同居の愚痴をぶちまけつつ
桃太郎の修行を重ねる
『てち』と申します。
よろしくお願いします。
鬼ヶ島初上陸の方は
ここでは基本的には
鬼姑の日常を綴っています。
宇宙人の生態記録です。
それと未来の自分が
宇宙人にならないようにね(笑)
また、ママ友との確執を記録した
PTAシリーズもあります。
ときどき、宇宙人鬼姑が
おかしな実験を繰り広げるので
その観察記録も綴っています。
宇宙食シリーズとして大人気です😆
半分謎解きみたいに
なってますけど(笑)
宇宙食専用のInstagramも
始めました。
techi459
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すぐには反映されませんので、
ご了承ください。
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おはようございます✨😃
「てち」です。
前回のつづきです。
小学1年生の頃のモンキチは
今で言う「不登校」でした。
何度か学校を休ませたことも
ありました。
本当に微熱が出るのです。
私の苦しさや
やりきれなさ、
不甲斐なさや
未熟さが
全てモンキチに
表れていたのだと
今では思っています。
モンキチは幼稚園時代
とてもおりこうさんな
子供でした。
小学校に行っても
なんの心配もないだろうと
だれもが思うような
そんな子供でした。
ところが、いざ小学校に通い始めると
小1ギャップってやつですかねぇ、
優しい幼稚園の先生に比べ
小学校はどこか距離がありますよね。
そこに、うまく
馴染めなかったのかも
しれません。
学校を休んだ日は
特に家で塞ぎこむこともなく
普通に過ごしていました。
週末などには
友達も遊びに来て、
また明日学校でね!
と、約束をするのですが
翌朝になると
メソメソと泣き出すのでした。
図工が嫌だ、
体育が嫌だ、
先生がこわい、
●●君がこわい、
理由は毎日違いました。
それは理由では
なかったのでしょう。
私がずっと抱いていた
苦しみや悲しみが
モンキチに反映されていただけで
なんとなく漠然とした不安が
消えなかったのでしょう。
そんなある日、
病院に行った実家の母が
偶然、ある人に出会ったのです。
それは、
小学校時代の恩師。
母の行った病院で
院内学級の先生をしていたのでした。
そこでモンキチの話をしたら、
小児科に来ている
精神科のいい先生がいるから
かかるといいと言われたそうなのです。
私は
何かしなくてはいけない。
何かしてやりたい。
私にできることは何かと
ずっと悩んでいたので
ワラにもすがる思いで
その先生をたずねて
その病院に行ったのでした。
懐かしい恩師は
昔と変わらない笑顔で
私を迎えてくれました。
私の話を涙しながら聞いてくれ、
少しでも力になれるならと
その精神科医に
引き合わせてくれました。
最初は、
私だけが通いました。
そのうち、
モンキチを連れていくように
なりました。
その先生は
無理に学校の話を
聞き出すなんてことは
しませんでした。
親として、理由を探り
それを排除してやりたいという思いが
私には強くあったのですが
その先生は私に
こう言いました。
「お母さん、
お母さん自身がまず、
学校を休むことを
悪いことだと思うのを
やめてみませんか?」
私はハッとしました。
学校を休むなんて
もってのほか。
学校に行けないのは
母親のしつけが悪いと
まわりの人に思われるから。
学校を休むなんて
はずかしいこと。
私の抱いている感情が
モンキチを苦しめているんだと
気づかされたからです。
モンキチは
学校に行けない自分を
責めていたでしょう。
ほんとうに、
かわいそうなことをしました。
モンキチは半年ほど、
通院をしました。
そのうちに、
だんだんと
私の付き添いが
短くなっていきました。
何をしたとか
これをしたとか、
確かなことは
何もないんです。
ただ、
メンタルクリニックに
2週間に1度通っただけです。
他愛ない話をして
聞いてもらって
次の予約を取る。
ただ、ただ、
この繰り返しでした。
モンキチの不登校がおさまったとき
義芋の不妊治療での長期滞在も
なくなっていました。
メンタルクリニックに
モンキチを連れていきながら
自分が通っているのかもと
思ったことがありました。
でも、
私は鬼姑の話を
するわけではないのです。
それでも、
その空間に身をおいて
ゆったりとした気持ちになれたのは
私にとっても
治療になっていた気がします。
年が明ける頃には
モンキチへの付き添いは
なくなっていました。
そして、2月になる頃には
病院通いも1ヶ月おきとなり
普通に学校へ
通うようになっていました。
親として
何ができるのかを
模索した1年でした。
関係が悪くなった担任には
たぶん私は
嫌われていたと思います。
それでも、
いろんなことを
気づくことができた
母としての1年だったので
迷惑をかけた謝罪と
感謝の思いを手紙にして
最後に渡しました。
担任からの返信は
特にありませんでしたが
私からは思いは伝えたので
自己満足しています。
誰かとの出会いが
人生を変えてしまうほどの
力があることを
この時思い知りました。
そして、
誰かとの出会いが
救いになることもある。
人の出会いには
いろんな力がある。
私が鬼姑と出会ったのは
私に生きる力を与えてくれた。
前を向く力を与えてくれた。
そう思うようになりました。
私も誰かの力になれるような
そんな出会いをしていきたいです。
モンキチの不登校は
小学1年生で始まり、
2年生になるころには
おさまっていましたが、
また、4年生の時に
再発することになります。
それはまた、
別の機会に書きたいと思います😁
