海軍の休日 空母の黎明 | Dream Box

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このブログの内容は5割の誤解と4割の勘違い、2割の嘘で成り立っています



これは敗戦直後の呉港で大破着底した姿をさらす空母『天城』です



戦後進駐してきた米軍の調査映像につきカラーでの動画が残されています


“天城”というと以前紹介したこれを思い出します



日露戦争後(1904~5年)の世界情勢から対米戦略の一環として整備される事になった八八艦隊計画の主力となる『天城型巡洋戦艦』のネームシップ『天城』と2番艦『赤城』

しかし第1次世界大戦(1914~8年)の戦勝国で結ばれたワシントン海軍軍縮条約(1922年)により廃棄せざるを得なくなり、天城・赤城は航空母艦へ改造される事になりました

が、1923年の関東大震災により横須賀で建造されていた天城は修復困難な被害を負い解体されることになってしまいます

その船体の一部が回りまわって現存し、今では再び横浜に帰って来て通称“天城浮き桟橋”として護衛艦いずも等の艤装の足場として活用されています

破損した天城の代わりは同じく八八艦隊計画艦として建造が進められワシントン軍縮条約で廃棄が決まっていた戦艦『加賀』が空母に転用され、広島は呉で建造されていた『赤城』と共に後の第一航空戦隊を組むことになるのでした

天城の名はその後、第2次大戦中に建造された『雲龍型航空母艦』2番艦として使われる事になりますが、完成した時には既に敗勢は覆しようが無く上に乗せる艦載機の都合もつかないまま最後は空襲を受けてこの姿となるのでした


そもそも空母、“航空母艦”というのは第1次世界大戦中に始めて戦争に使われた飛行機を海の上でも使おうとした事から始まります

当初はジブリアニメの『紅の豚』にも登場したような水上機や飛行艇が作られていましたが、飛行中は邪魔でしかないフロート部分が性能低下を来たす為に陸上機をそのまま載せる事が出来る船を作ればいいじゃないかと考えられます

で、イギリスが作ったのがこれ


                                  空母(!?)フューリアス

英国面あふれる異様な姿をしていますが、元々大型巡洋艦として作った物を18インチ単装砲(何と後の戦艦大和と同クラスの主砲)をたったの2基搭載という何とも使い勝手の悪そうな軍艦だったので、早々に実用化を諦めて空母に転用したからのこの姿でした

当時の戦闘機は主翼を複数枚上下に重ねる複葉機が主流で、その軽量さから離着陸に必要な滑走距離も短めで済んだのですが、幾ら何でもこれでは無理があります

また空母という新兵器の黎明期ゆえの試行錯誤の時代であり、発艦は前方のスペースでやれば良いものの困ったのは着艦の方でした

当初は後ろから近付いて併走するように母艦の横に並び、失速するギリギリの速度で横滑りさせて無理矢理着艦する方法が試されていましたがすぐに諦めます

いくら英国人といえど飛行甲板の真ん中に艦橋を建てたままで満足する筈もなく、艦橋を撤去します



だいぶ現在の空母らしくなってきましたが、それでも普通に作らないのが英国の英国たる由縁です

上部の飛行甲板が中途半端に短く、艦前方部分が平たくなっていますが、実はここも飛行甲板で発進時には滑走距離が短くて済むのだからこっちを使い、着陸時には多少長い距離が必要なので上の甲板を使えば発艦と着艦を同時にやれて便利なんじゃ、と考えたのかこんな設計に

これに飛びついたのが当時日英同盟を組んで色々技術を教えて貰ってた日本人でした

フューリアスは巡洋艦から転用された改装空母でしたが、日本人はわざわざ最初から空母を作ろうとして『鳳翔』を造ります



この狭い甲板上に如何にも邪魔そうな艦橋を置いてしまったのが英国に倣った原因でしょうか

日本人もすぐに邪魔だと気付いて撤去します



ちなみにこの姿の鳳翔がジブリアニメ『風立ちぬ』にも登場しているのでした



空母建造技術の修得に目途が付いたと思ったのか、先述の軍縮条約で赤城・加賀を空母に転用する事にしたのですが、フューリアスの多段式甲板が日本人の琴線に触れてしまったらしく、当初はこんな姿で建造されてしまいます


                               空母加賀(三段甲板時代)

一番上が着艦用、真ん中が中型機発艦用、下が戦闘機発艦用で

尤もイギリス人も日本人も試すまでもなく使い難い事に気付いたらしく、フューリアスは下の戦闘機発艦用甲板、赤城加賀の真ん中の甲板は艦橋と対空砲のプラットホームにしただけでした

余談ですが宇宙戦艦ヤマトに登場した三段空母の元ネタにもなってたりします


                                よく見ると実は四段

初期の空母で意外に困ったのが、この艦橋と煙突の配置方法でした

甲板上に余分な構造物を置くのは何よりも邪魔でしたが、さらに気流が生まれてしまい着艦時の飛行機にとって事故の下になる事が懸念されたのです

特に煙突が鬼門であり、2枚上の三段甲板時代の空母加賀は2段目の甲板に沿う様にオートバイのマフラーのような煙突が船体中央から艦尾に向かって伸ばされています(これも英空母アーガスからの引用)

余計な気流を作らない事が目的だったのですが、艦尾に煙突の排煙口を設けた為に高温の排煙が新たな気流を作ってしまい着艦しようとする飛行機に影響を与えてしまうのでした

更に、艦尾に向かって伸ばされた煙路のせいでその近辺の居住区は灼熱地獄と化してしまい(付いた綽名が“海鷲の焼き鳥製造機”)、とてもここでは寝られない乗員たちは格納庫で寝起きするようになったと言います

空母加賀は一時期風紀の乱れた艦として有名だったそうで、こうした居住環境の劣悪さが影響したとも考えられています



一方赤城はオーソドックスに(?)右舷側側面に突き出した屈曲式煙突を採用しますが、第1煙突は下方向に向けられて且つ海水を噴射して冷却する方式を採り第2煙突は上向きに設置されたのですが、何と言ってもこの煙量では艦橋がとんでもない事になってしまうので、赤城の艦橋は左舷側に移されるのでした


                              レキシントン級空母サラトガ

空母の艦橋と煙突の配置というのはどこの国でも悩みの種だったようで、アメリカでもこんな有様になってしまいました(というか余り悩んでない?)

日本では、と言うか歴史上において艦橋を左舷側に配置した空母は珍しく、日本では空母赤城と飛龍だけでした

赤城と加賀は元が戦艦だっただけに船体が大きく余裕がある作りだったのですが、軍縮条約で空母の保有量も国力に応じた総量規制が定められており、数を増やす為には大型空母ばかり揃えられなくなっていました

そこで設計されたのが軍縮条約準拠の中型空母『蒼龍』と『飛龍』でした
      

                                  空母蒼龍


                                  空母飛龍

本来は同型艦の筈の蒼龍と飛龍でしたが、蒼龍建造時に発生した友鶴事件(1934年)と第四艦隊事件(1935年)で軍艦の強度と復元性が見直される事になり、飛龍は設計が大幅に変更されることになったのでした

友鶴事件は日本軍艦の特徴でもある小さな船体に大量の武装を盛り込んだ結果、船の重心が高くなってしまい傾いた時の復元性が低下していた為に、水雷艇『友鶴』が演習中に転覆して多くの死者を出した事故で、当時の日本軍艦の中心的に設計していた藤本喜久雄造船少将が更迭されるきっかけとなりました

第四艦隊事件は同じく演習中に台風に見舞われ多くの艦船が損傷した事件であり、この2つの事件が相次いだことから日本海軍が軍艦への武装偏重を『ちょっとだけ』改める事になったのでした

ちなみにこうした事故を経験していなかったアメリカ海軍は、第2次大戦末期に2度に亘って台風により大きな損害を出すことになるのでした(共に艦隊司令官はW・ハルゼー、戦時中でなければクビになっていたとされる程の過失だった)


飛龍もまた煙突との関係や、ペアを組む僚艦との役割分担から艦橋を左舷側に移した設計となったのですが「やっぱり邪魔」だった事が明らかとなり、次の翔鶴型空母では2艦ともに右側前方に艦橋が配置される事になったようです

そのおかげで翔鶴型の『翔鶴』『瑞鶴』は外観上全く見分けがつかなくなってしまい、間違って着艦する艦載機が続出したのだとか





一説には艦橋後部のマストに取り付けられていた拡声器の向きが両艦で違っていた『時期があった』とも言われ、それが唯一の識別点だったとも言われています

ちなみに日本より遥かに同型の兵器を大量に造る米軍でもこの種の着艦間違えで迷子になる艦載機が後を絶たず、こんな目に遭わされるのだとか


                          NAVYを消され「空軍に行け」と描かれる

艦橋が左舷側にあると邪魔になる理由は幾つかあります

1つは当時の飛行機はプロペラ機であり、プロペラの回転方向から生まれる反作用で左に曲がりたがる傾向がありました

艦橋が左舷側にあると下手をすると衝突コースになってしまう事や、人間の心理的に進行方向の左側に障害物があると不安を憶えるらしいとも言います

また船は伝統的に港へ入る時に左舷側で接岸する事が多く、煙突は右舷側に置くしかなく重量バランスを取る為に艦橋は左側に置きたいとする考え方もあったのですが、気流や衝突への懸念から現在では右舷側が常識となりました

しかし蒼龍と飛龍の画像を見て貰うと飛龍の方が艦橋が大型化しているのが分かります

これは離岸時に海側に突き出た蒼龍の艦橋は周囲を見渡し易いのでこのサイズで良かったのですが、岸側に艦橋のある飛龍は飛行甲板ごしに海を見なければならない分大きく高く作らなければならなかった事情もあるようです

艦橋を大型化しておいた結果艦隊を組んだ時の司令部要員を収容し易くなり、ミッドウェイ海戦時に山口多門提督は第二航空戦隊司令部を飛龍の方に置いていました

軍縮条約の影響からとにかく手頃なサイズの中型空母が欲しかった時代の蒼龍は被害に対する耐久性に問題があったとされミッドウェイ海戦では最初に沈んだ空母となりますが、友鶴・第四艦隊事件で設計が見直された飛龍はそこから一矢を報いて敵空母と刺し違えるのでした(ダメージコントロール能力以前に敵弾がどちらに命中したかの違いですが)



ちなみに昔の船は舵取り板(スターボード starboard)を右舷後尾に置いたため、こちら側で接岸するわけにはいかなかったのですが、

この為現在でも右舷側をスターボードサイド(舵側)、左舷側をポートサイド(portside、港側)と称するのですが、スターボードとポートで言い間違え聴き間違えが発生し易く、緊急時に事故が起きる原因ともなっているようです

さらに言うと、日本語で船の右回頭の為の操舵を『面舵』、左回頭の操舵を『取舵』というのは、干支を時計に当てはめて方向や方位を表わす慣習があり左方向の酉が転じて取舵となり、右方向は『卯面舵』(うむかじ)と称したのが略されて面舵で『おもかじ』と変わっていったと言われています




ミッドウェイで4隻の空母を一挙に失った日本海軍は急遽雲龍型空母の大量生産を期します

本来は改飛龍型として設計されたのですが、やはり左側の艦橋だけはどうしようもなく右側に置く設計となっています

また蒼龍の並行2枚舵から、飛龍では1枚舵が採用されていましたが旋回性能が悪く雲龍型では2枚舵に戻されています


「雲龍型航空母艦、その二番艦、天城です。戦時急造計画であるマル急計画により、建造されました。
空母機動部隊として運用されることは叶いませんでしたが、呉空襲時の対空戦で奮闘しました」















日本海軍の艦名命名基準は

戦艦:大和、長門など旧国名

巡洋戦艦・重巡洋艦:山の名前

軽巡洋艦:川の名前

空母:龍・鶴・鳳凰など吉瑞の動物・幻獣などの内空を飛ぶものに関連した名前

というルールがあるのですが、赤城・加賀は元が巡洋戦艦・戦艦であり、進水式が済んで既に艦名が与えられていた事もありそのままの艦名で空母に改造されていきました

しかし雲龍型空母はネームシップは『雲龍』と基準に沿っていたものの、2番艦からいきなり『天城』『葛城』と山の名前が付けられてしまいます

城シリーズに変更かと思いきや、完成せずに終わった4~6番艦には笠置・阿蘇・生駒、計画で終わった7番艦には鞍馬と関連性のない山シリーズになってしまいました

平時なら洒落者が風雅な名前を考えついたのでしょうが戦時、しかも負けがこんできたきた時期の計画艦なので色々余裕がなかったのでしょうか

完成した時にはマリアナ・レイテ海戦で空母部隊どころか聯合艦隊そのものが壊滅しており、1945年2月を以って大和など一部の艦を除いて聯合艦隊から除籍され浮き砲台として軍港などに繋留されて終わるのでした

天城は終戦直前の7月28日に空襲を受けて大破着底して身を横たえた姿のまま終戦を迎えます

ゲーム内で天城の中破絵がこのデザインになったのも、現実の天城に倣った為だそうです



この姿を誰かがAA化したのがコレ

                        _(:3」∠)_

見事に行き倒れています

諸提督たちが気に入ってしまい、_(:3」∠)_が天城のアイコンとして認知されるまでになってしまいます(ちなみに私のPCでは“あまぎ”の変換候補で既にこれが出ます)

運営や絵師があんまりだと思ったのか、現在はこっちの絵に差し替えられてしまうのでした



空母の名前だった『蒼龍』は現代に潜水艦の名前として復活、1番艦のネームシップに『そうりゅう』、2番艦に『うんりゅう』が与えられ、以下7番艦まで龍シリーズが続いています



海自の潜水艦戦力は一世代前の『おやしお型』が11隻、最新型のそうりゅう型が現状6隻でおやしお型⇒そうりゅう型に入れ替えつつ16隻前後を保有し続ける方針を、昨今の周辺情勢を鑑みておやしお型の退役を延長して22隻体制にする事が決められています

空母の方は現在の日本の防衛方針では必要とは言えないので調達はされていません

よく『ひゅうが型』や『いずも型』を指して「空母だろ」と因縁をつける国がいますが、言い掛かりもいい所であり、どうみてもヘリ搭載型の駆逐艦ですね



冗談はともかく、日本の国防予算と組織規模では空母を保有するのは現実的ではありません

と言うのは、空母を単艦で動かして喜んでるのは中国海軍くらいであり、普通は空母ほどの高価値目標を簡単に沈められては困るので周辺をがっちりと護衛艦で守る事になります

海上自衛隊が空母を保有しようとした場合、最低でも2隻、整備や改修でのドック入りを考えると4隻で2個の空母機動部隊を運用する必要があります

すると海自が持つ全護衛艦が空母のエスコートに狩りだされてしまい、それ以外の事が出来ない組織になってしまうのです

日本の宇宙開発を担うJAXAが有人ロケットや月への上陸探査をやらないのも、それをやりだすとJAXAの組織・予算規模では通信衛星や気象衛星など他の事が一切出来なくなってしまうのと同じようなものです

海上自衛隊の任務は世界第6位の海洋面積を誇る広大な領海や排他的経済水域の権益の警備・防衛なので、有事における敵艦隊の殲滅など海自の仕事のせいぜい1割程度に過ぎない些事でしかないのです

空母1隻造るのに5000億円&艦載機に5000億円、運用するのに軽く年3000億円は掛かるでしょうから、それだけの予算を食われるくらいならイージス艦を4隻も増やしたいところでしょう(空母1隻より護衛艦4隻の方が幹部自衛官のポストも増えるし、というお役所的な事情も有るとか無いとか)

それにいずも型は無理をすればF-35Bのような垂直離着陸機の4機くらいの運用はできるでしょうが、それをやると本来の用途である対潜哨戒用のヘリ14機が半分以下に圧迫され、せっかくこれだけの対潜護衛艦を作った意味がなくなってしまいます

中国の空母にはそうりゅう型の魚雷か、対艦番長であるF-2の対艦ミサイル数発で充分です

日本には“今のところ”空母は必要ないのです






( ・ω・) 「『いずも』は駆逐艦、いいね?」