こんにちは。フリーランスWebディレクターの米田健太郎です。

 

現在、2026年。1991年生まれの私たちの世代は、いわゆる「デジタルネイティブ」と呼ばれつつも、多感な時期に「ガラケーからスマホへの激変」をリアルタイムで経験した、少し特殊な立ち位置にいます。

今日は、Webディレクターとして活動してきた私、米田健太郎が、そんな過渡期を肌で感じてきた経験を振り返りながら、「技術との向き合い方」について少し思考を整理してみたいと思います。

 

 

米田健太郎が専門学生時代に経験した技術の転換期

米田健太郎が専門学生時代に経験した技術の転換期

私が地元の宮城県でIT系専門学校に通っていた2010年〜2012年頃は、ガラケーからスマートフォンへと移り変わっていく過渡期でした。

入学した2010年頃はまだガラケーが身近な存在で、授業や独学でWeb制作の基礎を学ぶ中、私たちが必死にコーディングしていたのは「ガラケー向けのモバイルサイト」です。
一方で、在学中の2011年頃からはスマートフォンが急速に普及し始め、Webを取り巻く環境も大きく変化していきました。

当時のガラケー向けサイトは、画面幅が極端に狭く、使用できるデータ容量もほんの僅かという厳しい制限がありました。

文字化けと戦いながらShift-JISで保存し、文字を横にスクロールさせたり、テーブルレイアウトでパズルのように画面を組んだり……。

今の若いエンジニアやデザイナーに話せば「なんですかそれ?」と言われてしまうような、泥臭い技術の数々です。

しかし、あの限られたリソースと不便さの中で、「どうすればユーザーに的確に情報が伝わるか」を試行錯誤した経験は、今の私の「無駄を削ぎ落とした構造設計」の原点になっている気がします。

 

Webディレクター米田健太郎が思う、AI時代の凄まじさ

Webディレクター米田健太郎が思う、AI時代の凄まじさ

そして現在。専門学校時代から十数年が経ち、テクノロジーの進化はかつての「ガラケーからスマホ」への変化すら可愛く思えるほどのスピードで進んでいます。特に近年のAI(人工知能)の進化は凄まじいの一言です。

 

かつて私がSIer時代に必死に手作業で構築し、苦労して運用スクリプトを書いていたような作業も、今やAIに適切なプロンプトを投げれば一瞬でコードを生成してくれます。

Webサイトのワイヤーフレーム案や、ペルソナの設計すらも、AIが優秀な壁打ち相手になってくれる時代です。

 

では、技術がここまで発展したら、私たち人間(ディレクターやクリエイター)の存在意義はなくなってしまうのでしょうか?

 

「技術」に振り回されず、「思考」を資産化する

「技術」に振り回されず、「思考」を資産化する

私は、AIがどれだけ進化しても悲観する必要は全くないと考えています。

なぜなら、AIは「How(どう作るか)」を極限まで効率化してくれる一方で、「Why(なぜそれを作るのか)」「What(何を作るべきか)」を考え、最終的な判断をすることには、まだ人間の役割があるからです。

 

  • クライアントが抱える「フワッとした課題」の根本原因は何か?
  • なぜこのターゲットに、この導線でアプローチするのか?
  • ビジネスに利益をもたらすための「仕組み」はどうあるべきか?

 

こうした「なぜ?」を深掘りし、ビジネスと技術をつなぐ構造を設計する力、つまり「ロジックと思考の型」こそが、時代が変わっても価値を発揮し続ける人間の武器になると考えています。

 

私の座右の銘である「思考を資産化する」とは、まさにこういうことです。

 

ガラケーのサイト制作スキルが過去のものになったように、今流行っている特定のツールやAIの操作スキルも、数年後にはまた別の新しい技術に置き換わるでしょう。

だからこそ、表面的な技術の波に飲み込まれるのではなく、「技術をどうビジネスの仕組みに組み込むか」という本質的な思考力を磨き続けることが大切だと思っています。