同居の愚痴をぶちまけつつ
桃太郎の修行を重ねる
『てち』と申します。
よろしくお願いします。
鬼ヶ島初上陸の方は
ここでは基本的には
鬼姑の日常を綴っています。
宇宙人の生態記録です。
それと未来の自分が
宇宙人にならないようにね(笑)
また、ママ友との確執を記録した
PTAシリーズもあります。
ときどき、宇宙人鬼姑が
おかしな実験を繰り広げるので
その観察記録も綴っています。
宇宙食シリーズとして大人気です😆
半分謎解きみたいに
なってますけど(笑)
※コメントは承認制にしております。
すぐには反映されませんので、
ご了承ください。
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こんにちは
令和の「てち」です。
えぇ、平成と
なんら変わりはありませんけど(笑)
しかし、
平成は鬼姑日記を書き始め
たくさんの読者さん(フォロワーさん)
に恵まれ
元気をもらい、
勇気付けられ、
悲しみを分け合い、
助けられた時代でした。
私の鬼ヶ島生活での
子育てと、鬼姑との戦いが
すべてを占めていました。
戦争のない時代ではありましたが、
鬼ヶ島で孤軍奮闘していた
そんな思いの平成でした。
平成元年は
大学を卒業した年でした。
それから数年後に
主人と出会い、
結婚したのです。
世の中は
紀子さまフィーバーでしたね。
そんな頃は
同居に関して
ほぼ何も、考えていませんでした。
23歳の小娘には
そこまで熟考する知恵や経験など
ありませんでした。
とりあえず、
うまくやってけばいっか🎵
そんな風にしか
思っていませんでした。
まわりのおばちゃんたちからは
まず10年は辛抱しなさいね!
とか、
やたらに言われたことを思い出します。
私は働いていなかったし、
旦那も若くて給料が少なかったので
なんのためらいもなく
あっさり同居をしました。
実家の母親も
やめておきなさいと
何度も私に言いました。
今になってやっと
その言葉の重みがわかりますけどね(笑)
平成の幕開けは
のんきな小娘の
結婚への憧れでスタートしたのでした。
生活費は食費のみ出して
と、鬼姑から言われました。
その他の生活費は
鬼姑が全て支払っていました。
そんな頃は、
鬼姑も逃舅も、商売がうまくいっていて
羽振りがよかったのです。
お客さんはひっきりなしに
お店に来ていたし、
家の中は常に人がいました。
忙しいと容赦なく駆り出され
店の手伝いを無償でさせられました。
今となっては
どれくらい手伝わされたかを
きちんとメモしておけばよかったです。
時給換算して
請求したいくらいですからね(笑)
そんな毎日に
次第に私の心は
暗雲が立ち込めていきました。
わたし、誰と結婚したの?
なんのためにここにいるの?
日々、答えの見つからない問いを
自分自身に繰り返し問いかけ
涙があふれる、、、
旦那にも言えず、
実家の親にも言えず、
回りには友達すらいない
孤独のなかでの戦いでした。
胸を締め付けられるような毎日で
息がつまりそうな
窒息しそうな日々でした。
そんな毎日を過ごした20代でした。
平成も二桁になる頃から
子育てが中心となっていきました。
子育てに口を挟みたい鬼姑に
何度も拳を握りしめました。
私には私の思いがある!
ほっといて!!
構わないで!!
声にならない叫びを
心のなかで繰り返し
地面を這うような毎日を送っていました。
そんな頃、
義芋の結婚や不妊治療が始まり
さらに私の心への負荷が
重なることとなったのでした。
モンキチ(上の子)は
不登校になりました。
今になって思えば
私の心の不安定さが
子供に表れていたんだなと
理解することができます。
そんな頃、
私自身、体調を崩し
ガンを宣告されました。
けっこう波乱万丈でしょ?
今だから、
ケロットと、さらっと言えますけど、
当時の私は激ヤセするほど
感情が死んでしまうくらい
メンタルがやられていましたけどね。
平成の半分は
こんなかんじで過ぎていったのでした。
つづく