大きな手間と苦労が伴います
戦前戦中も既に同じ方式が行われていました
これは神州丸という輸送艦と、その船尾からわらわらと出てくる大発動艇という上陸用舟艇です
こちらがその大発
米国旗が立てられていますが、敵に鹵獲されて使われた物のようです
船首部分が開いて倒れ、人や物資、車両を乗せ降ろしできるスロープになる設計で、米軍も似たような物を使っていましたが、この大発を真似たと言われています
戦車も載せられる特大発という大型の大発もあったそうですが、戦車自体を輸送艦から直接発進させて、時には砲撃しながら上陸を敢行、なんて事を考えたのでしょうか
フロートを外しても中戦車並の大きさなのに、主砲の火力や装甲の厚さは軽戦車程度しかなく対戦車戦闘は困難だったでしょうが(というか不可能)、機関銃弾ていどなら何とか防げたでしょうから生身の体ひとつで上陸しなければならない兵士達には心強い存在だったでしょう
相変わらず長々と前フリをしてから、やっと本題に入ります
最近面白い漫画作品と出会いました
『ペリリュー 楽園のゲルニカ』
第1話を試し読みできるので、良かったら下のリンク先に飛んでみてください
http://sokuyomi.jp/product/periryuhra_001/CO/1/
以前この作者のデビュー作の『さよならタマちゃん』を紹介した事がありましたがが、先日第3巻が発売されるまでこの作品に気付かなかったのは迂闊でした
この絵柄で戦争漫画をやるなんて、軍隊生活の日常系(あたしンちとかサザエさんのような特に盛り上がりもオチない日常のありふれたネタを扱うほのぼの作品)かなと思わせといて結構エグい作品です
試し読み分でも既に何人か死んでますが、本編が進むにつれてこの100倍以上グロい情景が描かれていきます
この作品の舞台になってるのがペリリュー島です
冒頭の紹介にもありましたが、1944年9月15日に米軍がこの島への上陸作戦を始め、実質的な戦力が日本軍6000人に対し米軍5万人が攻撃を仕掛けます
一番上の地図を見て貰うと分かりますが、フィリピンのすぐ隣りにあって飛行場が作られていたペリリュー島はフィリピン奪回を期す米陸軍にとり絶対に押さえねばならない要地でした
戦前はアメリカの植民地だったフィリピンは、そこの司令官だったマッカーサーにとっても親の代からの利権の地であり、開戦劈頭に日本軍の侵攻を受けてオーストラリアに逃げ出す時に「アイ シャル リターン」と語ったのは有名な話です
そういう逸話はともかく、作品の扉絵にある主人公の後方に擱座した戦車を確認してみて下さい
前方のフロートが取れ、後部に連装機銃が積まれている特二式内火艇が描かれています
よく見ると砲塔の主砲が根元近くで折れていて、アサヒスタジアムの本車両とモデルにしてる事が分かりますね
もう一つ作中で描かれている敵爆撃機B-24のシルエットが、特徴的な細い胴体と主翼がよく再現されています
この種の画像で見るとずんぐりむっくりの不格好な機体に見えますが、実際は縦に太いだけで胴体の幅は細く、主翼も頼りないくらい細長い姿をしてるのがわかります
実際、構造上脆い部分の多かったB-24リベレーターは乗員から不人気で、『未亡人製造機』『空飛ぶ棺桶』などという綽名で呼ばれていたそうです
余談ですが、この機体を貰ったイギリス人パイロット達は「俺達のランカスターに似ててカッコイイ!」と言ったかは不明ですが、好評をもって使われたそうです
( ・ω・) 「うん、確かによく似てる」
このランカスターも独特の設計がされている英国面溢れる機体でしたが、B-24にも同じテイストを感じます
話を戻すと、この作者はキャラクターは2~3等身の可愛らしい系を描きますが、兵器にはかなり造詣が深い人の様です
原案とアドバイザーに真面目な研究家も付いているらしく、史実的にも確かです
このペリリューの戦いはガダルカナル島・硫黄島・沖縄戦と並ぶ激戦地であり、補給も途絶するなか絶望的な持久戦を戦い守備部隊が玉砕した悲劇の戦場です
米軍も上陸の前に入念な爆撃や艦砲射撃を行っており、当初は2~3日でカタが付くと思っていたのが予想を遥かに超える常識外の抗戦に遭い、1ヶ月半続いた戦闘で最初に上陸した米海兵隊第1師団は6割にも及ぶ損失を出して後方に下げられ、師団長が解任されるほどの衝撃を受けたのでした
しかもフィリピン奪回の前線基地として攻め込んだ筈が、完全に掌握できたのはフィリピン上陸のレイテ海戦が一段落した後であり、こんな苦労をしてまで奪う価値があったのかと米軍を嘆かせる結果となったのでした
この戦いを悼んだ米太平洋艦隊司令長官のニミッツ元帥は詩文を寄せ、その碑がペリリュー神社に建てられています
「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」
"Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz"
また2015年、今上陛下と皇后陛下がかねてから希望されていたパラオへの慰霊訪問をなされた時に、直接ペリリュー島に渡る事は出来なかったものの、対岸から鎮魂を祈られました
( ・ω・) 「全くの余談ですが、日本のネット界隈で世界3大異能者に例えられる船坂弘が隣りの島であるアンガウルの戦いに参加しており、重傷を負ってペリリュー島の捕虜収容所に収監されています。彼の『活躍』についてぜひウィキペディア⇒アンサイクロペディアの順でご覧ください」
船坂弘wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%A9%E5%9D%82%E5%BC%98
船坂弘アンサイクロペディア
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%88%A9%E5%9D%82%E5%BC%98