(できたら「カメレオン」をBGMにして、読んでいただけると幸いです。)

 

僕は常々思っているのですが、どうして人は、歌手にしろアーティストにしろアイドルにしろ、その大ヒット曲でしかものを語らないのでしょうか。

 

 

 

実は、欅の誕生から終焉までを見続けていて、すべてをトータルで語るべきなんじゃないかと思うんです。

 

一発屋と呼ばれる方々も、実はそのヒットを出した後も活動はしている訳で、それらをすべて知った上で一発屋かそうじゃないかを話すべきではないかと思うんです。

 

逆にその人のいろいろな活動を知れば知るほど、一発屋などという表現は軽々に使えないんじゃないか。

 

「○○」のあの人という言い方はできても、一発屋なんて揶揄する表現は使えないのではないか、僕はそう思います。

 

 

 

欅の例で話すと、「サイレントマジョリティー」「不協和音」の大ヒットや「黒い羊」のイメージから、「笑わないアイドル」というグループの定義づけが、マスコミ始めとしてなされているが、やはりそれはおかしいと思うんですよ。

 

「サイマジョ」や「不協和音」のイメージと彼女たちは別物なんです。

 

そういう定義づけがされればされるほど、彼女たちは追い込まれる。

 

欅崩壊の責任の一端は、無責任なマスコミを含むそうした一部ですべてを語る人たちにあるんじゃないか、と思います。

 

 

 

早く、すべてを包括して、その人たちを正しく語れる世の中になるといいな、と僕は思っています。